日本のキリスト教宣教学は、今まで何をしてきたのか!

東京基督教大学のある授業でマザーテレサの映画を見た時の私が出したリフレクション(授業感想)2022年5月
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コルカッタの空港に降り立ったことがある。東側から近づくと、素晴らしい芝生に囲まれた立派な邸宅のゾーンが見えてくる。これは、素晴らしいと思っていると、いきなりスラムが始まる。
あの街でマザーテレサが、尊い働きをなしたというのは、非常にうなづける。
あの街には、貧困があり飢えがある。神の導きは尊い。

日本では、何があるだろうか。私の母は、大阪の西成で牧師を昨年からしている。西成は日雇い労働者の街である。東京の山谷よりも状況が悪かった街だ。私は、昔、山谷の炊き出しに参加していたので、少しは風景を知っている。
しかし、今の西成は?いつの間にか、以前よりは綺麗になっている。美味しい飲食店も出来た。ホシノリゾートの醜悪だが金のかかったホテルもある。
社会のセーフティネットが充実し、資本が投下され、全体としての状況は、切り捨てではなくて改善をしている。
その過程で、日本の教会は、クリスチャンは何をしただろうか?

大学時代に、身障者の介護をしていた。自分で体を動かすことが出来ない人にとっては、介護に入る人がいない、というのは、病気や場合によっては死を意味する。石田さんという人だった。石田さんの介護にいったら、とにかく電話をかける。電話をかけて、「○○君、介護にきてよー、しんじゃうよー」という石田さんが言い、電話の相手からの「えー、かなり先じゃないと入れないよ」というやり取りを聞くのが日常だった。それでも、埋まらず、仕方ないねと言って、追加で介護に入る。
だけど、私が大学を卒業するぐらいから状況は変わり始めた。介護に入ることに対して、対価が出始めた。そして、今はより充実している。
その過程で、日本の教会は、クリスチャンは何をしただろうか?

滞納家賃の保証システムを作っていった時に、普通に毎月何十件と出会うのが、解雇をはじめとする理由で家賃を払えずに退去する事例である。毎月あがってくる「退去・撤去報告書」を読む。貧困が見えてくる。引っ越しはお金がかかる。家賃6万円のところから退去して、次にどこに住めるというのか。以前は、生活保護も非常にハードルが高いシステムであった。しかし、今は、よりスムーズに実行される社会のセーフティネットが拡充している。
その過程で、日本の教会は、クリスチャンは何をしただろうか?

仕事をしていて、行き詰まり、病になる人々がいる。気が付くと、産業カウンセラーという制度が準備され、内部通報制度が整い、少しずつ楽な環境へ向けて動いている。
その過程で、日本の教会は、クリスチャンは何をしただろうか?

この状況下で、日本宣教を学問として取り扱う事の価値は何だろうか。
積極的な意味があるはずである。

もちろん、社会変革がクリスチャンの務めではない。今更、社会改善にのめりこんだアメリカの過去のキリスト教の失敗を繰り返すわけではない。

何を考えなければいけないのか。
私の大学の時の活動の先輩達に何名かは、まだ、大学の延長のことをやっている。
一人は、横浜の寿町(ここも日雇い労働者の街だ)で医者をしている。
一人は、大阪市大で、貧困の構造的分析を研究する教授をしている
一人は、DVの人たちの転居支援を行うNGOを行っている。
彼らは、全員、クリスチャンじゃない。
この社会の中で、自分たちの果たす役割があるとの思いから、それぞれの職業を選んだ。

光は無いのか。
一つある。彼らに聞いたことがある。なぜ、今もやっているのか?
答えは、みな同じだった。それが職業になり、専門性が生まれ、生活の糧になったからだ。

もし、クリスチャンが働きをするとしたら、それは何故、やるのであろうか。
答えは、神からの召命を受けたからだ。
それが光である。神からの召命を受け、働きをなすクリスチャンがいる。そして、その働きを通じて福音が伝わる。

宣教学が学問であるならば、なぜ、日本でクリスチャンが少ないだけではなく、劣後しているのか。そして、イエスを信じる群れであるということを、その働きをもって示すことが出来ていないのか、に切り込まないといけないはずである。
宣教学は、何の理論を打ち立て、実践において何を果たすことが出来たのか、その結果はどうだったのか、その検証をもって何をさらに研究しようとしているのかを、語らないといけないはずである。

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