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大量の写真と『大丈夫。』 ―娘ふたりと過ごした3か月—

育休中ミドサー母。緊急事態宣言下、娘ふたりと、がっつり一緒に過ごした3か月間のことを書き留めておきたくなった。(思いのほか長くなってしまったけど)​

書き留めておこうと思った理由

緊急事態宣言により、ほぼ3か月間、保育園は登園自粛。上の娘(娘①)は2歳児クラス、自粛中に3歳になった。下の娘(娘②)は昨年秋生まれ。

「育休中なんだし、まず自粛しなきゃ。いけるでしょ、2歳差で専業主フさんもたくさんいるし」って思ってたんだけど。

はっきりいって、めっちゃくちゃ辛かった。だけど大っぴらに辛いとは言えなかった。だから、書くつもりはなかった。書きたくなかったというのが正しいかな…

でも、気が変わった。理由はふたつ。

(1) Twitterで、2人育児をスタートさせたばかりのママを励まそうと私が書いたリプに、たくさんの人がいいねしてくれた。

あとで詳しく書くけれど、振り返ってみて分かったことがあった。

(2) 再び登園自粛要請が出たときのことを、考えておきたかった。

第2波がやってきている。またいつ休園になったり自粛要請が出たとしても、少しでも心穏やかに過ごしたい。

では、3月から振り返ってみる。

3月 プロローグ

娘②はようやく睡眠のリズムができてきて、私も3日に一度くらい、まとまって眠れるようになって、娘①の保育園の送迎も慣れてきた。ただ、慢性的に寝不足なのは変わりはない。

娘②の4月入園は、迷った末に見送った。それで良かった。2回目の帝王切開後、半年での復職は私には難しかったな、と思う。娘①の時でさえ、ちょっと余裕出てきたかも、って思ったの、5か月くらいだったし。(これ、ほんと個人差あると思う)

娘①が保育園に楽しそうに通ってくれて、本当に助かる。ありがたい。そういえばほぼ風邪引かなくなった。強くなったなー。

このころ、久しぶりにまともに朝のテレビ(ワイドショー)を見た。結局気が滅入って、すぐ見なくなったけれど。

小学校が突然休校になって大騒ぎになった。保育園はそのまま開いていたので、我が家は特に影響はなかった。でも念のため、娘①が通う保育園には、小学校のお子さんがいそうな年齢の先生もいるので、担任の先生と話してみた。

「もし先生の人数が足りなくなって厳しいようなら、私、育休中だし、娘①お休みしますね」「大丈夫だと思います。人数余裕ありますし。万が一何かあったらきちんとお知らせしますので。お母さん、ありがとうございます」

こんな会話も、もはや懐かしい。

まだ余裕のあった4月

あれよあれよと感染者が増えて、緊急事態宣言が発令された。私が育休中なので、娘①は「登園自粛要請」の対象に真っ先に含まれる。

宣言の前日だったか、「出すための準備に入る」みたいな、まだるっこしい情報の時点で、娘①は休ませることにした。結局そこから6月いっぱいまで、娘①は登園しなかった。

娘①は、お散歩や外遊びが大好き。すっかり温かくなってて、娘②も連れて外に出られて、助かった。(この春やたら暑かったよね)

私は娘①が1歳になる前に復職したので、公園に行って遊んでいると、「べったり娘たちと過ごせる時間なんて、もう来ないかも。大事にしよう」という気持ちも湧いた。

毎日、可愛い娘たちの写真をいっぱい撮った。

最初は案外楽しんでたと思う。楽ではなかったけど、GWで夫が休みになるまで頑張ろうと思って、ほどほどにやれてた。

夫とのんびりGW、からの下り坂、5月

帰省しないしお出かけできないGW、家と近所の公園でのんびり過ごした。

GWが終わって、どうも怪しくなってきた。娘②の夜泣きもあって疲れがたまってきていた。

保育園に行けないと大変だけど、育休中で私は家にいるし、なんとかがんばらなきゃ。夫の会社は在宅勤務増やす方針になったから、邪魔しないようにしなきゃ。
飽きさせないようにしなきゃ。楽しませなきゃ。運動させて、テレビばっかりにならないように。ちゃんとご飯も作って、お昼寝もさせて、赤ちゃんも離乳食…
結構大変だけど、在宅勤務with子供たちの方々、エッセンシャルワーカーの方々のことを考えたら、辛いとか言ってる場合じゃない。
まだ小さい子供を守らなければ。出かけられない、人に会えない、子育て広場は閉まってる、実家は遠方で親は仕事持ちかつ高齢の祖父母もいる、近くに知り合いはいるが当然気楽に会えない、、、
これ、いつまで続くんだろう…

堤防決壊した6月

緊急事態宣言が解除されても、登園自粛要請は継続。育休中の身では保育園には預けづらい。ただし保育園を休んだぶんだけ、保育料は返ってくる。

夫と相談して、我が家はもうちょっと頑張って登園自粛しよう。ほんとーーに無理ってなったら、先生に相談してみよう、ということで、6月スタート。

このころ私の限界がやって来たのだと思う。(当時は自分の状態をうまく認識できなかった)

娘①は、妹を叩いたりしないけれど、どっちかというと溜め込むタイプで時々やたら甘えたり酷く泣いたり。
娘②がギャン泣きなのを放置して娘①と遊んでも、私は全く楽しくない。
昼寝のタイミングが合わずお互いの泣きで起こし合い、私は全く休めず。
娘①は一人遊びがほぼできない。気質なのか、保育園で友達に囲まれてたからか。ねぇママ、ママ見て、ママ遊ぼ、ママ、ママ、、、と呼ばれ続ける。
私のやりたいこと(結局は家事)は全くできないのに、子供たちはおかまいなしにやりたいことを主張をしてくる。毎日達成感ゼロ。

最後のほうはキレ散らかした。ボロボロ泣いたし、物に当たったりした。子供と一緒にいるのが辛くなってしまった。

私、こんなに子供にイライラする人間だったのか…と、絶望。

一応理性が働いて、絶対に手は上げなかったけど。

7月、登園再開。エピローグ

7月、ようやく自粛要請が解除された。娘①は最初は久しぶりの保育園に元気よく毎日登園している。私も気持ちに余裕が戻ってきて、大きな声で怒ることはなくなった。

2週間経った頃だろうか、娘①が妙にごきげんなのに気づいた。よく喋る、笑う、歌う、踊る。w つられて私も笑ってしまう。あぁ、お互いに余裕なかったんだな、と実感する。

お盆も帰省しないことにして、両親にアルバムでも送ろう、と写真整理をした。すると、私は4~6月に大量の写真を撮っていたことに気づいた。
出てくる出てくる、可愛いわが子たちの大量の写真。私はすごくしんどかった記憶でいっぱいなんだけど…

娘①がブランコに乗っているところ、晴れた日の砂遊び、たんぽぽを摘む、ごはんもぐもぐ、レゴの作品、変顔。
娘②のおかゆまみれの笑顔、おもちゃをなめるところ、進化するハイハイ。
2人の寝顔、2人でぎゅー。

ふたりの嬉しい・楽しいの瞬間が、こんなにたくさんあった。それが分かってようやく、私は救われた。

なんとか頑張って、無事に過ごせて、良かった。みんな、よくがんばりました!花マル!💮

あぁ写真撮っといて良かった。あ、子供の写真はSNSに載せない主義なのでご勘弁を。でも見てもらいたいくらいだ。

さて、そんなときにでくわしたこのツイート。(勝手に引用ごめんなさい)

リプして気づいた。よく言われることだけれど、

他人がどう言おうと、自分がつらいならそれは『つらい』のだ。そう言って良い。助けてって言って良い。むしろ言うべきなのだ

大丈夫、だいじょうぶ。と自分に言ってあげよう。

振り返って、そして今度は。

再びコロナ感染者が増えてきた。いつ休園になったり、自分たちが感染するかわからない。

無理しないでいこう。イライラするときは、余裕がなくなっている、自分が自分に出すSOSなのだ。休み時だ。

私が楽しければ、家族も楽しいのだ。私が楽しくなるように過ごすことを考えよう。

先のことを考えると辛いときは、その日1日のことだけ考えて過ごそう。みんな生きてりゃ花マル。子供は着実に成長してくれる。それを信じる。大丈夫!

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