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ナイモノねだりの私たちが

私は特に何も持っていない。なのに昔から妬まれる恨まれる。なんで?あの子の方が優れているのに、あの子の方が友だちと仲良しなのに、あの子の方が...。みんなと比べると何も持っていない私がなぜ。

なぜ人は人が持っている物を羨ましいと思ってしまうのでしょうか。

身長が小さい私。小さいほうがかわいいとかモテるとか散々言われてきたけど着たい服は着ればいしそもそも顔と性格次第で可愛いとかモテるとか決まるでしょって思っていました。こちらからすると身長が大きい人の方がモテる気がします。

仕事をバリバリやっている風の私。充実していていいねと言われるけれどそんなあなたは彼氏や旦那、子ども、ペットがいる。あなたのことを愛している人がそばにいるじゃない。独り身の私からするとあなたの方が愛されていていいなと思います。

言われたからと言って私はわざわざあなたの方がいいじゃない!ということは言いません。面倒なので。私はそういう遠回しの誉め言葉的な言葉を聞くとそれって嫌味?って思ってしまう人間のであなたの方がいいじゃない!とは言わないのです。遠回しのマウントのように捉えてしまうのです。私の捉え方の問題ですが。

私もナイモノねだり。あなたもないものねだり。
だけどみんなそれぞれ持っているんですよね。気が付かないだけで。

最近バタバタと忙しく久しぶりのnote公開となりました。ずっと下書きはしていました。仕事中感情的になりそうなときや考えすぎそうになるときにはnoteに書き続けた。でも公開するほどではありませんでした。忙しいながらも今までは感情のままnoteを書いていたが最近はそんなに書くことがなくなってきたようにも感じています。だからなのか下書きを見返しても悔しくなったり悲しくなったり怒りが湧いてくることもなくスッキリした気持ちになっていました。

noteに書くことか少なくなった理由として最近の私はアルに注目するようになったこと。

あなたはスマホやパソコンを使えますか?
きっとこのnoteを読めているということは使えるっていうことですよね。恵まれていますね。書くことが出来る私も読むことが出来るあなたも。

私は目が見えます。パソコンを打つことが出来ます。話せます。歩けます。あなたはどうでしょうか??

いや、そんな当たり前でしょと思う人もいるでしょうがこの当たり前がどんなに幸せなことかに気が付くだけで人生が変わったように感じます。

ナイモノねだりの私たち。でもアルんですよね。当たり前になって見えていないだけで本当は持っているのです。

なぜ人はナイに目を向けてしまうのでしょうか。昔の人はナイものに注目してきたからこそ今の便利な世の中になったと思います。だからでしょうか。現代の私たちがナイに注目してしまうのは。進化するために必要とDANにでも埋め込まれているのでしょうか。そんなことを思う私です。

アルに注目した私は日々の感謝が増えました。よく友だちや職場の動機にはありがとうが多いと言われていますが最近はさらに増えたと自分でも感じています。そのくらい世界はありがとうで溢れている。ありがとうが生まれるのはそこにアルからです。

ありがとうは有難うと書くように有るが入っている。当たり前になっているだけで沢山持っている。今の私たちはきっと江戸時代の姫よりもずっとずっと贅沢な暮らしになっていると思うのです。

以前の私なら姫だから私たちよりも贅沢な暮らしをしてきたはずでしょって思うはずです。いや、仕事もせずのんびり短歌やって美味しいもの食べてみたいなイメージだったので私もそんなのんびり贅沢に暮らしたい!なんて思っていました。でもあの時代にはなかったものが今の私にはある。好きな歌声をいつでもスマホで聴けるし好きなアイドルをいつでも動画も見られる。移動だって早いし快適な座り心地。私たち姫以上に贅沢な暮らしが出来ているのです。

今アルに注目すると色んなものを大切にしたいという気持ちも溢れてきます。色んなものを大切にしたいという思いから自分自身も大切に扱えているようにも感じています。自分を大切にすることが苦手だった私なのに。少しずつ大切に出来ている気がします。

これからもこの気持ちを大切にしていきたいと思います。ナイものは見ません(笑)。今アル私の全てにありがとうの想いを込めて生活していきたいです。

今日もアル私に感謝して。

ぷあ

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