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阪神淡路大震災

あれから25年が経ちました。

その時、私は東京で仕事についていた。神戸にある大学を卒業し、親戚や友人の多くが神戸・芦屋に住んでいた地で天災が起こった。

大阪の実家に電話をかけ、まったく電話が通じなかった恐怖は今でも覚えている。なぜ俺は東京にいるのだろうという言葉が心に浮かぶ。

叔母を除き、他の人たちの無事を確認できたのは、それからだいぶ経った後だった。

落ち着いた後に母親から聞いた話によると、祖母は地震と同時に祖父の位牌を持ち出し、玄関から飛び出たらしい。当然のように家屋は倒壊した。

作ったようなエピソードを電話越しに聞いた時に、曰く言い難い感情に私は襲われた。

それから後、仮設住宅に祖母を訪ねた。50メートルほど手前から祖母が誰かと親しそうに話している立ち姿を認めた時に、何も変わっていないなと同時に何もかもが変わったという気持ちが私を包んだ。

両親と私の家族とでおじゃました。天気の良い日で、仮設住宅は一人暮らしにしてはそれなりの広さであった。

私の息子を見て、人見知りしないでよう喋りはるわ、といった声は決して忘れない。

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