大好きな母の火葬2日後記。訃報から選び続けたもの。【前編】

※冷やかし閲覧を避けることも踏まえ、途中より有償記事となっております。「私個人の情報が載っている」ことも理由の一つです。「大切な人を亡くされた方」「人生で行き詰まり感じている」「自分を深く見つめ直したい」そんな方に届いて何かの役に立てれば幸いです。

<2022年10月1日 母の命日>

私の誕生月である10月になって間もない日。この日、普段の週末と同じく、埼玉山奥の我が家にある「古民家撮影スタジオ」には、利用予約が入っていた。いつも通りにゆっくりめの起床をし、ご利用客用に部屋の掃除をする。急いで行っていたが、予定より遅れるとのことで、空いた時間をのんびり過ごす。お客様がいらしたので受付をし、小5の息子(離婚後、月2回づつ会いに来ている)を友達の家に送るたまに我が家から山を下って町へ行った。

町へ出ると色々な用事を済ませる。息子や自分の洗濯のために隣町のコインランドリーへ行く。待ち時間の間、近くにあるお気に入りのうどん屋に行って、好物の「肉汁辛ごまうどん」をいただく、美味。幸せなひと時を過ごせていた。

その後、図書館に行って、来春に行う流鏑馬に関する調べ物をする。ついでに、読みかけの本を読みたいのと、気になる本のチェックを行う。この時読んだ本は、NPOもやっている馬に関する本を3点。そして、デジタルツールである「Notion」の使い方の本、さらにはこの日たまたま「終活」の本を借りた。10年ほど前から、人生の終わりかたについて考えるようになる、死の体験ツアーワークショップに通ったり、生前葬について調べていたりした。

町中に借りているシェアオフィスへ行き、仕事をする。そして読書も行う。終活の本はサラっとみて香典の相場のページを見て「なるほどなあ」と感じた。まだこの時は遠く先のことだと感じていた。

20時18分。珍しく姉から電話が来た。私が住んでいるのは埼玉だが、実家の愛知で母と姉は住んでいる。


<8年程前>


母が脳出血と大腿骨骨折で倒れ、埼玉から急いで駆けつけた。手術があり「もし手術で何かあったらどうしよう」と嫌なことも考えたものだ。幸いに手術は成功し、しばらく入院することとなった。私はその頃一部上場企業のサラリーマンだったのだが、仕事に行き詰まっており、肺炎で入院したこともあった。入院し退院して職場復帰したが上手く立ち回れず悶々としていて退職も考えていた。そんな中、母の入院があって、愛知に駆けつけ、母と姉を支えるためにもしばらく愛知にいることにした。幸いなことに会社には名古屋支社があり、数ヶ月は、実家から通いながら名古屋支社出社とさせていただけることとなった。

入院していた母の見舞いをしながら、実家から名古屋支社に通い、積もる話も少ししたりした。その後、東京本社に戻るのだが、私はまた身体を壊して休職し、休職期限いっぱいまで休んでから退職することなる。見えざる力が、私を愛知に呼び寄せてくれたのではないかと今となっては思う。

母は以前、車を磨くパートをしていた。そのせいで手が酷く荒れてしまい、手から吸収した薬品のせいもあって、鬱っぽい症状を発症したことがあった。私が大学の学費返済を滞ったことがありその際には実家に連絡が行ったりした。そういった過去などと鬱の症状もあって、しばらくは母から「実家に帰ってこないでほしい」と言われた時期があった。

脳出血で倒れて入院した時も、入院鬱っぽい症状になって情緒が不安定な時期があり、私は母と会うタイミングを気を使うようになった。

ここから先は

1,117字

¥ 500

期間限定 PayPay支払いすると抽選でお得に!

サポートありがとうございます!感謝感激です、励みになります。