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#14 「大文字のクリティック」-ユダヤ・キリスト教との対抗①

0.はじめに

『クリティック再建のために』を、第2章まで通読しました。第3章は斜め読みですが、問題意識をかなりの程度、汲み取ることができたように思います。

https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000356080

本来は、繰り返し読み込みうえで、また文献案内(あとがき)でも言及されている、『政治の成立』『デモクラシーの古典的基礎』や『人文主義の系譜』にも照らし合わせ、検証を深めてから、何かを述べるのがベストかとは思います。

ただ、時間には限りがあるため、正確さよりも(いつもは正確だという趣旨ではありません)文章に起こすことを優先して、「速報版」としたいと思います。木庭氏も、何年か前の民法改正にあたって、「ロマニスト・レビュー」なる「速報版」を出したこともあります(笑)。

また、このように言うと「分かっていない」という誹りを受けることは承知しますが、『クリティック再建のために』は思ったよりも分かりやすい本だという印象を受けました。言い換えると、氏の著作の行間を埋める部分が多かったように思います。

思考の舞台裏のようなところも見せており、自身の専門分野を離れて、幅広い分野・時代を取り扱うことで、私個人としては、どこに木庭氏の思い描く方略の隘路(行き詰まり)があるのかという点も、見えてきたようにも思います。

さて、筆者の現在の関心と、Twitter(その時点では第1章の途中までしか読んでいませんでした)で呟いた伏線を回収しようという意図から、ごく簡単に、氏のスタンスを「ギリシャ・ローマ」原理と位置づけ、「ユダヤ・キリスト教」との対抗というテーマで、本記事を取りまとめたいと思います。

なお、これまでブログでは「木庭先生」と言及してきましたが、語感を簡潔にする趣旨から、「木庭氏」(略称としての)「氏」と呼ぶことをお許しください。

また、これまでの本ブログでも、引用ページは原則『クリティック再建のために』で、また文脈から分かる場合は、同書と呼ぶ場合もあります。他の著作は、書名を特定して言及したいと思います。

1.ちょっとした「前提的資格審査」

重層的で多岐の内容にわたる、『クリティック再建のために』。実は同書で氏は「モラル・フィロソフィー」が安易に営まれている現状を戒め、やや軽蔑的なニュアンスを込めている箇所が散見されますが、確かに、同書の内容を切り取って自分勝手に「モラル・フィロソフィー」することは簡単でしょう。

これから本ブログが行おうとしていることも、そのようなことに過ぎないのかもしれません。

他方で、同書においても氏は、デカルトの懐疑主義を評価し、彼の貢献を「デカルトの一撃」「衝撃的」とも言っています。デカルトがあらゆる前提的資格審査の起点に「私自身」を置いたことを、「大文字のクリティック、ハイパーな前提的批判」(p.142)と位置付けます。大ナタを振るうこともまた、認められて言えるようにも思います。

そこで今回は、やや大雑把かもしれませんが、木庭氏が見ていない、見過ごしていると思われる視点を、ささやかな「前提的資格審査」の意味合いで、提起してみたいと思います。

そのためには、少なくとも舞台設定として、同氏のいう「クリティック」とは何か、という点を知っておく必要があります。次の二つの見出しの下で、クリティックの定義までおさらいして、その後、デカルトの顰(ひそみ)に倣って、「大文字のクリティック」を試みてみたいと思います。

2.原クリティック-ホメーロスの祖型

『クリティック再建のために』の中では、繰り返し、ホメーロスの原クリティックが持ち出されます。

ごく簡単に説明すると、出来事のイメージ、パラデイクマには、様々なバージョン(ヴァージョン)がありえます。そのようなパラデイクマのヴァージョンは、言語によってその差異を区別することができます。初歩的とも言えますが、そのような知的作業は、原クリティックと呼ばれます。

さらには、そうしたヴァージョン対抗を極限まで増幅したり、ヴァージョン間の差異について厳密に意識することもできます。一歩進んだ原クリティックⅡです。

さて、ホメーロスは、『イーリアス』において、長いトロイア攻略の出来事をわずかな時間分切り出して凝縮し、現実にはあり得ないようなバージョン(ヴァージョン)の極大化を突き進め、そうしたパラデイクマを数珠つなぎにして、彫琢しました。

そうしたホメーロスらの叙事詩が、仮に人々の意識の中で、圧倒的な地位を占め、そして社会的現実を編み時の基礎とされたならば…。木庭氏のテーゼともいえる主張であり、そうした平面を獲得した状態における原クリティックⅡが、原クリティックⅢと呼ばれます。

言語の活動が現実社会を規律する、というは、ホモ・ロクエンスたる人類にとって、ある意味、社会統制の基本的な方法といえますが、この原クリティックⅢの働きなくしては、個人の自由を確保することは困難であるという問題意識が、通底しています。

そのような社会においては、およそ権威が成り立ちにくく、また実力の形成や行使がなされにくくなります。極限的な両極分解によって、人は物事を前にして考え込み、立ち止まるからです(『クリティック再建のために』p.31、37など)。

これは原クリティックⅢの一つの帰結ですが、さらにパラデイクマを素材として、ヴァージョン対抗を増幅して、それぞれ提案と論拠とに分けられた(分節された)パラデイクマを提示する、という思考手続はディアレクティカと呼ばれ、またそのようにパラデイクマが選び取られる営みは、政治的決定手続(政治システム)となります。これらは、原クリティックⅢを一段飛躍させたものです。

この点は『誰のために法は生まれた』の「種明かしのためのミニレクチャー」でも簡潔に述べられてきたので、繰り返しませんが、政治的決定手続をさらに一段発達したものがデモクラシーです。むろん、通俗的な「民主主義」ではありません。論拠に、一定の資格要件を設けることとなります。

詳細は割愛しますが、同氏は、そうした二段構えの審査が、個人の具体的な個人の最も大事な部分を侵害しない、という意味での自由を、保障するとします。

ただし、非常に重要な点ですが、資格要件を問う際に、ディアレクティカ本線とは全然別の原理を介入させると全ての崩壊を意味するから(p.40)、反復的に、いったんディアレクティカを経ていること、を意味するとします

以上、政治、ディアレクティカ、そしてデモクラシーという営為は相互に連関しており、それらに基底的な位置にあって、裏打ちするという意味において、原クリティック(ⅡないしⅢ)は極めて重要である、ということを念頭に置いておいてください。

3.クリティック-原クリティックの一ヴァージョン

さて、上に述べた政治的決定手続におけるパラデイクマの対抗は、その出自からいっても、あくまでパラディグマティクである、といえます。

政治的決定手続の「提案と論拠」と聞くと、人は「主張と理由」のようなイメージを持つかもしれませんが、そうではありません(それはどちらかというと、すぐ後に出てくるサンタグマティクな発想に近いです)。

木庭氏自身の例を挙げると(p.46以下)、例えば、個人の自由のために連帯して外敵と戦わなければならない、ということが、政治的決定手続を経て、一つのパラデイクマとして選び取られたとします。戦い方、戦いの限度、という点も、パラデイクマのヴァージョン対抗によって、精度は増しているかもしれません。

しかし、敵の後背地の経済力を考えると、消耗戦に持ち込まれたら、勝利できないかもしれません。外交的手段によって少なくとも時間を稼ぐ方策もあるかもしれません。パラダイムのヴァージョン対抗を増幅するだけでなく、出来事のその先へと思考を進めることも可能です。パラディグマティクな方向ではなく、サンタグマティクな方向に思考を進めます。

ホメーロスの叙事詩は、サンタグマティクの方向への延長に否定的とされています(p.28)。延々と続く、のではなく、切り出した短い時間、区分の中での極大化を図るものでした。これに対して今、サンタグマティクな方向への思考が示されます。こちらもまた、精一杯、時空を延ばして、現実平面へと肉薄するのです。そのような前提手続がクリティックと呼ばれます。これもまた、原クリティックを発展する一ヴァージョンとされます。

さて、ごく簡単に要約すると、現実にはあり得ないような極限まで対抗ヴァージョンを押し進めて権威を解体する方向と、そして、時空を精一杯、延長させて現実平面に肉薄し、対抗ヴァージョンを押し詰めて精選する方向。

それが平面を分けて-パラディグマティクとサンタグマティクは排他的、全称的な論理関係に立つとされています-いわば、縦軸と横軸に、対抗関係を増幅させる。

そのような知的営為の広がりを読み取ることができます。

4.クリティックにおける「ユダヤ・キリスト教」の位置づけ

(1)アウグスティヌスら教父たちとクリティック

さて、本ブログの目的に照らし、ごく木庭氏の主張のごく基礎的な一部について、要約しました。

ここで、本テーマに関わる「ユダヤ・キリスト教」という視座を導入するため、まずは同氏のユダヤ・キリスト教に対する態度を-つまり同氏自身がまずその枠組みにおいてどのように位置付けているか-、簡単に説明します。何か所か関連する記述があるのですが、2か所、若干まとまった記述があるので、それを引用することにしましょう。

「アンティクアリアニズムの横溢するこの空間の中心にアレクサンドレイアがあり、そしてここがフィロロジーの発祥の地とされる。確かに、何よりもそれまでの(特にホメーロスの)文学テクストが精密な校訂を得た。この活動形態は初期近代にほとんどクリティックの別名になる。古語や古い表現の究明もなされた。物的典拠への着目もあった。この伝統は聖書というテクストを得て、そして新プラトーン派の思想ないし解釈学を得て、教父たちからさらにビザンツへと繋がっていく。もちろん独自の巨大な価値を誇る。にもかかわらず、フィロロジーないしフィロロジスムをここに限定するわけにはいかない。」(p.85-6)

「アウグスティーヌスに関する限り、わたしの専門を余りに離れるため、キケロ―やウァッローのテクストを引いて見事に解釈する人物としての側面しか語り得ないが、右の自由な観点の一つとして、キリスト教の神学を精確に構築するというそれがあることは自明である。一方で、その分ディアレクティカは閉じており、原クリティックⅡには至らない。しかし他方で、彼の知的活動が説得力を持ったとすれば、キリスト教自体が例えばユダヤ教等々のみならず全ギリシャ・ローマ的遺産との関係で徹底した原クリティックⅡを施して成り立った側面があるのではないか、という憶測を生む。それが大前提であるためディアレクティカに非常に近かったのではないか、とさえ思わせるのである。もちろん、このように言うことは的はずれで、また、万が一そのような瞬間があったとしても彼以後は単純な原クリティックに帰順していき、否、それさえ曖昧になっていった、のかもしれない。しかし逆に、近代においてクリティックが再生して以降、彼が非常にしばしばキリスト教神学のクリティック、またはその時代のクリティック自体、をリードしたということは事実なのである。」(p.104)

あくまで教父たち(アウグスティヌス)を通じて、ですが、テクスト解釈の点を含め、独自の価値を有するものの、キリスト教の神学(教義)という性質上、「極限的な両極分解」などはできない(ディアレクティカは不可・不能)、という捉え方をしているようにも思います。

この点は、このように言い換えることができるでしょうか。例えば、「悪人であっても、その技量によって栄える」というパラデイクマ、があるとします。道徳的な神の存在を前提とするならば、このような「一方の極」(ポラリテ)は許されない、つまりは、悪人が(結局のところ)罰せられる、という「もう一方の極」しかないようにも思われます。「宗教」「教義」という性質上、せいぜい、テクスト間のヴァージョン差異を識別する原クリティックに留まる、という認識(実のところ、先入観なのですが)があるに思われます。

せいぜい、アウグスティヌスは、ユダヤ教等々のみならず全ギリシャ・ローマ的遺産を相手として、その対抗関係との間では原クリティックⅡが成り立ち得た可能性がある、ということをほのめかすに過ぎません。

単なる憶測であり、可能性であると留保を付しつつ、(ユダヤ・)キリスト教の神学が、原クリティック(Ⅱ)との関係で持つ意味を、総じて、懐疑的、例外的なものに留める、という態度を保っています。

(2)デカルト、そしてスピノザにおける「神」の存在

ここで、木庭氏の視野はもう少し広いのではないか、という疑問があるかもしれません。デカルトは、「私自身」が認識しているということ、また「私自身」に限度があると認識していること、それらが(他の典拠全てを否定しても)残ることから、論理的に、神が存在しているということ意味している、ことを論証しており(p.141)、そのこと自身は木庭氏も認めているのではないか、と。

ただ、この点は、デカルトの業績として紹介しているに過ぎず、そこにも目くばせしている、というポーズに過ぎない、という方が適切なのではないでしょうか。同氏の専門から言っても、デカルトの業績を十全に汲み取ることなど当然できず(それができる、というならば、氏はあらゆることの専門家、ということにもなります)、あくまで人文主義の文脈で、トータルな懐疑主義の意義を評価し、自身のクリティックの枠組みに引き付けて、かろうじてデカルト(と神の存在証明)をその外縁に位置付けようとした、というのが、実情と思われます。

そして、デカルトの論証にしても、木庭氏が評価するのは、(クリティックの文脈から)単なる論理的な帰結をいう限りであって、それを特定の宗派、むろん(ユダヤ・)キリスト教との関係、については、何も言うものではありません。

その点はスピノザと、それに対する木庭氏の評価についても、まったく同じことが言えます。スピノザは、モラル・フィロソフィーという領分において(この言い方からも、秘かに範囲を限る、という意図がみられます)、信仰ないし宗教を基礎づけた、その出発点にアプリオリな個人の知性を置いた、と解説します。スピノザを、あくまでクリティックという文脈だけですが、その近代的展開において重要な業績として位置付けます。

しかし、もとよりスピノザは、ユダヤ人の出自を持ち、旧約聖書のテクストに親しんではおり、また、旧約テクストとの対峙(対抗)が彼の思想に深みを与えた、とも言えますが、ユダヤ・キリスト教とは別の(小文字の)「宗教」という抽象的な概念を扱っている、ということには注意が必要かと思います。そのことの意味は、後でまた触れたいと思います。

(3)「ユダヤ・キリスト教」のパラデイクマ

原クリティックは、(原クリティックⅡ、Ⅲを経て)ディアレクティカ、そしてクリティックへと発展して、それは縦軸と横軸に、対抗関係を増幅させる、という木庭氏の主張は、上述の通りです。

まず、「対極の極限増幅」を実現する、原クリティック(Ⅱ、Ⅲ)が、そうであると主張される通りの機能を有しているか、という点を、「ユダヤ・キリスト教」のパラデイクマ(※)を手掛かりに、見てみたいと思います。

(※ パラデイクマは木庭氏の用語ですが、著述の便宜上、また文脈に応じて、「ユダヤ・キリスト教」の中の一定の思想や教義を指しています。)

繰り返しになりますが、パラデイクマのヴァージョン対抗を極限まで増幅し、考えられないようなヴァージョンを創造する、という知的営為が原クリティック(Ⅱ、Ⅲ)であるとされています。

さて、とっかかりに、やや知的な遊戯のようにも思われますが、原クリティック(Ⅱ、Ⅲ)の「極限的な両極分解」においては、窮極的な権威(神ないし絶対神)の存在は、含まれ得るのでしょうか

もともと、原クリティック(Ⅱ、Ⅲ)の特質は、「不磨の大典」を認めず、「権威」を解体し、「対抗を増幅」することにありました。窮極的な権威がある(いる)ということは、原クリティック(Ⅱ、Ⅲ)が嫌うものであり、そうした権威を認めることは、原クリティック(Ⅱ、Ⅲ)の性質に反することとなります。

そうすると、原クリティック(Ⅱ、Ⅲ)を施したとしても、提示し得ないパラダイムを有することとなり、「極限的な両極」としては機能し得ていないことにもなるようにも思われます。いわば、「ラッセルのパラドクス」のように、それを含むと考えると矛盾しており、含まないと考えると極限的な両極(あるいは一方の極)を含んでいないからです。

いや、かかる両極分解において、「神がいる」「神がいない」というパラダイムを対抗させることは可能で、それがまさに原クリティック(Ⅱ、Ⅲ)が企図したところである-デカルトが行った「大文字のクリティック、つまりはハイパーな前提的批判」にも通じるのではないか-という反論もあるかもしれません。

実は、木庭氏がホメーロスの原クリティック(Ⅱ、Ⅲ)という着想を得たときに、あるいは『政治の成立』のコアとなる内容を練り上げた際、後に人文主義を通時的に見直し、デカルトについても何か語ることになろうとは、(自己の専門領域から言っても)思ってもみなかったのかもしれません。

それ故、ホメーロスの原クリティック(Ⅱ、Ⅲ)が、デカルトの大文字のクリティックとどのような関係にあるのか、単に詰め切れておらず、今後整理されるにすぎない、つまりは、紙幅と考察に限りがあり、意識的には接続していないのかもしれません。

しかし、そのような可能性を措いてもなお、原クリティック(Ⅱ、Ⅲ)と「ユダヤ・キリスト教」のパラデイクマを包含しているか、というと、否定的に解するのが、穏当なようにも思います。

木庭氏自身が、ユダヤ・キリスト教そのものではなく、アウグスティヌス(や教父)の神学という、ごく限られた側面に限って、またそれを、ユダヤ教やギリシャ・ローマ的遺産との対抗、という文脈で、原クリティックⅡが一見成り立ったのかもしれない、という限りでしか、認めていないことからも、そのように推測されます。

さらに、デカルトやスピノザの文脈でも触れた通り、デカルト、スピノザにとっての神の存在(証明)は、単なる論理的な帰結であったり個人の知性やイマジネーションの働きを極限にまで押し進めた結果立ち現れる何か、に過ぎないようにみえます。つまりは、(小文字の)宗教ではありますが、「ユダヤ・キリスト教」ではありません。

ユダヤ・キリスト教は、そのような、いわば抽象的な思考実験のようなものではなく、権威を帯びて人々の行為を指図する性格を有するものであり、それは、原クリティック(Ⅱ、Ⅲ)が阻害し、解体しようとした類のものです。
 
「ユダヤ・キリスト教」のパラデイクマは、木庭氏がかろうじて、その枠組みの中に回収した(と思い込んでいる)デカルトやスピノザ的な言説とすら、緊張関係にある側面を有します。

ここで、例解として、ポール・ジョンソン『ユダヤ人の歴史』(古代・中世篇、徳間文庫)から引用します。

「しかしユダヤ人の神が自然そのものと同一視されているわけではない。事実はまったく逆である。決して姿を見せないものの、神は何よりも人格を有するものとして表現されている。(中略)さらにこの人格神は、最初から厳格な道徳上の基準を定め、自らが創造した者に
守らせた。(中略)この点も、異教徒の観念と大きく異なる点である。歴史時代以前の聖書の記述は、こうして早々と強固な道徳的基盤を打ち立てた。その上に、すべての事実が構築されたのである。ユダヤ人はその最も原始的な先祖でさえ、正邪の絶対的な区別を行える者として描かれている。」

旧約聖書が単に抽象的な正義について語っているというのではないことは、重要な点である。神の正義は、神が選ぶところによって明らかにされる。(中略)。」「ヤハウェの絶対性は、イスラエル人たちの宗教の核心をなしている。それは今日すべてのユダヤ教徒、キリスト教徒、イスラム教徒が等しく崇める、唯一の神の原型である。この神の権威は、民族の歴史の次の段階、すなわちエジプトへの移住とその地での苦役からの劇的な脱出を通じて、しだいに確固としたものとなっていく。」(ポール・ジョンソン著『ユダヤ人の歴史 古代・中世篇』(徳間文庫、2006年)p.23、 44、 53)

単なる懐疑主義から論理的に帰結されるものや、個人の知性を出発点として想像力を極大化した産物、と、絶対神の観念、名前(ヤハウェ)を持つ存在、そして抽象的な正義ではなく正義とは神の選びであるというパラデイクマは、かなりの距離を持つように見えます。そのようなパラデイクマが、程度の差こそあれ、ユダヤ教徒、キリスト教徒、イスラム教徒の中に共有されて、極めて特有な内容を持つものとして存在していることは、(小文字の)宗教とは区別して考えざるを得ないもの、と言えるかと思います。

ちなみにホメーロスが、歴史を通じて弱小民族にとどまったユダヤ人(なお、古代イスラエルのダビデ、ソロモン王はホメーロスよりも歴史的には先)の宗教をどれだけ知っていたかは不詳ですが、当時のユダヤ教がローカルな存在にとどまっていたことからすると、(木庭氏の用語を借りると)「権威」(絶対神)と切実に対峙したとは考えにくいと考えます。

5.クリティックが生み出さなかったもの

紙幅の関係から、今日のまとめとして、「第7回 占有と人権の距離」を、「ギリシャ・ローマ」原理と「ユダヤ・キリスト教」のパラダイム対抗関係という分脈から読み直したいと思いますので、リンクします。

https://note.com/publius/n/ndf0c449dbf12

占有について、詳解することは控えますが、クリティックの一形態であるアンティクアリアニズムがローマに隆興したことが、ローマ法の誕生と関係しています(『クリティック再建のために』p.87以下)。

そして、占有とは、「人を人として保障するのではない。人と対象物の関係を保障する」(『法存立の歴史的基盤』p.1288)ものです。

以下は、『誰のために法は生まれた』(朝日出版社、2018年)という、中高生向け講座を元にした著作からの引用なので、やや言葉遣いがくだけていますが、木庭先生はこのように解説します。

「権利というのは、いま持っていないものを獲得しうるということです。幸福の追求などと言いますが、人を殺すことで無上の幸せに浸りうる人がいるとしましょう。幸福追求の人権にも制約があるなどと論争することっているのですが、人権は、人権とは言いますが、決して攻撃的には使えません。実は権利ではなく占有だからです。(中略)われわれは全員アプリオリに精神の自由を持っている。だから今更持っていないものを獲得するなんてことはない。それを侵害されるので、占有のモデルで防御する。」(同p.381)

これに対抗させるために、第7回のブログで引用したのは、下記のイェリネックの主張となります。

「このカタログ化された諸自由が、いかにアメリカ憲法にとって本質的かを知るには、ゲオルグ・イェリネック(Georg Jellinek)著『人権宣言論』(1895)が格好の素材となる。この中でイェリネックは、従来の定説を覆す二つの挑発的なテーゼを提示している。その一、個人の有する不可譲、生来的、神聖な諸権利を法律によって確立しようとする観念は、「政治的」なるものではなく、「宗教的」なるものとしてその淵源を有する。従来、フランス革命の産物と考えられていたものは、実は宗教改革とその闘争の結果である。その二、個人の有する不可譲、生来的、神聖な諸権利という観念の最初の使徒は、18世紀に生きたフランス人ラ・ファイエットやルソーではなく、力強く、奥深い宗教的情念に突き動かされて、信仰の自由に基づく国家を打ち立てようと荒野に移り住んだアメリカ人ピューリタンのロジャー・ウィリアムズである。(中略)以上のイェリネックの議論は、カタログ化された諸自由の実現には、アメリカにわたったピューリタンたちが抱えていたような生の衝動がぜひとも必要であったことを示している(『立憲主義と他者』(江藤祥平著、岩波書店)p.35-36)」

人権カタログを獲得した後の社会において、木庭氏が、「いま持っていないものを獲得」することを否定的に語り、「幸福の追求」がまるで殺人の自由をも(少なくとも可能性としては)含意しうるような(したがって「権利」思考は排すべきという)口ぶりで、占有の防御のみを力説するのは、いささか鼻白む思いもしますが、少なくとも、ローマにおけるクリティック(の一形態のアンティクアリアニズム)の精華である占有が、近代における人権概念の発生とは没交渉である、ということを確認すれば足りるかと思います。

ここで注意すべきなのは、人権の淵源が、「フランス人ラ・ファイエットやルソー」といった、政治哲学者の文脈にすら、帰せられるものではない、ということです。

第7回においては、占有と人権の対比という分脈のみが念頭にありましたが、『クリティック再建のために』において、モラル・フィロソフィーに位置づけが与えられたことから、もう一つの対抗関係があぶり出されているように思います。

『クリティック再建のために』においては、いささか劣位に置かれながらも、モラル・フィロソフィーにはその位置づけが明らかにされています。

デモクラシーを支える、二段のディアレクティカを基礎とする社会構造において、政治的決定の方向には進まない、知的作業が、主にサンタグマティクな方向で発展しますが、これがクリティックの沃野となります(p.43、47)。

自律的社会が発達するにつれて、やがてソフィストたちが、政治的決定の一義的現実平面に固執せず、知覚、情念、想像力等のジャンルを扱うようになり、モラル・フィロソフィーの原型ともなり(p.60)、ソークラテース、プラトーンらを経て、市民社会とも深い関係を保ちながら、デカルト、ホッブズ、とりわけスピノザの知的営為を通じて、モラル・フィロソフィーが進展することになります(p.150以下)

その延長線上に、「フランス人ラ・ファイエットやルソー」がいると言っても過言ではありませんが、イェリネックの言葉を借りるならば、個人の有する不可譲、生来的、神聖な諸権利という観念は、「ギリシャ・ローマ」に起源を有するモラル・フィロソフィーの分野から生まれたものではない、ということになります。

そこには、抽象的な思考実験のような形での人権概念の萌芽はあり得たかもしれませんが、具体的な人権カタログとその制度的な保障は、図らずも、キリスト教の宗教的実践の中から生まれた、というのは、「ギリシャ・ローマ」的なクリティックの伝統からの不連続的な飛躍として、象徴的な出来事のように思われます。

次回は、時空の軸を延長した、サンタグマティク文脈における「ギリシャ・ローマ」原理と、「ユダヤ・キリスト教」との対抗をみてみたいと思います(続く)。

(あとがき)

やや尻切れトンボとなってしまいましたが、例によって、形にしないと何の発展もないことから、不十分ながらも、記事をアップしたいと思います。

次回の構想は単に頭の中にしかありませんが、『クリティック再建のために』において、取り上げられる人物と、その評価は、極めて興味深いものがありました。

詳細は次回になるかもしれませんが、モンテスキューに対する低い評価は、目を引くところかと思います(p.167)。モンテスキューは「議論が飛躍し」「様々なモラル・フィロソフィーをモラル・フィロソフィーする」との評は、ある意味、学生のレポート程度の価値しかない、と言っているという印象も受けました。

この点は、かつて木庭氏が川出良枝氏の『貴族の徳、商業の精神――モンテスキューと専制批判の系譜』を、『東大教師が新入生にすすめる本』において、(正確な言葉は忘れましたが)「確実に到達されたレベルの一個の研究」「脚注も飛ばさず読むように」として勧めていたこととは、隔世の感?があります。当時、モンテスキューが「ゆるゆるの」モラル・フィロソフィーであると考えていたのであれば、その研究を勧めるということはないと思いますので。

次回のモチーフにもなるかもしれませんが、おそらく、モンテスキューを前向きに評価すると、アメリカの政治制度への展開をポジティブに捉えることにもなるので、最近とみにみられる同氏のアメリカ的なものに対する敵愾心からは、そのような方向性を取れなかったのは、やむを得なかったのかもしれません。

トクヴィルもまた、『デモクラシーの古典的基礎』においては、批判的ながらも取り上げられていたところ、今回は触れることすらなく(見落としご容赦ください)終わっていることからは、木庭氏のクリティックの視座からは、いわばギリシャ・ローマ「原理主義」に近づき、キリスト教やアメリカ的な価値観・経験との(必要以上の)対抗心に囚われているのではないか、という疑問も、根拠のないことではないように思います。

(1/15追記)原クリティックⅡⅢ、がスマホ画面からは読みづらかったので、Ⅱ、Ⅲと「、」を入れました。


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