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叔父の告別式、雑念大量発生

まずは、おっちゃんごめんね。
真摯にお別れをするべき場なのに、雑念が頭の8割を占めていたことを懺悔します。

雑念①は、祖父への尊敬と驚き。
各々で「元気してた?」「喪服買ったんや」なんて会話している中、すみっこの椅子に座ってひとり泣いている祖父がいて、挨拶もかねて隣に座った。

祖父は「ばあばが一人になっちゃったな…」と泣きながら話してくれた。(亡くなったのは祖母の弟さん。曾祖父母は近年に亡くなって、祖母の家族は弟さんだけだったからそう言ったんだと思う。)
この言葉に驚愕。相手の悲しみを想像して寄り添える人なんだなと思った。
「そうやな、じいじが隣にいてあげないとね」って返したけど、たいしていい事を言えなかった孫を許してください。

雑念②はおっちゃんの奥さんへの感動。
納棺するときに、奥さんが「今までお疲れさまでした」って泣きながらおっちゃんに伝えてて、リスペクトってこういうことを指す言葉なんだな、と。うちの両親じゃこれは無理だわ、とウェルカム雑念パラダイス。

私の両親は普通に不仲なので、母に関しては父への悪意やら愚痴やらを、父と仲の良い私に平気で言ってくる。すごいよな。
娘である前に一人の人間として、あぁ…と思ってしまう。普通に考えて、まず自分が嫌いだとしても人の悪口をひけらかすものではないし、それが相手と仲の良い人に対してなら尚更。

そもそも人の悪口を言えるほど自分は立派な人間?不仲ゆえにストレスが溜まるのもわかる、でもそうならないために行動した?そういう疑問が浮かんでくる。娘の立場から見ているだけだから、もしかしたら陰ながらの努力があったのかもしれないけれど、少なくとも2人で真剣に話し合う姿はみたことないかな。

確かに自分を棚に上げて一旦ストレスを吐き出す、っていうのは必要なこと。育ててもらった恩もあるからサンドバッグにならいくらでもなるけれど、でもそれが毎度毎度じゃ、うーん…となる。そもそも私は社会人になってから、愚痴は大量だけど悪口は言わなくなったけどな…その結果得られた言葉は「いつもお前が話してばっかりやもんな」…なるほど。( ^ω^)
母への解像度をもっともっと高める必要がありそうだ…。

といったように、親族の清らかなところを見せてもらって、己の汚さを恥じた日となりました。

おっちゃん。親戚で集まる度に気にかけてくれて、居心地の悪そうにしてた私に一番に声をかけてくれてありがとう。
あまり関わることは多くなかったけど、その姿勢を忘れずに、次の世代に繋いでいけるようにするよ。

どうか安らかにお眠りください。

なみ

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