しゅんしゅんぽん×沙々良まど夏さん×大橋ちよさん
元歌
空蝉うつせみの人の心は常ならむ月もかなひぬ
今は漕ぎ出でな
大橋ちよ
人のこころは移ろいやすいもの。
ならば思いは置いて今こそ漕ぎ出そう。
今宵の月はまさにそのときにふさわしい。
返歌
月の道辿り出立する先は
己の中の日出づる場所なり
沙々良まど夏
短編小説 PJ
古代エジプトでは、ナイル川に映る夕日の道を歩いていけば黄泉の国に繋がると言われていたそうだ。
今、この海に映る月の道をたどっていけば、私はどこにたどり着くのだろうか。
太平洋戦争が終わった後、私はシベリアでの抑留(よくりゅう)を受けていた。抑留と言えば聞こえがいいが実質は奴隷のような強制労働だ。あの極寒の地獄で耐えることができたのは、再び君に会うことを心に誓っていたからだろう。
しかし戦後の混乱の中、私は君に会うことが叶わなかった。生きているか死んでいるかさえ知ることができなかった。
妻を娶り、子ができ、孫ができ。そして4年の延長の後、退職したタイミングで私は妻に離婚を言い渡された。家庭を顧みず仕事ばかりしていた私には返す言葉わなかった。
もしかしたら、仕事を理由に私は家庭から逃げていたのかもしれない。私の心の中には、いつも君がいた。それは一人になった今でも変わることはなかった。
私はふと思いつき、探偵に頼み君を探すことにした。
結果はあっけなかった、君は隣の県に住んでいた。私とは違い、夫と子供と孫に囲まれて幸せであるようだった。
君が幸せならそれでいいと思った。今更出て行ったら君を混乱させるだけだろう。私は探偵に代金を払い、ただ君の幸せを祈ることにした。
海の見える旅館に行った。いつか君と行った旅館だ。戦争で前の建物は焼けてしまったらしいが、店主は戦争が終わると、再度この場所に旅館を作ったそうだ。
窓からは一本道を挟んで日本海が見えた。
静かなさざ波とコオロギの歌。海の上に浮かぶこぼれ落ちそうな十六夜月。
私はその月の作り出す金色の道を見ながら、妻や子供や孫たちの行く先に、明るい光が注ぐことを願っていた。
《了》