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「障害のアウティング」をめぐる一考察

こんにちは。くらげです。
いきなりお堅いタイトルでスミマセン。先日とあるニュース記事を目にし、「障害のアウティング」について考えを巡らせていたのですが、タイムリーなことにちょうど今朝、バイト先でかる~いアウティングを受けた(正確には、アウティングされたなと悟った)ので、この機会に障害のアウティングについて、実体験や今考えていることなどをnoteに残しておこうと思います。
決して楽しい内容ではありませんが、ぜひ最後まで目を通していただけましたら幸いです。(長いのでお時間のあるときに。。。)

受験情報をお待ちの高校生のみなさん、せっかくの更新記事が入試に関係ないものでごめんなさい。もしご興味があれば、勉強の合間にでも読んでみてください。(自分で言うのもなんですが、障害科学類を志望される方なら読んでいて損はないと思います。)

ではどうぞ~


はじめに

どこかで書いたかもしれませんが、私(くらげ)は発達・精神障害の当事者です。本記事は当事者目線で書こうと思いますので、先に自分の障害や疾患について簡単に説明しておきます。(詳しいことはまたいつか……👋)

診断として名前がついているものは以下の通り。
・発達障害(ASD、ADHD)
・聴覚情報処理障害
・うつ病(歴4年ほど、現在は寛解状態)
このほかにもいくつか指摘されている疾患などはありますが、今回は自己開示が目的ではないので割愛します。

*詳細はここでは省きますが、小学生時代はほとんどを教室の外で過ごしており、中3の途中から高3にかけても不登校だった過去があります。大学2年の現在は、心身の不調から授業を欠席してしまったり、アルバイトを休職せざるを得なくなったりといったことはあったものの、比較的まともに生活できていると思います(主観)。

さて、ここで、このnoteを書く目的について少し触れておきます。1つは現時点での自分の考えを整理し、残しておくため。もう1つは「障害のアウティング」をご存じない方、軽視されている方への普及啓発です。
「アウティング」というテーマは非常にデリケートであり、専門家でない人間が気軽に語ってよいものではないと私は認識しています。一方で、アウティングを受けたことのある当事者として、また、日々 障害やソーシャルインクルージョンについて学んでいる者として、語れることがあるのも事実です。
そのため、本記事では主観と客観とを明確に区別することを意識した上で、多くの人にとってわかりやすい平易な説明を心がけたいと思います。ご専門の方から見れば、説明が足りない点やニュアンスの異なる点など、至らない部分もあるかと思いますが、なにとぞご容赦ください。(ご指摘は大歓迎です!適宜加筆修正もいたします!)

最後に、これから書くことの多くは、あくまで私個人の経験に基づいた私個人の考えや意見であり、「これが正しい」との主張をしたいわけではありません。同じ障害を抱える当事者同士であっても、アウティングの捉え方、考え方は人によってさまざまです。
以上お含みおきいただき、このnoteの情報を過度に一般化しすぎないようご注意いただけたらと思います。どうぞよろしくお願いいたします。

はい。毎度のごとく前置きが長くなりました。
では本題に入ります。

アウティングとは

・定義

「アウティング」とは、人のSOGI(性自認、性的指向)について、本人の了解を得ずに、第三者に暴露する行為(ハラスメント)のことをいいます。
本来、アウティングとは人の秘密を許可なく別の人に言うこと全般を指しますが、日本においては「人のセクシュアリティを許可なく第三者に言いふらす」という意味で使われることが多いです。
口頭で話すほか、SNS等で情報を流す行為もアウティングにあたります。

アウティングと混同しやすい言葉として「カミングアウト」がありますが、両者はまったくの別物です。
LGBTQ+に関する話題では、カミングアウトは当事者が自分で相手にセクシュアリティを打ち明けることであるのに対し、アウティングは自分でなく他人が勝手に行うという点で大きく異なります。
たとえば、
・AさんがBさんに、自分から「自分はゲイである」と言うことはカミングアウト
・BさんがAさんの許可なく、「Aさんってゲイなんだって」とCさんに言うことはアウティング
だと言えます。

(余談:カミングアウトされたら?)
「誰にどこまでなら伝えてよいのか」をきちんと確認しましょう。
突然のカミングアウトに困惑する場合もあるかもしれません。そんなときには自分1人で抱え込まず、信頼できる人に(本人の情報を明かさないよう注意しながら)相談してみましょう。電話相談窓口もあります(評判はイマイチですが)。
→「よりそいホットライン」0120-279-338
 24時間365日通話可能。
 4番がセクシュアルマイノリティ専門の相談窓口になっています。

・アウティング被害の深刻さ

この記事は「障害のアウティング」について言及することが目的なので、性的マイノリティのアウティング問題については多くは触れませんが、1つだけ、「アウティング」という言葉が世の中に浸透するきっかけとなった事件をご紹介します。私自身も、この事件に関する本を読んではじめて「アウティング」という言葉を知りました。

【一橋大学アウティング事件】
2015年夏、一橋大学法科大学院に通っていた男性が、同級生に同性愛者であることを暴露されたことをきっかけに心身に変調をきたし、大学敷地内で自殺する事件が起きた。本事件は、翌2016年に遺族が損害賠償を求める民事訴訟を起こしたことで、継続的に広く報道されるようになり、世の中に「アウティング」という言葉が浸透するきっかけにもなった。
裁判では、東京地裁、東京高裁ともに遺族側の請求を棄却したものの(遺族が上告しなかったため控訴審判決が確定)、東京高裁・村上正敏裁判長は、アウティングについて「人格権ないしプライバシー権などを著しく侵害するもので、許されない行為であることは明らか」と言及し、アウティングの違法性が認められた日本初の判決と見られている。

複数のニュース記事よりくらげが要約

★参考書籍
「あいつゲイだって アウティングはなぜ問題なのか?」松岡宗嗣

(またまた余談:筑波大学は「ハラスメントとして対処」)
私の所属する筑波大学は、2018年に「LGBT等に関する基本理念と対応ガイドライン」を改訂し、カミングアウトが「当事者の自己決定に属することを踏まえ、情報のコントロールに留意する必要がある」とした上で、アウティングについて、次のように明記しています。
「(アウティングは)本人の尊厳を深く傷つけるだけでなく、意識的・無意識的な差別を背景として当事者に大きな精神的苦痛を与えます。故意や悪意によるアウティングに対して、本学はハラスメントとして対処します。」
lgbt_guidline_1.pdf (tsukuba.ac.jp)

「障害のアウティング」について

さて、いよいよ「障害のアウティング」についてです。
冒頭に書きました通り、私が障害のアウティングについてぐるぐる考えはじめたきっかけはとあるニュース記事でした。拡散に寄与したくないのでリンクは貼りませんが、「発達障がいの小6 英検2級に合格」というやつです。

本件のなにがアウティングにあたるのか、そしてそれのなにが問題なのか、もう少し嚙み砕いて書きます。

・「発達障がいの小6 英検2級に合格」

ニュース記事のタイトルから想像できる通り、この記事は、発達障害のある小学6年生が、”障害を乗り越えて”英検2級に合格したことを「すごい」と称える内容でした。
この、メディアにありがちな「障害を乗り越えて」という取り上げ方にも思うところはたくさんありますが、本題から逸れるので今回は一旦置いておきます。(気になる方は、「感動ポルノ」(Inspiration porn)という言葉を調べてみると良いと思います。ジャーナリストで障害者人権活動家のステラ・ヤング氏が、オーストラリアのウェブマガジンで初めて用いた言葉です。)

★参考
ステラ・ヤング「I'm not your inspiration, thank you very much」
(TED Talkより)


***
話を戻します。
まだたった12歳の子どもの情報が、保護者とマスコミによって、障害と個人(名前や顔写真、出身校など)が紐づけられた形で安易に拡散されてしまう。これは立派なアウティング行為です。
私はこのニュース記事を見た瞬間に、「え、大丈夫なのこれ?!」と思いました。そして、記事を読んだ上で、決して大丈夫ではないなと考えています。なぜなら、「英検2級合格」という情報に対して「障害を抱えている」という情報が与えうる不利益のほうがはるかに大きいからです。後述しますが、小6で英検2級に受かるほどの能力のある人であれば、将来障害をクローズにして働ける可能性も十分にあり、その選択肢を、自己判断できない子どもの時点で奪ってしまうのはあまりにももったいない、というのが率直な感想です。
実際、発達障害の当事者界隈ではすでに、当該記事に対して「障害のアウティングだ!」と批判する声がたくさんあがっています。

(参考:私のTwitterより)

ここからは、本件をもう少し一般化して、「発達障害のアウティング」について私の考える問題点を述べていきます。(他の障害種、性的マイノリティなどにも通じる点がたくさんあります。)

・社会生活上の問題

「発達障害のアウティング」において私の思う一番の問題点は、先にも書いたように「クローズ就労の選択肢を狭めてしまう」ことです。クローズ就労とは、障害を隠して働くことをいいますが、発達障害者(中でも比較的IQの高い人)にとってこの選択肢は非常に非常に重要です。
私自身、将来もし企業で働くのならできる限りクローズが良いと思っていますし、そのための努力、訓練も必死にしてきたつもりでいます。発達障害のように見た目でわかりにくい障害の場合は特に、そうした障害当事者は多い印象です。

少しシビアな話になりますが、我々発達障害者が生きていく上でまず必要なのは、多様性の尊重でも理解ある社会でもなくて、仕事と収入です。周りにどんなに障害に理解のある人がいたとしても、結婚でもしない限り生活の保障まではしてくれません。
障害理解が進み、障害者の待遇が改善されてきたとはいえ、障害者が健常者並みの収入を得られる職業に就くことには、いまだそれなりの困難が伴います。一般雇用では、「検索したら発達障害者だとわかる」だけで就職における難易度が各段に上がってしまうのが現状です。

もちろん、障害に理解のある職場で、必要な配慮・支援を受けながら働くことができ、かつパフォーマンスを正当に評価してもらえるのなら、それは素晴らしいことだと思います。障害者雇用で働くこと、あえて障害をオープンにして働くことも、選択肢としては大いにアリでしょう。あるいは、障害を活かせるような職業に就くのも良いかもしれません。(近年は障害者に理解のある企業・団体も増えてきていますし、こういった選択をする人も増えていくのだろうとくらげは思っています。)
発達障害を隠すこと、すなわち凹の部分を自力でカバーすることは、心身ともにものすごいエネルギーを必要としますし、当然相当なストレスがかかります。クローズ就労をした結果、採用まではうまくいったものの、結局「使えないヤツと評価されてクビ」「うつ病になって休職」などという話もザラです。

一方で、障害は隠せるのなら隠したほうが得だと思わざるを得ない場面も、やはり少なくはありません。就職活動ではもちろんのこと、就職してからも、障害を理由に不当な評価をされた、差別をされた、というような声は、残念ながら現在でもよく見聞きします。
発達障害当事者の先人たちの様子を見ていると、ごく一部の「障害を活かして」「理解のある職場で」といった成功談が目立ってしまっているだけで、実情はもっとずっと厳しいのではないかと、私なんかはどうしても思ってしまいます。(だからなるべくクローズがいいなぁと考えているわけです。)

この社会が、障害によって差別されず、合理的配慮を当たり前に受けることができ、労働の成果が正当に評価される社会であれば、無理にクローズ就労を狙う必要なんてありません。しかし、生憎そのような社会はただの理想の姿にすぎないことがほとんどです(今のところ)。ここにキレイゴトの入る余地などなく、目先の自らの就労を考えるときに見るべきは当然、現実の社会となります。

だからこそ、クローズにするかオープンにするかといったことは障害当事者本人が決めるべきだと思います。親だからといって、アウティングをしていい理由にはなりません。

(余談:もう少し身近な例を)
発達障害のアウティングに関する警告として、分かりやすくて良いなと思うポスト(ツイート)があったので、2つほど載せておきます。発達障害当事者の方、その親御さまなどは特にご参考ください。

より感覚的なお話

・心理的な問題

クローズ就労だなんだと言っても、いまいちピンとこない方もいらっしゃると思います。なので、今度は私の実体験をもとに、感情ベースの話をします。

まず1つ目。
冒頭に書きました、今朝の「かる~いアウティング」の事例を取り上げます。バイト先の先輩とこんな会話がありました。(以下、分かりやすいように少し改変しています。)

Aさん「そういえばしばらく休んでたけど、体調はもう大丈夫なの?」
くらげ「あ、もうすっかり!ご心配おかけしました」
Aさん「Bさんが、くらげさんうつでしんどそうだって言ってて、心配してたんだよね」
くらげ「ああ……いやまああのときはちょっと病んでましたけど、もう大丈夫ですよ!笑」

私はうつ病を抱えていますが、バイト先ではそのことを大っぴらに明かしたりはしていません(親しい同僚など、ご存じの方もいます)。以前休職した際にも、上司へ必要な説明はしましたが、それ以上のことは開示しませんでした。

もうお分かりかと思いますが、私はこのAさんへ、自分がうつ持ちであることを明かしてはいませんでした。にも関わらずご存じだったので、「ああ、Bさん言っちゃったんだな……」と思ったわけです。定義上、これは十分アウティングにあたります。
私の場合は、自分の障害や疾患を比較的オープンにしていること(大学内で接点のある人はだいたい知っていて、こうしたnoteやSNSなどからも容易に特定が可能)、仕事において人並みの実績をあげていること(平たく言えば、障害等を理由に今更クビになることはないだろうという自信がある)などから、アウティングを「被害」として捉えることは実はあまりありません。特に今朝の一件は、「病んでいる」という意味での「鬱」にすり替えることが可能でしたし、Aさんはバレてもいいやと思える相手だったので、より程度の軽いものでした。

一方で、それでも一定程度の心理的ストレスはかかります。予期せぬタイミングで予期せぬ相手から自分の病気について聞かれる。これは私のようなタイプであっても、多少なりともドキッとしますし、焦ります。
また、「いつから知っていたんだろう?」「○○さんも知っているんだろうか?」「どんな風に思われているのだろう?」というような不安にさらされることにもなりかねません。

大学やバイト先などの狭いコミュニティでは特に、さまざまなところで「知ってしまう」「察してしまう」ということがあるかと思いますが、それを第三者に言ってしまう(=アウティングする)ことは控えていただけるとありがたいなぁと思います。

・善意からのアウティング

感覚的なものとして、もう2つほど事例を挙げます。
「良かれと思って」アウティングしてしまうケースについてです。

たとえば、障害当事者のコミュニティや、障害科学類のような障害や障害者の存在が身近なコミュニティでは、「Aさんも発達障害らしいよ」「Bさんと精神科が同じでさぁ」というような会話が飛び交うことが少なくありません。「同じ障害種の仲間を紹介してあげる」というようなニュアンスで、アウティングされてしまうわけです。
これはプラスに働くことももちろんあります。同じ当事者性を持つ人とつながる機会を増やすことができる、とアウティングを肯定する人もいるほどです。
しかしながら、やはり捉え方は人によってさまざまです。
「なんでこの人が知っているんだろう?」「このコミュニティ内では明かしたくなかったのに」というようなことも頻繁にあります。


……そろそろ疲れてきました。
最後にもう1つ、アウティングだと自覚されにくい例を挙げて終わりにしたいと思います。(まだ続くんかい)

こんな場面に遭遇したことはないでしょうか?

~とあるミーティングにて~
Aさん「じゃあはじめるよ~」
Bさん「くらげさん、議事録お願いしてもいい?」
くらげ「はい、やりま……」
Aさん「あ、Bさんごめん、くらげさんちょっと障害あって議事録難しいらしいんだよね。だから私がやるよ^^」
Bさん「そうだったんだ、ごめんね!じゃあAさんお願いします」
くらげ「あ……いえ、こちらこそすみません……」

ミーティングや勉強会など、集団での活動の場において、こうしたことは実はわりとよくあります。「言い出しづらいかもしれない」「この人にはみんなで配慮しなくては」というような優しさから、アウティングしてしまうケースです。
プラスに働くことがないとは言いませんが、(善意からであっても)これは障害当事者の意思を無視した行動であり、当事者を「あの人は障害者だ」という好奇の目にさらしてしまうリスクもあります

上の例は実際に私が経験したことですが、このとき私は「この環境下であれば議事録を担当できる」と踏んで引き受けようとしていました。少し細かい話になってしまいますが、障害種によっては、―たとえば私のもつ聴覚情報処理障害では、場所や人数、相手など、環境によって聴き取りのレベルが大きく変わります。
そのため、多くの障害当事者は「今日ならいける」「今日は厳しい」という具合に、時と場合によって都度「配慮をお願いする必要があるか≒障害を明かす必要があるか」などを判断をし、うまーく動いています。そして必要に応じて、自分の意思で ”カミングアウト” します。
(※「配慮を求めても無駄だから、それなら言わないほうがマシだ」などと、ある種の諦めを抱いている場合もあります。そうしたものも含め、当事者の意思であり、選択です。)

傍目から見れば、「こないだは配慮を求められたのに」という風に思われることもあるでしょう。この類いのアウティングが善意からのものであるということも十分に理解できます。
が、我々当事者も自分なりにいろいろ考え、工夫して生活しています。(くらげはなにも考えていないときもたくさんありますが……笑)
なのでどうか、障害を明かすか否か、その選択権を奪わないでほしいなと思います。

その上で、「配慮なしで大丈夫かな?」「カミングアウトしづらそうだな」などと心配になったときには、本人に直接声をかけてみると良いのではないでしょうか?
私も、「マイクなしで大丈夫?」「結構人多いけど平気?」などとさりげなく声をかけてもらえると、とても嬉しく思います。実際、何度もそうした心遣いに助けられてきました。そして、自分もそうできる人間でありたいと常々思っています。

優しさが優しさとして伝わるためにも、「障害のアウティング」について、ぜひ少し目を向けていただけるとありがたいです。

おわりに

自分の考えを少し残しておくだけのつもりが、ずいぶん長くなってしまいました。
稚拙な文章にも関わらずここまで読んでくださった方、本当にお疲れさまです。ありがとうございます。

散々真面目なことを書いたあとでなんですが、障害者との付き合い方について、必要以上に深く考えたり構えたりする必要はまったくないです。
この文章をここまで読んでくださった方は、おそらく普段からすごく真面目に、障害や障害者に関わる事項について考えてくださっているのだと思います。だからこそ、もっとゆるーく捉えていただければと思います。(ゆるく書けない私が悪いんです;;)

「アウティングっていうんだ~。知らなかったな、ちょっと気をつけよ~」くらいの感覚で全然大丈夫です!
ゆるく楽しくいきましょう。

ではでは。

参考

・OUT JAPAN ホームページ>コラム「アウティングとは」
 (アウティングとは | Magazine for LGBTQ+Ally - PRIDE JAPAN (outjapan.co.jp)
・日本ノハム協会 ホームページ>SDGs用語集>「アウティング」
 (アウティング | SDGs用語集 | 一般社団法人 日本ノハム協会 (noharm.or.jp)
・よりそいホットライン「性別の違和や同性愛に関わる相談」
 (性別の違和や同性愛に関わる相談 | 一般社団法人 社会的包摂サポートセンター (since2011.net)
・Wikipedia「一橋大学アウティング事件」
 (一橋大学アウティング事件 - Wikipedia
・ヒューライツ大阪 ホームページ>国際人権ひろば No.156(2021年03月発行号)「特集:アウティング ー『暴露』『さらし』を考える」
 (一橋大学アウティング裁判から考える 暴露行為の被害の本質 | ヒューライツ大阪(一般財団法人アジア・太平洋人権情報センター) (hurights.or.jp)
・NHK福祉情報サイトハートネット 記事「LGBTと”アウティング”」
 (LGBTと“アウティング” - 記事 | NHK ハートネット
・松岡宗嗣(2021)『あいつゲイだってーアウティングはなぜ問題なのか?  ―』柏書房
・筑波大学 ホームページ>NEWS>関連資料「LGBT等に関する筑波大学の基本理念と対応ガイドライン(改訂版)」
 (lgbt_guidline_1.pdf (tsukuba.ac.jp)
・TED Talk-YouTube「I'm not your inspiration, thank you very much」
 (ステラ・ヤング: 私は皆さんの感動の対象ではありません、どうぞよろしく - YouTube
・「発達障がいの小6 英検2級に合格」のニュース記事



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