母が牧師になった

これは、2021年の文章です。
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教会に通い、祈っている中で、私は、神から、準備を整えた上で、神を中心に据えた生活を送る ようになっていきなさい、と使命を受けました。
ただ、その使命に気付かされた、考えるようになったのは、母がきっかけです。

私の母は今、74歳です。そして、去年の11月に牧師になりました。

数年前に、母親は、ソウルの神学校まで毎月、通っていました。確かにそれを聞いてはいまし た。
思わず「えっ、ママ、何やってるの?」と私が言ってしまったほどです。
びっくりしました。

母は、韓国で生まれました。 私の母方の祖父は、昔は非常な有名人でした。ソウル帝国大学(ということは日本の占領下)に 入学し、解放後、すぐにソウル大学の大学院で博士号をとりました。文学博士です。 まだまだ当時の韓国では、文学をやる人の社会的地位が高かった時代です。 ただ、祖父は、李承晩政権(軍事独裁)の時に、李承晩の誕生日に、請われるがままに詩を書い たりしちゃったんですね。その後に大学紛争などが起き、李承晩政権も倒れた後に、祖父は大学 を辞めざるをえなくなりました。 そんな祖父を、大阪外国語大学(司馬遼太郎が教授をしていた頃!)が教授として招いてくださ り、祖父は大阪にきました。その時、中学生だった母も、一緒に大阪にきました。 そして、母は大阪で高校に行き、奈良女子大学に行き、卒業してすぐに、私の父と結婚をしまし た。

私の父は日本生まれ日本育ちです。父方の祖父が最初に始めたのが、神戸の長田、下町での 工場です(要はガラが悪い)。
戦争中から戦争後の在日なんて、本当にちゃんとした職業にはつけませんでした。自分で商売を やるか、という道はあったみたいですが。だからエリート学者の娘が、神戸の長田の工場主(要 はガラが悪い)の跡取りと結婚するのは、まあ、異文化遭遇ぐらいの勢いだったんだと思いま す。
ましてや、済州島です。今の済州島は、リゾートみたいな雰囲気を漂わせたりしていますが、 基本的には、征服された島です、流人の島です、モンゴルの馬の牧場です。日本に来なかったら、 済州島の人と結婚するなんて想像もできなかったと言っていました。 そして、父の母は、これまたもう「お寺の先生がどうだ」「高野山がなんだかんだ」という人で した。長男の嫁は服従するしかない環境です。おまけに、お正月とかは、親戚中(祖父を頼っ て、済州島から来た親戚とかが多かった)が集まるので50名ぐらいの食事を準備しないといけま せん。
子供が三人産まれて、上二人は灘中、三番目の娘は神戸女学院に行き、さらに上から東大と早稲 田に行く、という状況で、ちょっとは神戸の一族の中で立場もできたみたいですが、それでも長 男の嫁は服従するしかない、という立場はあまり変わりません。一番、期待されていた上の息子 (私)が、BCGを辞めてまで神戸に戻って、会社の跡を継ぐ、それもいきなり業績を出し始めま した。それなのに、たった2年で創業者の祖父とぶつかって、飛び出して東京に戻っちゃう。
「お前はどんな教育をしたんだ(服従しろ、という教育なんて受けるわけないでしょ、と私は思 う)」と祖父に高圧的に言われて、母は過呼吸で救急車で何度も運ばれました。
結果、母は数年間(実質的に祖父が亡くなるまで)東京で避難して暮らしていました。その時に、時間ができたので、教会に本当に本当に長年ぶりに行ったのだと思います。小さい時以来、 というものでしょう。 祖父が亡くなって暫くして、母は神戸に戻ったんだと思います。
当時、私も忙しく大変で、このあたりの母のことをあまり知りません。2008年のリーマンショックのころです。その後、数年が経 過して父親が膵臓癌になりました。
2009年ぐらいからは、私も少しは、神戸に戻ることもあり、 母とのやりとりも少しは復活をしました。
父が亡くなってから、母は、時間がより出来るようになり、神戸東部教会に顔を出すようになっ ていたようです。神戸東部教会から、大阪の西成にボランティアで通おう、というのがあったよ うで、それに参加したようです。

大阪の西成、、、そうです。ドヤ街です。大阪名物というかなんというか。 私は大学の頃に山谷(東京の西成みたいな場所)の炊き出しとか参加していましたから、想像はつきます。その場所にあり、礼拝の度に食事を出して振る舞う教会、というのは、本当に恵まれた働きをしている教会です。その教会に、神学校が併設されていたようです。ただ、神学校といっても校舎があって学生がい て、というものではありません。狭い古い傾いた床の教会で主任牧師の先生に教わる。生徒は1名か2名。それに行き始め、そしてその教会の繋がりの韓国の神学校に入学をしたようです。
月に1 回、ソウルまで飛行機で通って(確かにコロナ前のソウルまでの飛行機代は激安だった)、1週 間授業を聞く、ということをやっていました。 そして、74歳にして卒論を書き、牧師になりました。

去年の11月に、牧師の按手礼(任命式みたいなもの)に出てきました。 驚きでした。西成の教会は、本当に西成の中心近くにあり、古くて、素朴でした。信徒の人たちによる讃美歌の合唱も、綺麗ではなく、丁寧でもなく、大きなダミ声で、ただ生命力に満ち溢れていました。

そして、母が牧師として「説教」をしていました。自分の知っている母とは違う、「牧師」がそこにいました。

神の導きの何と尊いことか。
いつの間に自分は歳をとったつもりになってたんだろう。

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