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こぼしエッセイ「ものもち」

ハウスダストに弱いくせにウェットティッシュで延々と棚を拭きまくってそのあと小一時間くしゃみをしまくる程度には自分は掃除が好きなのですが、いわゆる「断捨離」というものをあまりしません。物を捨てられないのです。

なので子供の頃に遊んでいたミニカーやダイヤブロックなど、経年劣化で塗装が剥げているのに未だに実家のクローゼットに置いてあります。

3歳くらいの頃におばあさんに買ってもらった日産スカイラインスーパーシルエットのラジコンなどはもう30年近くのあいだ置いてあります。そして20年以上のあいだ乾電池を入れていません。

いま動くのかなアレ…………。ボロボロですが箱ありで、本体は割と美品なので、あと20年ほど寝かせて「開運!なんでも鑑定団」に出して北原照久さんに見てもらおうかなあと漠然と考えています。20年後も「なんでも鑑定団」が続いているのかどうかわかりませんが。


残っているのは玩具だけではなく、本も大量にあるのです。マンガや文庫本はもちろんのこと、児童文学書や絵本も。かつて一世を風靡した「ズッコケ三人組」シリーズや「かいぞくポケット」シリーズ、今でも名高い「ウォーリーをさがせ」など、もうカバーが破損していたり破れているページもあるのですが、それでも今も保管しています。子供の頃はズッコケシリーズを読んでいると「俺、活字読んでる!」とか思ったものですが、今その紙面を見ると、文字の大きさに驚きますな。あか○りさとる作のライトノベルよりも改行が多いことにも驚きますが。


そんなボロボロな状態なのに、どうして捨てられないのか?思い出を大事にしてる?モノそのものに思い入れがあるから?


いや、なんとなく。


…………まあ、「なんとなく」…………な、だけなんですけどね。捨てたら思い出が消えるものでもないと思っているし、逆に、モノだけ残していたところで思い出の方が先に記憶から消えるのかもしれない。

でも、捨てる気にはならないのは、数ヶ月に一度、あのクローゼットを掃除するたびに、ボロボロのモノと久しぶりに再会できるからかもしれません。

その、ボロボロのモノをウェットティッシュで磨きながら、今はボロボロだけどもかつてはこいつらも新品だったことを思い出せたり、思い出せなかったりとかするのです。でも、思い出はあろうがなかろうが良いのです。「こんなやつ、いたっけ?」みたいな感想でも、そこにボロボロなそいつがある以上は、過去との再会なのです。


そして、自分がハウスダストに弱いのだけは、何年経とうが変わらんのです。



#エッセイ #徒然 #テキスト #ハウスダスト

サウナはたのしい。