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野坂昭如の五十歩

昭和を代表する作家のひとりである野坂昭如は、令和の時代にあっても「火垂るの墓」の原作者としてその名を記憶されている。

彼の書く小説は、あまりに猥雑で煽情的であったが、エッセイには、度し難いほどのセンチメンタリズムが横溢していた。

昔読んだもののなかで、確か、五十歩の距離というタイトルのエッセイがあった(もしかしたら卑怯者の思想かもしれない)と思う。

太平洋戦争の頃の話で、おそらく東京(もしかしたら新潟)における空襲に関して書き綴られていた。

空襲の際に、近しい者が瀕死の重症を負い、自分は助かりたい一心から一心不乱に逃げだしたというエピソードであった。


ご存知のように、五十歩百歩という慣用句は、それほど差のない時に使用される言葉である。

少年だった野坂は、あの時、自分は逃げ過ぎたと後悔し、回想する。

たかが五十歩の距離の違いではあるが、その五十歩は決定的に違うのだと彼は吐き捨てる。


初めてこの文章に触れたのは大学生の時であった。

誰もが、逃げる。だから逃げることを責められはしない。まして戦時である。生命が脅かされる状況だったのだ。

しかしながら、自分は逃げ過ぎたのではないかと、自答する。

作家の心の揺れのようなものに、あの頃の自分は確実に共鳴していた。

あれから遠く離れた現在、昨日のことのようにそのことを時折、思い出す。



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