240円の切符

20円足りなかった。現金の持ち合わせが無かった。4月7日、雨。13:21の出来事である。二限のフランス語の授業はちんぷんかんぷんで、それが低気圧のせいでズキズキ痛む僕の頭をさらに締め付けた。
午後、実家に帰らなければいけないのでコンビニのATMで1000円をおろしてSuicaにチャージし、改札を通った...ところまでは良かった。30円足りないことに気づいた。実家の最寄り駅までは地下鉄からJRに乗り換え、1580円の運賃である。Suicaのチャージ金額は1550円であった。

財布の小銭を漁った。10円。それと5円玉が2枚と1円玉が3枚。地下鉄とJRの乗り換え駅でATMから1000円おろし、再度チャージするしかないと腹を決めた直後、チャージ機の上に切符が置いてあるのを認めた。
240円。乗り換え駅までぴったりの金額である。しめたと、咄嗟に切符を握った。電車に乗りこんだ僕に良心の呵責が襲いかかる。しかしながら、1度おろすのに110円かかる駅のATMでたった1000円おろすなんてなんと不経済だろう。今日はすでにコンビニのATMを使用するのに110円費やしている。
足りないのはたった20円なのに、1000円もチャージするなんて。
たった20円のために、たった1000円を費やす。それを拒否する卑しい感情が、良心の呵責を振り払った。

結局、駅で1000円チャージした。Suicaで改札を通ってしまったため、切符は使えなかったのだ。もちろん、改札の記録を取り消してもらうことも考えたが、わざわざ切符を購入した矛盾を誤魔化せる自信が僕にはなかった。
誰のものかもわからない、名古屋市内を運行する地下鉄の、240円区間の切符は僕のポケットに突っ込まれ、ビル街を抜けて岐阜の田舎へはるばるやってきた。
小さなことで悩んだ人間の、ちょっとした悪事によって、かの切符の遥かなる旅路が幕を開けたのである。

この切符の冒険譚はどこかでまた。

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