私は、何故、福音主義なのか(1)

私は、すごく「リベラル」な教育を受けて育ってきたと思う。反自民党だし。

文系ではあるけど理系よりの教育を受けたと思う。

BCGでも、統計が楽しかったし。

懐かしのコンジョイント分析と、RAがみんな死ぬほど嫌がったABA(Activity Based Analysis)分析。あれ、やっぱり意味あるよ。行動時間を積み上げる分析っていうのは。


それが、なぜ福音主義なのか。

福音主義は、「保守」です。勿論、現代における福音主義は、実際は幅が広いんだけど、やっぱりキリスト教原理主義(という、なにか恐ろしいトランプ支持者みたいな存在)とか言う理解をせずに語られるレッテルが貼られることもあるし。
頭の良い人達から、「福音主義(ぷっぷっぷ)」と言われることもあるし。


理由1 最初の教会がそうだったし、今の教会もそうだから。

理由2 私の直観が、そう命じるから。


えっ?って。


この2つって、全く合理的でも、ロジカルでも無いって?

何が言いたいかというと、信じる、ってそういうことなんだなあ、ということです。


エジソンが言った99パーツの努力と1%の天才とか。

BCG時代のあるクライアントへのプレゼン(成り立てのパートナーの最初の客で、顧客との関係も築けず酷いプロジェクトだった)で、堀紘一が経営はアートだ、と言って、クライアントの社長が、経営はロジックと分析だとBCGが言ったから依頼したのに、何なんだ!と言った。

堀さんも、「ロジックと分析を積み重ね、そして最後にインサイトが働くかどうかなのです」と言えばいいのに。


そう、最後はインサイトというか、直観というか、霊感というかなのです。

特に最初の教会、というのは、神から洗礼を授かるという経験をする教会です。そこに居たことに意味があるんです。


学問をする、ロジックと分析を重ねる(勿論、これをしなければ土俵に上がれないよ)、その上で、最後の1%が必要なんです。この最後の1%は、努力や人の技では乗り越えられないものだ、神による恩寵だ、神の愛だ、というのがキリスト教の教えです。

親鸞なんかだと、この学問やロジック分析はむしろ邪魔だ、と言っちゃうけど。

ということで、最後の1%が大切だ、というお話です。

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