見出し画像

中上健次

ひさしぶりに中上健次を読んだ。

中上は20代の頃にハマって、聖地巡礼で那智勝浦や熊野古道にも行った。

池澤夏樹氏の解説にはこうある。

中上健次は特別な作家である。
彼は生涯かけて一つの大きな作品を書いた。
見た目ではいくつものタイトルがあるのだが、しかしすべては繋がっている。
いわば一本の木がそのまま林に生長したかのよう。(中略)
中心にあるのは『岬』、『枯木灘』、『地の果て 至上の時』からなる。太い幹が三本立ち並ぶ三部作である。ここからまた多くの物語が発生した。登場人物を共有し、トポスを共有し、パトスをも共有する一連の物語群のぜんたいが中上健次の文学である。

そう、全部繋がっている。書かれている内容も、中上の生まれ育った場所や取り巻く人物が色濃く反映されていて、彼自身の記憶が作品になったような感じ。だからこそ、聖地を訪れたい気持ちになる。

私にとっての中上の魅力は、生のエネルギー。生きもののエネルギーがほとばしる文章。私は歌舞伎町も大好きで、それもやっぱり、エネルギーがあるから。

この本で印象に残った言葉はこれ。

アニミズムを内に持った者(漁師)への、自然と分離してしまった者(地下の旦那衆)らの、賎蔑視をみる。アニミズムへの畏れが、賎視なり、蔑視なりを生む。

紀伊大島

自然と繋がっている者は強い。どんなにテクノロジーが進化しても、朝が来て夜になって、春になって冬が来る自然を圧倒できるものではない。学がなくともお金がなくとも、自然と繋がっている者は、その意味で無敵。だからこそ、自然と分離してしまった者はアニミズム的なるものを畏れ、それを打ち消そうと蔑視するのだろう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?