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ブロック機能廃止から見える事は?

先日のイーロンマスクの発言から、X(旧Twitter)からブロック機能が無くなるという話で波紋が広がっている。

ブロック機能が無いと困ると言う人も多いだろう。
その心理はよくわかる。今まで当たり前に使えていたものが、ある日を境に全く使えなくなるのは、失うものへの依存度が高ければ高いほど不便である。
例えば、箸が無くなるのとナイフが無くなるのでは、箸の方がナイフよりも依存度が高い為、無くなったら困る(残してほしい)と思う。

私は、ブロック機能を使っていない。面倒なら一時的にミュート機能を利用して、暫くしたら解除している。
なぜそうするのか?
個人的には、ブロックよりもミュートの方が相手に対して効果的と考えているからです。
この二つそれぞれの違いとして、自分の行動が相手に伝わるか伝わらないかがあります。
ブロックした場合、相手からブロックされていますと表示されます。
対してミュートは相手に何かが伝わる事はありません。
「嫌よ嫌よも好きのうち」「愛情の裏返しは憎悪ではなく無関心である」と言う言葉から、ブロック機能は嫌な相手に対して効果的な拒絶になり得ないと思います。
なので私はミュート(無関心)で対応し、相手の関心が無くなった頃合いで解除しています。
なぜ解除するのか?と問われるなら、そこは「一つでも多くの情報が流れている方が社会的だから」とお答えします。

ブロック機能とミュート機能それぞれの特徴と効果の違いを考えてみよう。
まず、ミュート機能は先述した通り特徴は相手への無関心にあり、現実では「無視する」「耳を塞ぐ、目を閉じる、鼻をつまむ」と言った行動と同義になるだろう。
無関心、無反応と言うのは相手からしたらカカシを相手にしているような状態で、とてもつまらない。現実世界では、ここで構ってほしさから固執していく事も少なくはないだろう。
だがXの場合は現実とは異なる。自分が反応したポストと近い性質の投稿をタイムラインにオススメとして表示してくれるので、気持ちが逸れやすい。
よって、ミュート(無視)する事はX上では、相手を遠ざける方法として効果的と考えられる。

対するブロック機能はどうだろうか。
ミュートと違い、相手に対して明らかな拒絶反応を示す事になるのだが、問題はここでは無いと私は考えます。理由を解説します。
まず、ミュートは人間の行動で例えるならいわゆるシカトだ。あくまでも本人の行動一つという特徴を持っている。
しかし、ブロックの場合は相手の行動も制限する特徴を持っており、一つの行動で自分と相手の世界線を操作出来る事は現実世界には無い。魔法だ。
つまり、ミュート(現実的)とブロック(非現実的)ではヒューマニティ(人間性)が根本的に違う。

実際の人間がその“魔法”を使えたらどうなるだろうか?
自分が嫌な相手をブロックした瞬間、自分の世界線からその相手は消えて、相手の世界線でもブロックした本人が消える。
例えば、スーパーの店長と万引き犯がブロックした関係性だとしたらどうだろう。
そうです。万引き犯の思うツボです。店長はその万引き犯の存在が無い世界線に居るため、誰に盗まれているのかわからないのです。
もちろん、目に見えない相手ですから、防犯カメラを確認しても何も無い。だとしたら店長が次に疑うのは従業員になるだろう。

古来から人はコミュニティを形成する事で発展を遂げてきた。それは、あくまでも目の前に仲間という人間が居るから成り立つ。
そこに透明人間が現れたら、そのコミュニティは成り立たない。

私は、これがブロック機能の本質となってしまっていると考えています。
SNS上で出る罵詈雑言、暴言、誹謗中傷は、本質的には「構ってほしい」にある。
そこに、露骨な拒絶を突きつけられたら過激化するキッカケになっても不思議ではない。
事実、LINEでブロックされた事がキッカケになった殺人事件もある。

https://www.mag2.com/p/news/458064/amp


友好的な相手をブロックする事は無いだろう。
自分に対して害的な相手をブロックしているはずだ。
ですがそれは、害的な透明人間を作っていると考えるべきなのかもしれない。
何よりも、ブロックは拒絶反応機能しか備わっていない。つまり、ブロックした相手に直接的なペナルティが無い。
これは、かなり大きなマイナス要因だと思う。
ここだけ見れば、ユーザーの意思を反映できていないと言っても過言では無い。
じゃあ、ペナルティ機能を付けよう!と声が上がりそうですが、ユーザーにペナルティを課す権限は運営が持つ事によって成り立っています。
簡単な話、殺人をする権限を人に与える事は無いのと同じです。
例えばXがブロックチェーン上でのサービスだったとしたら別ですが、そうでは無いし、移行もありえないでしょう。

さて、ここからはブロック機能が無くなったらどうなるのかを考えよう。
私は、先述した通り、ブロック機能は使っていないので何の影響もない。通常運転だ。
では、ブロック機能を利用している人はどうだろうか。
まず、目障りなものを見たくない。と言う理由ならミュートにすんなり移行出来るだろう。
しかし、ブロックしたい相手の中には本気で関わってほしくない相手もいるだろう。そこが今回の波紋の要点になる。
ミュート機能の場合、見えなくする事しかできない。来れなくすると言う相手への制限がかけられないからだ。
方法は無い訳ではない。いわゆる「鍵アカ」だ。
自分のフォロワーさんに嫌な思いをさせたくない。と言う意見ならこれで事足りる。
しかし、フォロワーを増やしたい!と言う目的からは遠ざかる。
この課題をクリアする方法は今のところ無いと思われる。魔法は魔法でしか対処できないのかもしれない。
明らかに度を超えた誹謗中傷等には、通報機能があるが、対応はお世辞にも早いとは言えない。
魔法が解けたXには、サービスの提供側も利用側も新たな進歩が求められるだろう。

良くも悪くも、アナログ時代に見えなかった他人の意見がツールを通して見えるようになった事で、自分の意思を示す事と相手の意思を尊重する事が求められているのではないだろうか。
皮肉にもそれは人間の社会性にマッチする。
つまり、SNSは人にとってある種の幻想の世界だったのだろう。
ヒューマニティ(人間性)から離れた魔法(ブロック機能)は、幻想を加速させる原因の一端を担っていたのかもしれない。

Xの今後のサービス展開に注目しかない。

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