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さよなら神戸

幼いころから別れを悲しいと思ったことがない。
別れをどう悲しめばいいのかわからなかった。

昔実家で犬を飼っていたが、高校生の時に死んだ。そのときには悲しめなかった。死んだことを聞いた時にはショックではあったが、亡骸を抱いた瞬間に何も感じなかったので、自分自身驚いた。悲しい感情がいっさい湧き上がってこない。たしかに自分はそう大して面倒を見ていなかったが、10年近く一緒に暮らしていたのである。

似たような状況として、小学校、中学校、高校どの卒業式も悲しめなかった(悲しくなかった)こともある。中高一貫校に通っていたので、中学の卒業式はいつもの終業式と変わらなかったし、高校の卒業式もそうたいして悲しくなかった。仲のいい人とはどうせまた会うし、また会いたいとも思わない人と会わなくなっても、特別悲しくない。そんな風に思えて仕方がなかった。

別れのセレモニーはいつも悲しくなかった。今だってそうだ。式の進行につれて、どんどん気持ちが白けてしまう。

時は流れて、大学入学と同時に神戸で下宿を始める。大学生になったことで、時間と所持金が変わった。深夜遅くに帰っても小言を言われず、何を買ったかいちいち気にされない環境は気が楽だったし、なによりも行動の範囲を広げた。勝手気ままな生活を送った結果、飲食店や服屋の店主との会話をすることが1番の趣味になっていった。今何が流行っているか、店の近所はどんな場所か、どんな人が来るか。そういった世間話がとても楽しかった。

3回生の頃(「回生」というのがとても懐かしい響きだ)の課題レポートで、震災について街の人に聞きに行ったことがある。神戸市にある「春日野道」という場所の荒物屋の店主に、地震の日のこと、街の状況、避難所の経験、そんなことを聞いた。話を聞くうちに記憶が頭のなかで作り上げられ、再現される。煙を上げて町が消えゆく風景が浮かび上がる。まるで、ずっと住んでいた街が崩れ去るような気分になった。その時点で自分が知っていたのは、2年程度しか住んでいない街だったのに。

知らない人たちが、知らない町が、知らないうちに消えてしまった。自分と関わりがないのに、自分の中で1つの別れを告げ、神戸は去って行ってしまった。
神戸の人達と話をして、過去の歴史を知るうちに、自分の中で「神戸」はどんどん拡張されていた。
出会っていたのだ。そして、天災を前にして、いつかの日の神戸は僕の目の前から失われた。
おもえば、別れの式典の同席者は、僕の目の前に現れていないか、失われてもいない。
式典がなくても、別れの瞬間は訪れる。自分の中で、彼の姿が去った瞬間が別れになるのだろう。

別れの場で悲しいと思ったことはない。
誰とも出会っていないから、誰とも別れていないからだ。

作 :ナイアガラすすぎ(Twitter ID: @rice_machine)
出典:2018年作成『さよなら神戸』より。(一部書き換え)

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