人悲しみの中に改めて日々の生活の幸せを忘れてる
昨日
実は少し悲しいことがあって泣きました
こんな歳でも涙が出るようなことはあります
でも寝ると不思議と
言葉を後からきちんともらってるのに。。
それが誠実さと真心と気持ちがあるってことなのにとか
それでも〜があるからなぜ感情的になってしまったのかな。。。とか
去年に比べればはるかにマシなのに我慢を何処かしてたから欲がでてしまったのかなと
今あるものでそれでも〜だったらいいなぐらいでよいのにと前向きゲームが顔を出します
それでも、気持ちを落ち着けるにはこの時間まで時間がかかりました。
比べる以前お恥ずかしいほど
ヤフーニュースに東日本大震災の孤児が精一杯生きてる記事が目に止まりました
自分が恥ずかしくなりました
悲しみの内容が自分があまりに幼稚で贅沢なことかと、被災者の悲しみは比べ物にならないのに
今回別に偽善者ぶってるわけでもなく、
被災者の話をするわけではなかったのですが
普段の生活の中で人はこのように悩み苦しみが果てしないと思ってしまいがちで
普通の生活してることが、こうやって些細に悩みを抱えてるのが実は幸せであると気が付かされます
何気ない日常のなかでいかに幸せを見つけていくかが、生きることを委ねて幸せを満たすと言うことではないかと思う午後でした
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