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私は幸せになることに決めた。

ここのところ、メンタルも身体もボロボロだった。
胸は常に押しつぶされそうに苦しいし、めまいも酷かった。夕方には吐き気がおそい、フラフラなのに夜は眠れない。
病院へ行って、とりあえず吐き気がするということから胃薬を処方された。
けれど良くなってるのかいないのか、なんだか判然としない。

気持ちもずっと沈んでいた。
胸がざわざして、もう目の前に絶望が迫っている気がして仕方がなかった。
常に最悪の状況しか想定できなかった。

「悩みなんてなーんにもないわ」

例えば、魔女の宅急便のオソノさんみたいな風貌でこんな台詞を言っているおおらかな女性を想像してみる。

いいなぁ、そんな風になりたいなぁ、と思った。
そんな台詞私には程遠い。
いつも不安と焦りとあらゆる恐怖が私の隣には伴走している。
私が着ているのは重たくて黒い、濡れそぼった引きずるほど長いコートだ。

悩みなんてなーんにもない、と言うには薄くて軽いトロピカルカラーのワンピースを着なくてはいけない。

私は、そんな服着られない。
(現実に着ているかどうかではもちろんなくて。赤いワンピースも着ます。)

けれど、ふと思った。
なぜ着られないのだろう。

かわいい三人の子どもがいて、ありがたいことにお仕事もいただけている。そして、それに理解がある夫がいて、いつも的確なアドバイスをくれる。


私は何に悩んでいるんだろう。
どうして私は、
「悩みなんてなーんにもないわ」
と言えないのだろう。

思い切って口に出してみた。
「私、悩みなんてなーんにもない!」

あら不思議、悩みなんてなんにもない、がぐっと近づいた気がした。
私だってトロピカルカラーのワンピースを着てもいいのじゃないの。

でも、なんだか罪悪感が伴うのだ。罪悪感の正体を手繰り寄せる。

実家の母が過ぎる。
私の父はもう何年も病気で寝たきりで意思疎通も難しい状態が続いている。
実家は会社を営んでいるので、父が病に倒れてから母は会社のあらゆることを背負ってきた。
必死で走り続けた母は、今年の春、ついに緊張の糸が切れ、適応障害と診断され、入院してしまう。
すると、今度は近くにいる姉が全てを背負うことになった。

私は遠く離れた町で、母や姉の苦労を聞きながら、何もすることができない。
彼らの話を聞いて何かぼんやりした優しい言葉をかける事しかできない。

一年くらい前に、母に言われた言葉が脳裏をかすめる。

「気楽なのはあんただけよ」

そこに他意あったのだろうか。なかったかもしれない。
けれど、私の心には深く深く刺さった。
そして、その針は今も時々私の心を刺激する。
私の気楽さが誰かの苦しみを助長するのかもしれない、そんな思いが消えないのだ。

もし私が、黒くて重いコートを脱いで、軽くて明るいワンピースを着たら、私は母や姉と繋がることができなくなるような気がしてしまう。
私がその服を着てしまったら、遠く離れて暮らしている私は、ますます彼らから遠のいてしまう。そんな思いがどこかにあった。
私はいつしか幸せになろうとする自分にあらを探して、よくわからない難癖をつけていた。それがいつしか大きな歪みとなり、私は破綻しようとしていたのだ。

でも、そんな合理性のないことを誰が望むのだろう。


私は幸せになることに決めた。

悩みなんてなーーーーーんにもない、私になるのだ。

私が思いつめたお母さんでいたら、子どもたちは私に遠慮して思いっ切り幸せになれないのではないだろうか。
母に遠慮している私みたいに。
私は私の仕事を楽しんで、私は私の生活を楽しめばいい。
悩みなんてきっとほんとうはなんにもないのだから。


今すぐチャンネルを切り替えることは難しいかもしれないけれど、子どもたちがうんと大人になる頃には、好き放題あちこちを飛び回る自分勝手なおばちゃんになっていたい。
私は存分に幸せだから、君たちは好き勝手にどこまでも幸せになあれ、というメッセージを込めて。


#エッセイ #幸せ #生きかた




また読みにきてくれたらそれでもう。