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結局「器用貧乏」はただの貧乏と変わらないじゃないか!

私は今まで「極める」ということをしたことがなかった。
そこそこ は、いけても、「○○といえば、この人❗️」
となるようなことが一つもない。

振り返ってみても、オルガン、そろばん、お習字、スイミング、体操、少林寺拳法、お花、着物の着付け など、習い事全てある程度でやめてしまい続かなかった。

正直、何も身についていない。

文章を書くことが好きで、コビーライターに憧れ、大学には行かず企画制作会社で働きながら勉強した。
そこで教わった、ライティング、デザインも、たしかに役には立っているが、途中で挫折しているので極めたとはいえない。
結局は全てにおいて、中途半端だ。

そつなくこなせるけれど、際立ってすごくない。情けない限りであるが、いわゆる「器用貧乏」というやつだ。
「器用貧乏」を調べると「実際に貧乏なのではなく…」とかいてあることが多いが、いやいや、そんなことはない。たしかに貧乏である。
今、器用なだけだと貧乏にしかなれないのを、実感している最中だ。

たとえば、極めていないから人に教えるとか、セミナーなどを開催する事には繋がらない。自己流マスターも多く、教える自信がないのだ。
また、便利に使われることが多く、私の弱みをつかれているような気がする。うまく表現できないが、クオリティがだめすぎるわけでもないけど、すげ〜!ってものにもならないので、無難なものしか作れず、それ以上に発展しないのである。まぁ、これは私と言う器用貧乏な人だからなのかもしれないが。だから私は正真正銘の器用な貧乏だ。

今更ながらではあるが、あらゆることが平均的にできるよりも、不器用でもひとつを極めた方が自信にもつながり、最終的には役に立つ気がする。

物事を、極める大切さに今頃気づいた次第である。

もちろん、飽き性なのは認める。
いい表現をすれば好奇心が旺盛とも言えるが、ケイゾクが苦手なために
モノにならないのだ。

しかし、私は、まだ本気でやりたいことに出会ってないのだと思いたい。

今自分は何をやりたいのか
どんな、自分を目指すのか
55になって今から何が極められるのか?

考えてもなかなか答えはでない。
あまり考えすぎず、やりたいと思うことをすこしづつやってみる。
そのうち、極められる何かに出会うもしれない。

そういえば昔ある人からアドバイスされた言葉を思い出した。
「三日坊主も積み重ねて行けば、結果続ける事になる!」
たしかに。やりたい事が決まったら、とにかく三日続けてみよう。それをさらに続けていけば、気づいたら何かを極めているかもしれない。

あせらず、ずっと一生かけてやりたいことに出会えるように、色んな人やモノとの出会いを大切にして、何でもチャレンジしていきたいものだ。


極めたものは「中途半端」と、ならないように。

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