10-2-5「理屈っぽい」について考えてみた
キングコング西野亮廣さんを「理屈っぽい」と言った人がいました。
わたしは西野さんのことを理屈っぽいと思ったことはなくて、ちょっとびっくりしたんです。
西野さんを好きなわたしも理屈っぽいのでしょう。
実際、「理屈っぽい人は、理屈っぽい人が好きなんですね」と言われました。ワハハ、そうなのね。
ふだんあたりまえすぎて、わかっていなかった「理屈っぽい」とはどういうことか、について考えてみたいと思います。
「理屈っぽい」と聞いて、どんなイメージを持ちますか?
わたしはあまり良いイメージはないです。言われて嬉しい人っているのでしょうか。誰かを理屈っぽいなぁと思ったとしても、あまり直接的には伝えないような気もします。
右脳と左脳があって、人は思考するときに主にどちらかを使っているのではないかと考えています。
極端なはなし、左脳優位の人の話しは右脳派の人には「理屈っぽい」と聞こえる。右脳優位の人の話しは左脳派の人には「何言ってるかわからん」となるのではないでしょうか。
うーん。
わたしはどちらかというと左脳派だと思います。説明書を読むの好きだし、映像よりも文字で理解したいタイプだからです。
右脳派と左脳派、どちらが良い悪いはないと思いますし、主として使うのがどっちかなだけで、みんな両方使っているのだと思います。
「理屈っぽい」人は説明をしたがる、理論的に話す傾向が大きいと思います。それが聞く相手によって、「話が長い」「めんどくさい」「理屈っぽい」となるのかもしれません。
西野さんはいつも丁寧にわかりやすいように話しや説明をされていて、すごいなぁと思っているのですが、それをただ「理屈っぽい」と、とらえる人もいるんだな、とはじめて知りました。
わたしは自分のことを暗に理屈っぽいと言われて、一瞬ネガティブになりました。でもいまは
「ふーんそうなんだー」
と俯瞰できています。
「理屈っぽい」じゃなくて「理論的」って言ってよ。て感じです。
右脳派の人は絵や音楽で表現するのが得意。
左脳派の人は理論的な話しや文章で表現するのが得意。
思考を伝える手段は言語化だと思うのですが、思考をすべて言語化できるわけではないので、すべての考えを100としたら、言語化できるのはそのうち40くらいだそうです。
わたしはここ数年、自分の考えを言語化したいと思ってきました。そのために学んで試行錯誤しています。(現在進行形)それがここにきて理屈っぽいと言われるのは、意外と嬉しいことなのかもしれません。
はい。ポジティブです。
まー、話しが長い人、めんどくさい人と思われてしまうと、こちらの言いたいことが伝わらないので、そこは気をつけようと思います。
ではまたー( ´ ▽ ` )ノ
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