もっとも恐ろしい男

私にとっての関わりたくないNO.1の「もっとも恐ろしい男」は、「誰にでもいい顔をする男」だ。

だいたい揉めている女たちの裏には必ずそのどちらにもいい顔をしている男がいるものだ。

AとBの女が、いるとする。

「もっとも恐ろしい男」はBには「Aがこう言っていた」「Bのためをいつも想っている」と言い、Aには「Bがこう言っていた」「Aのためを想ってやったことだ」と言う。

自分は、純粋ピュアな存在でいつも真心誠意に満ち溢れている存在だと思わせる。

最悪の場合、本気でそう信じている。

でも結局のところの本筋としては自分の希望があり、自分の有利なようにAとBを動かす、もしくはとりあえず自分に注意を向けさせていつでも助けてもらえるようにキープしておくというしたたかな計算が、ある。

二人の女の間で「いい人」を演じることの男にとってのメリットの二つ目は、二人を競わせることによって 自分の問題点を女たちが追及してくることを一旦避けることである。

女たちは競っている間は、相手の女が疎ましくて相手の女をどうにかしたくて仕方ないものだ。

女たちは、全エネルギーを相手の女の一挙一動に向け、なんとかそれに対抗しようと必死になり、肝心の男と自分の間にある肝心の問題や男から自分が意外と大事にされていないことなどに対して見過ごしがちである。

私の場合、父がこのタイプの男であった。

父は継母に「あの子のこういうところがおかしい」「あの子はこんなことを言っていた」などと言い継母の気持ちを逆撫でし、より厳しいしつけに向かわせた。

そして私には、継母がいないと会社が立ち行かなくなるんだからなんでも言うことを聞くようにと脅した。

「俺は、不器用な人間やっけん」と言うたびに継母は、「この人はこんなに頑張ってるのに可哀想 それにもかかわらずこの娘はわがままばかり・・・本当に頭にくる子だわ」となった。

子供の頃の私は、父が自分自身を不器用と呼び、「俺なんかダメな人間やけんさ」と感傷的に自分をこき下ろすたびに、逆に継母の怒りの矛先が私に向くのを感じ、怯えた。

父は自分では直接手を下さず、自分を下ろしていじけて見せることで継母の気をひき、私を悪者に仕立てるプロフェッショナルだった。

40歳になったおばさんの私は、「テメエのどこが不器用だよ・・・見事に扇動してんじゃねぇかよ 操縦してんじゃねぇかよ」とツッコミを入れることができるまで回復してきた。

でも私も30代中盤頃には、父にそっくりな、「誰にでもいい顔をする男」と付き合ってしまい地獄をみた。

私は、誰にでもいい顔をし自分の身の上を嘆くその男に同情し世話を焼き、継母が私の父にしていたように、その男にのめり込んだ。

そして、その男を介した友人たちや仕事仲間を全員大嫌いになり、彼らの成功や活躍をに絶望し、彼らの失敗や挫折を心の底から願うような最悪の心理状態にいきついた。

あの男と付き合っていた1年間は、毎日下痢だった。

お腹もすかず、ご飯を食べると吐き気がして吐いたりして本当に辛かった。

トゲトゲした態度やキツい言葉遣いや人間不信なものの見方で自分の評判が悪いんだろうなということもわかっていた。

でも止められなかった。

その頃、親友と思って付き合っていた友人も私との付き合いがあることは、やんわり伏せている様子だった。

私は自分が本当に嫌になって、世界中が私を嫌っている気がして、そしてそれは当然だという思いが次から次から湧いてきて毎分毎秒ナイフで刺されるみたいな苦しさを感じていた。

今思うとその男との付き合っている日々のひとつひとつに私は父の影を見て実家にいた頃の記憶が、フラッシュバックしまくっていたんだと思う。

だからこそなかなか離れられなかったんだと思う。

自分の身の上を憐れむ男に「甘いんだよ」と思いながらも次々と世話を焼いてしまう。

「君は冷たい人だ」「君がちゃんと助けてくれていたらうまくいっていたのに」そんな風に言われるのが怖くて必死に次から次へと男の世話や尻拭いをするのが習慣になっていった。

あちこちにいい顔をするこの男は、だんだんと私に嘘をついたり、私との約束を簡単に反故にし、いい顔をした相手との約束を優先するようになった。

その度に猛烈な狂ったような怒りが押し寄せて私は鬼のように激昂した。

最初は男の前だけだったが、次第に友人がいる前でも怒りを止めることができなくなった。

男に対して猛烈に泣きながら怒り叫ぶ私を見て、周りの人はきっと気が狂ったと思ったと思う。

この男といると実家にいた頃に両親に対し抱いていた猛烈な嫌悪感や怒りの気持ちが、はちきれた火山のように噴き出すのだった。

実家にいた頃、両親に対して面と向かってそれらの感情をぶつけたことはなかった。

しかし、ずっとずっと抑えて両親から隠していた感情は、そのまま消えることなくその男と付き合う15年後にもしっかりと私の中に保管されていて、私の父を彷彿とさせるその男の私に対する行為に刺激されるとともに音を立てて爆発するかのように私を怒り狂わせ凶暴にしたのだった。

私はストレスでガリガリに痩せ、爪を噛み、周囲の人たちを疑い恨み、必死で男の世話をする自分を本当に心から醜いと思った。

苦しい、この男から離れたい、離れないと死んでしまうと何百回もぐるぐる考えた。

でも離れようとしても「僕は君のためを想っているのに」「君はオカシイ」と言われると、父から「俺はお前のためを想っているのに」「お前はオカシイ子だ」と言われた罪悪感が猛烈に押し寄せてきて、泣き崩れてしまい、結局いつも別れることができないのだった。

それのパターンを繰り返すうち、男も慣れたもので、それらを私を黙らせるための決め台詞として多用するようになっていった。

短期間で白髪が増えた私の髪を撫でながら「こんなに白髪が増えちゃってるよ〜」と嬉しそうに言ったあの男は、確かに私を愛してなどいなかった。

私もあの男を愛していたのではない。

父のような男に同情し引き寄せられ、父のような男に支配される地獄のサイクルにはまっていただけだ。

人と人を結びつけるのは、「愛」や「恋」や「情」だけではない。

「依存」という要素も非常に強く人と人を引き寄せ結びつけ離さない力を持っている。

誰かと結びつくとき、それが「愛」や「恋」や「情」ならば良いが、「依存」である場合、それはアルコール中毒や麻薬中毒などと変わらないと思う。

最初は、「私は、平気」と自分の力を過信するが、だんだんと身を削り抜け出せなくなっていく。

気づいた時には、自分の信用を失い、人間関係をこじらせ、健康をこじらせ、たくさんの貴重な人生の時間を奪っていく。

私の場合は結局、「ホオポノポノ」というハワイの瞑想っぽい心理エクササイズをしてフラッシュバックを一時的に抑えることに成功し、その間にこの男と別れることができた。

あの時、女友達にあれを教えてもらっていなかったら私はきっと今頃あのアパートで一人死んでこの世にはいないと思う。

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