努力してる暇は無い

今朝のclubhouse「半農半Xルーム」で、"努力"という単語が出た。「努力をせずに結果を得ようとするのは、本質的ではない」とおっしゃる72才の方がいたという伝聞。

以前、stand fmで、「才能とは集中力の型」という話をした。努力とは、頑張ること。頑張るとは、無理するということ。簡単に言うと、快適で無い状態で突き進む、不得意の継続的な克服に向かうこと。

それにより、得られる結果は当然ある。では、快と不快のバランスはどれくらいが人にとって無理が無いのであろうか。

移動は全て走れば、身体は鍛えられる。呼吸は出来るだけ腹式のみ。家庭でもストレッチして切磋琢磨を怠らず、仕事は高い目標と成長を追い求める。

ま、そんな毎日を繰り返せば当然パンクする。私の、安心安全とストレッチのバランスは、9:1か2:8程度だと思っている。絶対的なベースに安心安全があって初めて、伸ばす要素に気を向ける。伸ばす方も、発生型の事案であれば、モチベーティブになりにくいので、よりパワーが必要。自己設定型のものであれば、なお良い。

「得意を伸ばす、長所を伸ばす」というと、安直で短絡的に思えるだろうが、それで良い。自分に肯定的な人ばかり集めた環境に身を置き、否定的な批判してくれる愛の鞭を与える人など不要。批判的な意見は、こちらが求めた時にくれれば良く、土足で踏み込む輩は、その人の自己満足にすぎ無いので、相手にはしない。見守りができるかどうかということ。

努力などでは歯が立たない、「没頭」出来る分野。それを見つけて、それでトンがること。それが自分の好きな分野と絡め、人より求められ、感謝され対価をもらう。それがナリワイである。

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