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下北沢という街

「下北沢」…オシャレ、古着、夢の匂い、サブカル、若者。そんなイメージの街。東京を象徴するような作られた小さな街でたくさんの人たちが愛を叫んでいる。何かの用事でしか訪れなかったその街にこの度住むことになった。街から選んだわけではないが、住みたいおうちの色んな要素を掛け合わしたときに条件に良い家が下北沢にあった。

住んでから約1週間、下北沢駅で降りて独特な電飾の古着屋の間を縫って家に向かう。そんな帰り道を歩くのはとても新鮮だ。回り続ける肉塊を見つめる気だるそうなケバブのおっちゃん、これからの予定を考える下北沢に遊びに来た若い女性たち、スパイスの匂いを垂れ流すカレー屋も、みんな明日があるものと決め込んで今日を楽しんでいる。僕は1人だけ現実を生きる存在のように、目の前に広がる夢にまみれた世界を楽しんでいる。

まだ住み慣れていない家のドアノブを捻って部屋に入る。まだ僕の精神はどこかに置いてけぼりの感覚のまま寝る準備に入る。これまでの人生で時たま出会う「何のために生きているのか」の一段階上の苦悩「ただ切ない」精神状態が久しぶりに手元に来た。普段は懐かない猫のように、何年ぶりかに一度ゴロゴロ言いながら近づいてくる。

この精神状態では自分はただの塊として認識される。誰かから必要とされ、自分が必要とする人がいて、人間関係の需要と供給は「人」として満たされているのに心は満たされない。次飛ぶべき場所が決められている鳥を見て羨ましく思い、ガソリンスタンドの高騰し続けるハイオクに憧れて、改造マフラーで爆音を流すバイクをも愛おしく思える。下北沢が正常に見えるにはあとどれほどの療養時間が必要だろうか。ここに回らない肉塊がある。

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