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デーヴィッド・アイクを導いたサイキック

読了。

数年来取り組んでいるデーヴィッド・アイクの翻訳、アイクが覚醒したきっかけとなったのがこの本ということで、何度も文中に出てきているのだけど、未読だった。図書館でふと目に入ったので、読んでおこう、と借りてみた。

アイクがこの本を手に取ったのは、書店で不思議な声に導かれたため。アイクは当時悩まされていた関節炎の治療(ヒーリング)を受けるため、ベティのもとを訪れる。ヒーリングを受けているときにベティはアイクについてのメッセージを受け取った。ざっくりいうと、アイクには人類を救う使命がある、ということだったのだけど、その真意を理解するのには時間がかかり、世間には「アイクは神の子を自称している」と広まってしまい、アイクは全英の笑いものになってしまう。しかしそのとき受け取ったメッセージは、次々と実現してゆくのだった……。

読んでみると、するすると滑るように読み進められる。これは、今必要な本に出会った時の感じ。アイクのように声が聞こえたわけではないけれど、私も導かれてこの本を手に取ったのだろう。

1989年の本だけど、たまにあらわれる時代背景は別として、内容にはまったく古さがなく、むしろ30年以上経ってもまだヒーリングの立ち位置が変わっていない(スピな謎儀式と思われている)ことにがっくりするくらい。

以下は響いた言葉たち。原書にあたっていないので推測だけど、「治療」はヒーリング、「治療師」はヒーラー、「心」はマインドと読み換えると当世風かもしれない。

私がチャクラの色を説明すると、それは昔から言われているのとはちがうとよく指摘される。率直に言って、このことは大して重要ではないと思う。同じ色を十人の人に見せれば、十通りの表現が出てくるであろう。霊媒によって診断方法やチャクラの色は少しずつちがうと考えられる。大事なのは自分で経験することであり、他の人の猿まねをしないで自分の経験に忠実になろうとすることである(したがって、あなたの経験が本に書いてあることとはちがっていても、自分の考えを捨てないようにしたほうがよい)。

いわゆる害虫ーー害虫とはいえ彼らにだってそこにいる権利がちゃんとあるーーの駆除に乗り出すまえに、ひとつこちらの言い分を聞いてもらえないかと念を送ってみるのはあながちむだではないとやはり私は思う。(中略)肝腎なのは、害虫を安全な場所に導いてやらなくてはいけないという点である。決して駆除しようと思ってはならない。そのように思うことは治療エネルギーや心のエネルギーの目的とまったく相反することになるだろう。

宗教と霊的体験には重要なちがいがある。宗教は人間によって作られた概念であり、聖書をはじめとする教典に基づいた規則がそこにはある。これにたいして、霊的な性質というか姿勢は日頃の生活において自然に生まれてくるものである。もしあなたがやさしくて思いやりのある人なら、まちがった行ないや人に害を与えるようなことをしないようにするための規則などいらない。そんなことはしたくないと思うにちがいないからである。
真に霊的な人は、何度も生まれ変わって多くのことを学び、人間的に大きくなるにつれてやさしさと思いやりを身につけてきた人である。精神的にどれくらい進歩しているかに応じて霊性にもいろいろな段階がある。霊的に進歩した人は宗教的な教義の導きを受けなくても立派な人生を送ることができる。(中略)
私たちはみな当然、自分の霊性の発達の度合いに応じた願望を持つことができる。してはならないのは、自分の思想を他人に押しつけたり、自分の理念と相反するというだけの理由で他人の信念を否定したりすることである。人はみなそれぞれ異なった道を持っており、自分自身に最も多くの平安と満足を与えてくれる道を歩まなければならない。だから、私はいつもこう助言している。他人の言うことに耳を傾けなさい、黙殺したければそれを黙殺してもいい、けれど決して他人をばかにしてはいけない、と。

肯定的な心を持った本物の霊媒や治療師のもとを訪れるかぎり、「邪霊」が交信してくるおそれはない。人々の苦しみを軽くするために日夜努力している霊媒は、同じような考えをもった霊しか引き寄せないのだ。

もし医者と治療師が手を携えて治療にあたるなら、患者の肉体的ならびに精神的苦しみは遥かに少なくなるのはもちろん、国民保健サービス(引用者注:日本でいうなら健康保険組合)が負担しなければならない薬代も大幅に少なくなるだろう。

ずっと昔、医者が今ほど忙しくなかった頃は、患者の枕もとに座って手をにぎり、「あすはよくなりますよ」と声をかけたものだった。こういう医者は生まれながらの治療師だったのである。薬も手に入れるのが容易ではなかったからあまり使わなかった。患者の手を握っていると治療エネルギーが流れこみ、治療プロセスが始まるのである。私は、生まれながらの治療師でありながらそれを意識していない医者に何人も出会ったことがある。彼らは医者としての腕前がいいだけでなく、愛と思いやりに満ちている。



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