やるべきことをやらない。
あ!あれやらきゃ!!
あ!これも今日やらないと!!!!、
あ!!ポカリ飲まなきゃ!!
ポカリは飲めぃ!!!!
でも、やるべきことを全部やるな!!!
死んじゃうぞっ☆"
この『やらないとならない』という囚われから逃れられていない人が多いこと多いこと…
ほんまにそう??
ほんまに今日絶対にやらないとダメ?終わり?
究極の極限まで考えてみて欲しい。
正直、マジでやるべきことをやらなくても死なない。
誰かに迷惑がかかったり、助けてもらったりすることがあるだけで、何のこともない
でも、きっとこの"誰かに"という部分に執着して逃れられないところが大きいんじゃないかと思っている
そこにはいろんな理由がある。
選択肢としてまず入っていない。
自分でやることが当たり前、自分しかできない。
そして多いのが、迷惑をかけたくない。これ。
それは
・申し訳ないという気持ちから始まり
・誰かに貸しを作ることを嫌う
・最終的に自分が困るから
・自分で処理する方が早い
とかその辺りの理由が大半な気がしている。
(気がしてるだけ
つまりは、背負わなくても良いランドセルを背負っている。
ランドセルじゃんけんしてないのに勝手に友達のランドセルを5つ背負って1日を過ごしている。
冗談抜きでそのレベルだ。
『やるべきこと』は果たして本当に今やらないとダメですか?
僕はまったくそうは思いません。
いやいや、あなたは子育てをしてないじゃない。
ん?してるし。
でも今は別居してるから一人暮らしだからなんとでもできるのよ!!!!
んんんん、そうかもしれないですね。
だけど、子どもの為の時間というのは24時間じゃないといけませんか?
12時間ではいけませんか?
6時間では足りませんか?
3時間では育児放棄ですか??
1時間なら虐待ですか???
↑覚えといてね
いいえ、ちがいます。
アザー、他人です。(なつかしのCMを)
僕が経験したのは、子どもと離れて暮らしてからのこと。
現在も含め、別々に暮らしているが週に2、3回子供に会いに行ってたくさん話をするようにしている。
なんなら、一緒に暮らしていた頃よりもたくさんのことを話す。
たくさん会話してたくさん笑ってコミュニケーション量が格段に増えた。
なぜなら仕事から帰ってきたらご飯を食べて、そこで話して、あとはお風呂に順番こに入って塾の課題をしたりしてるうちに「おやすみ〜」となる日常だったから
じゃあ時間としては1時間ほどしか子どもと会話していないことになる。
それは、いわゆる虐待にあたると思いますか??
時間ではないんですよ。
『暮らしている』という環境こそが大切なんです。
僕が泊まらずにこっちの家に帰るとき
『お父さん帰ってまうん?、』と聞かれるたびに本当に胸が傷んだ。
帰ってまうねん。
ここにおったらな、死んでまうねん。
選択肢は『自分を生かすこと』に焦点を当てている。
どれだけたくさん話しても、どれだけ笑い合う時間が増えても『暮らしているという環境には勝てない』
だけど勝てないから、負けるというわけではない。
僕は五分五分の引き分けにまでもっていく。
あなたのそのやるべきこと、やらないといけないと思っていることは、絶対に今ですか?
絶対に今日ですか??
その時間じゃないと絶対死にますか??
よくよく考えてみてください。
あなたが"生きていると感じられるその環境"こそが時間を超える。
或いは同じ価値にまで持っていける。
やるべきことに囚われていると、環境を見逃すかもしれませんね。知らんけどね。
ちょっと難しい話になったかも。かも。
解説して欲しい人は、また声かけて。
2022.1.18 うつ病と生きる青年
(環境 vs 時間 は引き分けに持っていけ)
サポートしていただいた収益は全て今後の青年さんの活動時間および、敷金礼金への支払いに使わせていただきますことををををををををを。