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私スタイルを探して

周りを気にせずに生きるってどんな世界なんだろう。

周りを気にしないで生きている人たちはいつもどんなことを考え、どんなことを感じて生きているのでしょうか。ある程度の人々は他人のことを気遣って生きているとは思います。それでも自分の意見をしっかり言えたり、素の自分を出すことに抵抗がない人が多い印象があります。いや、むしろここまで自分を偽っているのは私だけなのかなとも思ってしまうほどです。

何をするにも周りを見て動く。良いこともあります。臨機応変に動けるようになってるし、周りの空気で早く動くことが出来るようになってるし。でも自分が本当に求めている行動が出来ていないように感じます。

好きなことも好きと言えない、好きなことをするにも周り基準に染まっていた私。常に普通や当たり前といった基準でいることが正しいと思い普通や当たり前になるための努力をしてきましたが、どんどん基準が高くなってきているように感じています。

いつからなんでしょうか。平均点じゃダメと教わった時でしょうか。
平均基準もどんどん上がっていっているようにも感じます。
平均基準にとらわれているので仕事にも人間関係にも迷いしかなく、そして答えもわからないままなのでずっと迷子状態の私。

理想が高いだけとずっと思っていました。
だけど本当はただ周りを気にしていただけの私がいます。

見栄を張るのも恐怖や不安になるのも周りなのです。だから私の中で勝手に決めていた基準がどんどん上がり理想だけが高くなって自分は変わらないままでいるからどんどん自分のことが嫌になっているのです。

みんななんで周りを気にしないで生きていけるのでしょうか。
この言い方は語弊が生まれるかもですね。
私が言いたいのはなぜみんな自分をさらけ出すことが出来るのか。

私に欠けている最大のことが自分をさらけ出すことです。私は私を隠すことに慣れてしまいました。それでも他人に私のことを隠すことが出来たとしても私自身に私を隠すことには限界がある。だから時々爆発する。本当の私が何かもわからずただモヤモヤという形で現れ距離を取ってしまう。だから私の人間関係はごちゃごちゃだったり、やりたいことあっても挑戦できずにいます。

合わない友だちに巡り合ってもこんな私と仲良くしてくれるし何より一人になりたくないという思いが生まれる。いい感じの人が出来てもある程度の距離を置いてしまう。行きたい場所にも行けず欲しいものも買えない。

私の意見を言えるところもあるのです。仕事では仕事にとっていい方を選びたいため、意見をしっかり伝えることが出来ます。でも自分のこととなるとそうはいかない。

おかげで私はなんでもいい人間になってしまいました。心の底から苦手なことにはNGを出せますが、ストライクゾーンが広すぎるのかアウトゾーンが狭すぎるのか。だって我慢できるので。自分の感情ではなく周りを優先にすることに慣れたのでむしろ楽になっている私がいます。

そんな私に残っているものはありますか?

我慢して付き合ってきた友だちは今隣にいますか?
見栄張って買い集めたものは輝いて見えますか?
本当に好きですか?ほかにやりたい事ないですか?
我慢したこと全て素敵な思い出になっていますか?

全ての答えがNOとなってしまう私。

もう限界なようです。

我慢したって見栄張ったってなにも残らないのが私です。
良い人でいるのも、凄い人でいるのも限界です。
私はそもそも良い人でもなければ凄い人でもないのです。
認めますよそんな私を。それだけで頑張ってくれた私に感謝出来る。

だからこれからは私スタイルを作っていこうと思います。

何が私スタイルなのかこれから考えるのですが約束として我慢しない・見栄を張らないということ。周りを気にしないで生きていくことなんて多分無理なのです。だって五感優れている方だしずっと気を遣って生きてきたので今更辞めるとか別の空気を吸い始めるくらい私にとっては難しいように感じるので。だから周りを気にしながらも我慢して自分を偽ることだけはしないようにしていきます。

無理に色々と意識するというより私スタイルだからと思って色んなことに挑戦していきたいと思います。とりあえず今月中は私スタイルを探す機関にしてみようと思います。半年後には私スタイルが出来ていたらいいな~なんて夢見ながら。

さ、私の声に耳を傾けて今日もあと少し顔晴りますか!!


ぷあ

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