わたし流お片付け 昭和の台所を救え❗️その2
前回の記事からの続きです。
※この話の内容やお宅の写真は、ご依頼主様から公開の許可を頂いて掲載しています。
何十年も開けていなかったシンク上下の棚には、ぎっちりモノがため込まれていました。
下の空間にはタッパーがぎゅうぎゅうに詰まっていて、出すのも一苦労するくらい。
さすがに、古いタッパーは臭いもするので皆サヨナラしました。
新品のタッパーも登場し、これは使えるので残しました。
昭和にはホーローのヤカン、ナベなどが流行りだったのか、一家にひとつはありました。
なんだかデザインも可愛くて。
「新しいものは買わなくても、これを使います❗️」と娘さんも喜んで使うとのこと。よかった。
四角い蒸し器も懐かしく、まだまだ使えるから❗️と、このこも残すことに。
しかし、シンク下には、怪物がいました!!
なんと、ミカンの缶詰が爆発し、回りはシロップが黒くなりベタベタ。犠牲になった鉄鍋はビクともしない❗️
少しづつ鍋周りに水をまいて、薄いカードなどで水分を入れ込むも、かなり強情で無理したら板ごとベリベリと音を立てて剥がれてしまいそうなので、今回は諦めました。次回、道具を揃えて再挑戦します。
とりあえず残したのは、まだかなり大きな食器棚に山盛りの食器や調理器具があるため、食器棚の整理のときに一気に処分することにして、今回はここまでにしました。
考える以上に古い死蔵品と化したモノとの対面、選別は体力も気力も消耗するのです。
一気にやりすぎると、気持ちがついていけなくなり、次に続けられなくなります。
シンクや上下の棚の扉などの掃除も次に。
依頼主の娘さんからも「一緒にやってもらわなかったら、初めのあかずの扉だけで諦めてました。ありがとうございました❗️気持ちが軽くなりました」と言われ、一安心。
一人で作業するより、誰かと一緒だと、さらにやれることが増えたりします。
「背中を押してくる収納アドバイザーの存在はやはり必要だと感じた」といわれ嬉しかった。こちらこそお手伝いさせていただき感謝です。
結局、玄関横のあかずの扉、玄関の下駄箱、シンク上下の棚と、周辺に出しっぱなしになっていた調味料たちが、ゴミ袋31袋分の不用品がでました。
また、娘さんは、まだここには住んでいないので、この不用品たちを指定された曜日に来て、指定された場所に運ぶのも一苦労。
なんせこのお宅はコの字型の一番奥の端っこで、マンションのエレベーターは、全く反対の先にしかないという不便さ。
ゴミ収集場所まで部屋からまっすぐに進めたらすごく近いのに、かなり遠回りしないとたどり着けない。
この日は翌日が燃えるゴミの日だったから収集場所にすてらるからと、デカイカートに乗せて4往復しました。
おかげで、廊下は無事に通れるようになりました(笑)
約8時間くらいかかり、二人ともヘロヘロになりましたが、かなり作業が進んで、本当に喜んでもらえてよかったです。
「あ~、これ家族で旅行いく時に使ってたやつだ!懐かし~い」とか、「お父さん使ってたわ」「お母さんがコレ好きだった」とか色んな思い出も甦り、わだかまりのあったお母さんとの距離が少しだけ縮まったような笑顔がみられたのは嬉しかったです。
しかし、片付けはまだスタートしたばかり。次はさらにため込まれた洋服の仕分けと処分。
そして、洋服や着物、タオル等が六畳間にいっぱいで開けられなかった押し入れも待ち構えています。
さて、どうなることやら(笑)
親の家を片付けることを「オヤカタ」と呼んでいますが、やるなら親がいる間にすることをオススメします。
まぁ、親子で大戦争になることもあり、(我が家はそうでした)なかなかスリリングなときもあるけれど、主の居ない家を片付けるのはさらに疲れます。
親には「沢山モノがあると、危ないからね」などといいながら、片付けを促すのもひとつの手です。
賃貸で退去期限があるときには無理ですが、そうではない場合、一気にやることはないと思います。
今からでも、親のため、自分のために一部屋づつ、引き出しひとつづつでも、気持ちと体力に余裕を持ちながら進めてみてくださいね。
そうそう、あなたが子供の頃使っていたものが、実家に置きっぱになってるでしょう?
まずはそれから処分して、練習するのもいいですね!
サポートなど恐れ多いですが、気に入っていただけたなら、幸いです。