見出し画像

交通事故で入院中の病室日記 その5

解放

点滴に繋がれ、レナシスという傷口から出る廃液(血液や水分)を吸い取る機械を足につけられ、移動時はそれらを連れて行きながら車椅子での移動。もちろん一人では行けない。動くたびにナースコール。トイレでも検査でもリハビリでも。夜中はそんなの引き連れて車椅子用トイレに行くこともできず、差し込み便器という小さなポータブルトイレで用をたす。寝返りをうとうとしても、左右に点滴の管やレナシスの管が繋がっているので自由に横にもなれず、引っ張られて傷は痛む。まあ、寝たきりではなくても、一月半以上そんな束縛の中での生活でした。

それも先週金曜日まで!3月26日一粒万倍日・天赦日・寅の日のトリプル開運日に、ついに最後まで残っていたレナシスが外され、植皮を保護していたテープも外されて、自由の身になりました。

「ここからが大変なんだよ。乾燥は厳禁、毎日ケアしなくちゃならないし、まだまだ感染の恐れもあるから」って担当の先生は言うけど、なんの束縛もなく自由に動けるのは本当に嬉しい!
早速今日は、朝のクラブハウスの時間になった途端にデイルームへ直行!思う存分話しました(^^)
楽しい!!

抜鉤(ばっこう)

最近の医療(と言ってもそんなに最近ではない)では、大きな傷は縫うのではなくて金属の留め金(ホッチキスみたいなやつ)で止めるのが主流。で、足の方の植皮も縫ってあったり細いホチキスで止めてあったりしていた。

でもそれより、採皮した側の腹の傷これが大きかった。右の脇腹から左の脇腹まで大きく開いた傷口を太めのホチキスで止めてある。
包帯取りました。テープ外しました。植皮したところの薄い方(頭から取ったものを植皮した部分)の抜鉤をしました。

さて次は腹です。元々止まっている部分も痛かったのよね。傷ではなくて、金属の部分が引っかかって。その上、先生たちが「腹の抜鉤って痛いんだよな」「俺子供の頃盲腸やった時すげー痛かった」などと話だす。いや、痛いでしょうよ。今でも痛いもん。で、何針?って一人の先生が数え出した。しかし、途中で断念して「60ぐらいかな」と。多分20ぐらいまで数えて概算したのかも。きっと60よりは多かったと思われ。それを一本ずつ抜くたびに「うっ!」と言う痛さ。60数本の痛みに耐えました。先生もご苦労様!

読書

Wi-Fiが切れてから、読書とゲームの日々。と言っても、せっかく息子に持ってきてもらったSwitch。
ポケモンはおばさんにはなかなか難しいのよね。ちょうど中ボス戦のところで止まっていて、なんとかやり方を思い出し何度か挑戦し、攻略サイトを確認してまた挑戦するのだけど、これが全然進まない(笑)

で、必然的に読書の方に集中するわけで。結果、先週は1週間で8冊読了。読み終わった本も22冊まで伸びました。
そろそろ積読本もなくなるぞ、と思っていたのですが、3月にAmazonで注文してまだ持ってきてもらっていなかった本を来週お願いしようと思ったら、5冊もあった(笑)こりゃあ、家に帰ったら本が山になっているだろうから、ブック寄付に回すものとメルカリで売るものに分けて処分しなきゃなぁ。

これからのことを思う

季節は冬から春へ変わり、退院の頃は初夏の日差しだと思う。雨の季節になっているのかな。
娘が、病院の相談員さんと転院先の病院の希望を話してきた。2月初めから約2ヶ月入院していた病院ともそろそろお別れなのかもしれないなと考える。いや、この私の使っているベットだって、もう1ヶ月半もご一緒している。こんな狭いパーソナルスペースからそろそろ脱却したいのも事実。

月曜日から松葉杖の練習が始まるので、ダンス練習用のランニングシューズを持ってきてもらった。
車椅子から松葉杖に移動手段が変わるのかな。左足はもう少し自由に曲げ伸ばしができるようになるのかな。落ちた体力はどのくらいで元に戻せるのかな。自転車は乗れるようになるのかな。不安はいっぱい。

でもね、できないことを考えるより、昨日よりどのくらいできるようになったのかを考える方がずっと楽しい。何せ、小学校時代以来の伸び代なのよ、今の運動能力。足を曲げられるようになった。一人でベットの周りを右足だけで動けるようになった。手すりにつかまって3往復以上片足移動できる。これがどのくらい向上していくんだろう。どのくらいの期間で回復するんだろう。ワクワクが止まりません。

傷の方だって、担当の先生たちが「初めなどうなるかわからなかった」と言っていたのに、たったの2ヶ月弱で「足になったよ、この前まで肉に塊だったのに」と言わせるくらいの回復。これってすごいじゃん!だから、私は自分の肉体の力を信じてワクワクしながら明日を見ます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?