こなれた生

ずいぶんと生がこなれてきた
右足を踏み出せば左手がさりげなく前に出ているし
嫌なことを聞かれたら聞こえないふりをするし
出かけるときに何を着るか思い悩むこともない

ずいぶんと生がこなれてきた
ゴミ箱に紙を丸めて放ると吸い込まれるように入るし
いつも鞄に傘がはいっていて濡れることもない
ともかく早く寝て明日考えればいい

ときどきやってくる
コンビニの棚の前でなにも選べなくなって立ちすくむときが
読みたいとも思っていない画面を中指でスクロールしつづけるときが
かなしくもつらくもないのに胸のざわつきで吐き気と涙をこらえるときが

深呼吸ができない健康な身体を生かしておくのがわたしの役目
ずいぶんと生が三人称になってきた
定期検診で異常なしと書きつける医者の普段通りの午後
うつくしい秋晴れの空気の向こうから
かすかに鬱の足音がきこえる

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