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みんな誰かの弱音を待っている

私、みんな頑張ってると思うのだ。
みんなすごく頑張ってるから、これ以上みんなが頑張ったら日本中の気温が5度くらい上がって、温暖化が進みすぎて大変なことになるんじゃないか、と割りと本気で思ったりしている。
これ以上、頑張る方向に持っていくことないんじゃないだろうか。
少なくとも私の周りはみんな本当に頑張っていて、誰を見たってもういいよ、もう少し楽になろう?って言いたくなる。

そしてみんなすぐに言うのだ。
「みんな頑張ってるし」

その、みんなのうちのひとりがあなただったりするのに。
ほとんどのことは実はやってもやらなくてもどうでも良かったりする。
これはすごくほんと。
頑張りのハードルを日本全国で下げたほうがいい。
その結果、きっと、本当にやるべきことが守られるし、本当にやるべきことが達成できる。

みんなが頑張ったら、隣の誰かも頑張ってしまう。頑張りの上に更なる頑張りが乗っかって、頑張りの過剰摂取が行われて、結果、どっかのスーパーマンみたいな頑張り屋さんがお手本みたいになって、頑張ってる人が頑張ってないみたいになって、もっと頑張らなくちゃって頑張りの連鎖が止まらないのだ。

無理だよって言ったら、隣の誰かも、ほんと実は無理だよねって言えるのだも。
それって、すごく平和。
だからみんな、できないよって言おうね。

私があれもこれも頑張ってちゃんとしたお母さんをすると、将来娘や息子の首を絞めやしないか、危惧している。
こんなにちゃんとごはんを作ったら、将来娘は「私の母はいかなる時もちゃんとしたごはんをだしてくれていたわ。だから、私も子供たちにちゃんとしたごはんをいかなる時にも…!」と、無理して頑張ってしまうんじゃないだろうか。
はたまた息子が「僕の母はどんなに疲れていてもちゃんとした食事を提供してくれていた。なのに君ったら…」と奥さんのストレスになったりして(もちろん、息子には家事全般は家族全員に権限と采配があると教えていくつもりだけど)。
いつも水回りがピカピカで、どんな時も機嫌よくニコニコしていて、いつでもきれいにお化粧をして、弱音も文句も言わないお母さんだったら、未来の子供たちが頑張りすぎたり、頑張りをパートナーに求めたりしないだろうか。
と、こんなことを思う次第なので、私はなるべくの努力の上でもってポンコツでいる。
お風呂の椅子がなんかぎょっとする汚れ方してたって、洗濯物がしわしわになってたって、石鹸切らしたって、お便りなくしたって、それらは実は努力によるポンコツの振る舞いだったのだ。夫よ聞いてますか。

放っておいたってみんななんだか頑張るんだから、私が彼らに教えるのは頑張らないことだ。
頑張りは自分が本当にやるべきことに取っておけばいい。
そして、やるべきことってつまりは君がやりたいことだと叩き込んでゆくよ。

また読みにきてくれたらそれでもう。