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精神病のエッセイマンガ描いて、つまらないとか評価されるのつらい

もう一昨年のことになりますが、自身の非定形精神病の体験をエッセイマンガにした『ある日、自分の脳から声が聞こえたら』を小学館から発表し、Kindleなどで配信を始めていただきました。

当時は、いわゆる「頭の○るってしまった当事者が体験を漫画にする」という例が今より少なく、私は内心「このエッセイマンガは画期的…」「発表されたら当事者さんや当事者家族さんから反響あるはず…」と少々自惚れておりました。

あれから2年。

今のところ、配信されているコレ、あんまり読まれてません。(お読みくださった方、ありがとうございます!)

当事者さん、当事者家族さんからの反応は2件でした。(リアルな数字)

配信後、なかなか数字が伸びなかった頃は「なぜ?」などと葛藤しました。もっと出版社が宣伝してくれれば違うのでは?と出版社を軽く恨んだり。

でも、2年経って思うのは、

「面白くなかったんだな…」

という、売れない漫画に対するあたりまえの感想です。つまんなかったんだよね、ただそれだけ。

現在もそうですが、当時もまだ精神病当事者のエッセイというのはそんなには多くはありません。鬱病に関しては多いけど、統合失調症などに関してはそれほどではない、特に漫画としてヒットしている作品はないことが現状です。

私はもともとフィクション漫画家で、エッセイマンガ家ではありません。「エッセイマンガの描き方」を知っていたわけではありません。小学館の編集部も担当さんも、エッセイマンガのノウハウはなく、特にメンタルヘルスに理解があったわけでもなく、「闘病ものエッセイはニーズがあるから」と描かせてくれたのでした。

当時の担当さんは、非定形精神病のことを調べたり理解してくれたわけではなく、「私はその病気について知りません。読者も同じ。私に理解できるように描いてください」と、今から思えば作家にすべて丸投げで、このエッセイマンガは始まりました。

すべてが手探り。

こういう風に描けば面白くなるよ、という指針もなく、私も、ただ体験したことを記憶に忠実に描くだけでした。

私の病気の発症は2回ありました。28歳の時と33歳の時です。私見ですが、発症するたびに、脳にすごくダメージがあるんですよね。実は33歳の発症を経て、28歳の発症体験の記憶はかなり曖昧になりました。その、28歳の体験を漫画にする時。もちろんインパクトのあったことは覚えているのですが、記憶の隙間を埋めるために、私は意識せずに、その隙間を「漫画的手法」で埋めたんですよね。

「漫画的手法」って、ちょっとしたフィクションです。

例えば、「発症してこんなことをしてしまった」→「それに対する家族の反応を覚えていない」→家族の反応は一般的な感じに、「作って」おく。

病気の体験の流れは記憶にあるだけ正確に、そのエピソードごとの合間は漫画的手法で埋める。

なぜ私がこのことをわざわざ書くかと言うと、初のエッセイマンガを描き、あまり反響がなくて私が悟ったこと。

エッセイマンガという、リアルな体験漫画こそ、起承転結なり演出なり、ある程度フィクションを入れないと読みにくい。読後感が「面白い」とならない。

と、いうことだからです。

私のこの『ある日、自分の脳から声が聞こえたら』は、前編と後編に分かれて配信されており、主に28歳の発症の部分を描いた前編は比較的に読者の反応が良かったのですが、これは「精神病」という、少し理解しにくいテーマを漫画的フィクションで繋いだ結果、「読みやすい」「漫画として面白い」と受け止められたのだと思います。

33歳の時の発症については、その時抱いた妄想など、リアルに詳しく覚えている部分が多かったです。覚えているからこそ、事実を忠実に描いた結果、後編は読者に受け入れてもらえませんでした。

なんだか長くなってしまいました。後編がなぜ失敗したのか、次回に書きます。

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