辛いことはある意味洗濯みたいもの
年を取ると免疫がでてきて、ある程度まあ、大丈夫とおもえることが増える
もちろん、つらい経験はしたくないけれど、
その時に感じたことがあとで2倍も3倍も大きくなって自分の宝となっている
嫌になって逃げたくなることもあるし、逃げたこともある
でもそんなときは自分を責めてさらに逃げることもあるだろう
でも、喉元過ぎれば熱さを忘れる というように
時間も大きな解決の味方になり、自分の考え方もまたかわっていく
なにより、自分が実験台としてみれば、
〇経験したつらいことは結果的にそれがあったから
得たものが多きかった(考え方、学び、価値観)
〇悪いこと考えるとやはり悪いことが起こる
〇悪いことを悪いと捉えない考え方を学び
ああ、これは意味があって、自分が幸せになるための出来事なんだなとか
ころんだとしても、これだけのけがでましなんだなと
いうような柔軟な考えがつくようになった
なにより、、インスタやSNSでみんな幸せそうとみえてしまうのは
これは間違いで、その背景にもみんな悩みがある
人生のできごとが同じことがあったとして
Aさんは
しあわせな人生だった
Bさんは
不幸な人生だった
ということがある、これは受け取り方考え方の違いだと思う
一緒にいろんな人といてもハプニングがあった場合でもそれは感じる
辛さは、人生の洗濯みたいなもので、ずっととどまっているものを
一層させる、そして、考える、行動する、などなにかのきっかけになる
私は以前の辛さがあるので、アレに比べればと思ったり
ちょっとしたことでも幸せを感じるようになった
普通の人が気が付かないことでも
これが宝だと思う。
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