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女の機嫌がいい時は


結論から言うと、1ヶ月単位でみて
なかなかカラダもココロも調子の良い時は少ないってこと。

わりといつもご機嫌を保つことができる性格であっても、または意識的に自分自身のご機嫌を保てるように努力していたとしても

どうしてもこうしても1ヶ月の中で大きくホルモンバランスが変化する為に、フキゲン極まりない、モヤモヤしてならん!!!という瞬間がある。個人差はあれど。
その女性が聖人かなんかならまた話は別であるが。聖母マリアはきっと嘆かない。

わりとここ最近はいい調子できていたが、昨日は自分の身体の中で風船がゆっくりと確実に膨らんでゆくように"イライラ"が無限に膨らんでゆくのを感じた。状況的には芸人さんがTシャツの中に風船仕込まれてじわじわ膨らまされ、アワアワしている、アレである。

はっとして、そのイライラ風船を退治せねばとこころみたもののそれも虚しく

同居人に今日なんか、つかれてる?と恐る恐るきかれてしまった。いま振り返ればだいぶ態度が悪かった。ふたりで暮らすにあたっていちばんの不安がこれだった。あちゃー。。。

気遣い120%の同居人に対して

いいえ!イライラしています!

と、堂々とイライラをぶつけ、結局眠りにつくまでひとりでに悶々としていた。

なにも同居人に対してイライラしているわけでも、なにかに対して思うところがあってイライラしているわけでもないのだ。

ホルモンバランスが崩れるとカラダが先導してモヤモヤ体制に入るのだ。ココロはおいてけぼりってわけだ。

そんなチグハグ、すんなり受け入れられるはずもなく、ココロはだんだんと引きずり込まれてゆくのだ。泥沼だ。
そして共にする時間のながい同居人が被害に遭うというこのデフレスパイラル。泥沼に道連れだ。なんともひどい話である。

触らぬ神に祟りなしというが、どっちかっていうと触らぬ鬼に祟りなしというか。

気遣い120%の同居人が状況を把握して、実にそっとしておいてくれたので ありがたかった。

きょう家に帰ってきてくれたら丁重に謝ろうとおもう。



考えやココロが先か、カラダが先か、
男女問わず 崩れている ことは珍しくないと思う。

そんなときは。

全部やめて寝ちゃおーぜ。っていう、


めちゃくちゃ安易な言葉を自分のためにここに置いてゆく。

いやでも全部やめて寝ちゃおーぜ。は
あながち間違っていないと思っている。

もしくは

怒りを知る。

イライラしたり怒りを覚えることは、言い換えれば自分の欲求が叶っていない状況にあるだけであって、

まず、なにかしらを自分が抱えていることに気が付ける。((ヤッタネ‼︎))

そしてつぎにその欲求が通らないのは

他者の判断に委ねているから なのだとしたら、その欲求は振り返らずに捨てていい。はやめに諦めたほうが身のためだと、わたしは考えている。

その代わりに、その欲求の主導権を自らが握る。

たとえば友人が待ち合わせの時間に来ないとする。

はやく目的の場所に行って目的を達成したいのに、友人は来ない。待てど暮らせど連絡もない。イライラして、きたら!はい、ここで問題!(いきなり)

どうする?


他者はかえられない、それを前提とする。

わたしの導き出した答えは、
その友人との約束はプランBにしてしまうということ。(すまんな!という気持ちは少しある)

プランAは、自分だけで行えて自分のためにやりたいこと を存分にやる時間に換えるということ。プランBにはできたらラッキー程度の価値を置く。

たとえば読書。たとえば忙しい日々を一旦とめてゆっくりすること。 なんだってよい。

他者は変わらないし、変えられやしない。
他者に期待するときは、失望する覚悟のある時だけでいい。そう思う。


たとえばホルモンバランスが崩れていて、見たもの触れるもの全てに悶々と、したら?


それら全てから物理的距離を置く のだ。

簡単に言えば、早々に逃げる。

具体的に言えば、全部やめて寝ちゃおーぜ。なのである。(笑)


笑うことと怒ること、同じようにエネルギーと時間を使うのだとしたら笑っていたい。

どうにかこうにかできる限りご機嫌で暮らせる術を、わたしは今日も模索している。

ナスの揚げ浸しにしようと思い
浸水をはしょり
油をケチったら
苦くてたまらないものができた、ときの
まだ美味しくなる可能性を秘めていた茄子(長い)

失敗から学べばいい。

人間も水に浸かったらアクが抜けたら、どんなによいか、ね。

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