見出し画像

上質な「おばちゃん浴」を求めてVo.3

 2018年現在の関東の常識でいうと、「おばちゃん」「おばさん」とは、失礼な部類の言葉に属するらしい。私は現在関東に住んでいる。だから私は自分に対して使う以外には、なるべく「おばさん」「おばちゃん」という言葉をあまり表立て使うことはしないようにしている。「おばさん」という言葉を不用意に使用したため不穏な空気が場に流れる例をご紹介しよう。

<例1>まだ20代のママ友がすでに30代後半のママ達を前にした会話

30代後半ママ:

「xxちゃんってまだ20代なんだ!?わっか〜い!」

20代ママ:

「え〜、もう子供産んだらおばさんですよぅ〜ふふふ〜」(心の声「そうよ、私ってあんたと違ってまだ若いのよ〜」)

30代後半ママ:

「はははは・・・(ひきつり笑い)」(心の声「あんた今完全にうちらをおばさん扱いしたわね・・・この小娘が、マジムカつくわ〜」)

<例2>ママAとママBの子供を挟んだやり取り

ママA:(ママBの子供に対して)「おばちゃんのところに今度遊びにおいで」

ママB:まぁ〜ありがとうございます(心の声「ゲッ、今自分のことおばちゃんって言ってた?!ってことは私もおばちゃんってこと?!まじかよ〜」)

 こういう風に「おばさん」「おばちゃん」という言葉は、「年増」「老けている」「ババア」というネガティヴな意味合いで現代の日本において使用されている。多くの日本女性は、「おばさん」「おばちゃん」という言葉が自分に投げつけられるのを必死でかわすために、おしゃれをし、化粧をし、若々しい言葉遣いを心がけ、娘や息子とまるで友達のように接する。

 「おばちゃん」を愛し尊敬する私にとって「おばちゃん」という敬称が、このようにネガティヴな意味のみで使われているという現代の状況は、とても嘆かわしい事実だ。これは非常に愚かな社会現象である。「おばちゃん」に対する世の中の理解のなさ。薄っぺらい価値観。現代の日本女性は、雑誌やテレビが作り出す「美魔女」やキラキラな「いつまでも若々しい女性像」に憧れすぎて、若さ至上主義に走りすぎていると思う。日本総小娘化現象だ。せっかくみんないい感じに年をとっているのに、なぜそんなに1歳でも若く小娘でいようとする?私なんか、10代、20代の頃の自分なんて全然好きじゃない。全然可愛くなかったし(若くて顔がぱっつんぱっつんでただでさえ細い目が更に細かった)、余裕もなかったし(不安障害だったし)、世間知らずで話も面白くなかった(中身がないから、とにかく優劣や勝ち負けにこだわりました)。私は、もうすぐ40だけど、今の方があの頃より笑顔が優しいし、人の苦労を気にかける余裕も多少出てきた(治療のおかげで)。若さなんか、小娘なんかクソくらえですよ。

 世の中の女性の「美魔女崇拝」「ロリータ思考」を目の当たりにするたび、もはや今の世の中の人の抱く「おばちゃん」像と私の崇拝する「おばちゃん」像は、同じ言葉ではないのだと痛感する。私が愛と尊敬を込めて「おばちゃん、おばちゃん」と言うたびに「おばちゃん恐怖症」の人たちは、話も読まずに「いやぁ〜っ、私は関係ないわヨォ〜」と尻尾を巻いて逃げていくのかもしれない。だから私が「おばちゃん」について色々語る上で誤解がいないように、私にとっての「おばちゃん」が何なのかを具体的に説明してみようと思う。

 まずは、私が生まれた昭和の時代、70年代後半の九州の港町にタイムスリップする。時代は大型スーパーや東京資本の巨大なホテルなどが進出してくる前。ギリギリ、コンビニもまだ出来てなかった気がする。その頃 私の近所には、小さな自営業のお店がたくさんあった。駄菓子屋さん、小さな旅館、雀荘、豆腐屋さん、床屋さん、美容室、飲食店、花屋さん・・・全部、お父さんとお母さんの二人で経営しているような超絶小規模な零細企業だ。経営者の夫婦には、だいたい2〜3人くらいの子供がいた。子供達は、保育園や小学校に行きながら仕事で毎日働く忙しい両親のそばで育つ。古い小さな旅館の女将をやっているお母さんが、息子が店の前の道路で他の自営業の子供たちと自転車を乗り回して遊んでいるのを庭木に水をやりながら見守る。美容室を経営しているお母さんの子供は、お母さんがお客さんの髪を切っている間、待合室の椅子に座って近所の他の自営業の子供とお人形さん遊びをしたり、塗り絵をしたりしている。お母さんは、お客さんにパーマをあてながら、チラチラと娘に目をやり、仲良く遊んでいる様子を見て嬉しそうに仕事を続ける。そうやって私の生まれた時代の私の生まれた町の母親たちは、仕事をしながらあそびまわる子供たちを見守っていた。(私の亡くなった母親は、殺人的に仕事が忙しくてそれもできてなかったけど・・・。)そんな彼女たちにかけられた総称、それこそが、「おばちゃん」なのだ。彼女たちは、ひょっとしたら20代だったかもしれない、30代だったかもしれない。子供だった私にとっては、そんなこと関係ないのだ。その人が何歳とか綺麗とかブスとか、美魔女とか、そんなこと全く持ってどうでもいいことなのだ。「結婚していて誰かの母親っぽい女性」「お友達のお母さん」「実際に結婚してなくても子供に対して母親のように優しくしてくれる女性」を昭和の子供たちは、愛と尊敬を込めて「おばちゃん」と呼んだ。この「おばちゃん」は「お母さん」と限りなく同格で、神様、お母さんの次くらいにくるような位の高い敬称なのである。

 「ロリータ文化(アニメの影響か)」「美魔女文化(メディアの影響か)」全盛の平成の今(それも今年で終わるけど)では、私のこの「おばちゃん」に対する価値観を理解する人はとても少なくなってしまったような気がする。最近では、他人に「おばちゃん」と言われるのが嫌なだけでなく、血の繋がった自分の孫に「おばあちゃん」と言われるのさえも嫌で「私は孫に自分を「xxちゃん」って呼ばせてるの」とかいう女性も多くいる。私からしたら、あんたが子供を無事に産んでその子が無事に孫を生んだからこそやっと呼んでもらえる「おばあちゃん」という勲章をなぜそこまで忌み嫌うんだ?と思ってしまう。若いってそんなに良いことですか?私は、肉親から呼ばれる「おばあちゃん」って呼び名は、旦那がいて、子供がいて、孫がいるっていう爵位みたいなもんだと思う。「おばあちゃん」って勲章は、若いことより全然価値があることだと思うけど。

 呼び方を「おばあちゃん」じゃなくて友達みたいな「xxちゃん」にしたところで、その目尻のシワも法令線がゼロになることはないわけで。いや、シワや法令線が気になるなら高須クリニックにでも行けばすぐに改善されるから、さっさと行けばいいんだ。・・・というか、そもそもメディアが持ち上げる君島十和子とかの美魔女だけど、あれは超人的に美魔女であることが職業そのものなわけで。あれは、つまり上野動物園のパンダとか世界びっくり人間を見て「すごーい」って思うことに観客がお金を払っているのと同じことで生活しているプロの人なわけだ。要は、それに感化されて「私も美魔女にならなきゃ!おばあちゃんって呼ばないで!」ってとこまでいかなくても別にいいんじゃねぇ?って思うのです。「パンダは、パンダ」「びっくり人間はびっくり人間」。あれは、テレビで見て面白いと思うためのもの。そういう趣向のエンターテイメントだってことでいいのでは?

 話がそれた・・・。女性がいつまでも若く美しくありたいのは当たり前だし、そう思うことからは逃げられない。きっとDNAに刻まれた仕組みがあるんだろう。要は、シワやほうれい線を気にするのはわかるし、お手入れすることには賛成だ。好きなだけ自分で稼いだ金かけて自分の美を追求すればいいさ!どんどんやれ!と思う。・・・だけれど、おばさんって呼ばれたくないとか、おばあちゃんって呼ばれたくないとか、なんだかまるで現代の女たちは「母親」であることから逃げているみたいに見えるのだ。そんなに「小娘であり続けること」にしがみついてしまうのが、なんか奇妙でならない。そんなことするよりも自分が今まで重ねてきた年月を振り返り、「あぁ、私もいろいろ生きてきたなぁ、ふふふ」と余裕をかまし「あのね、おばちゃんはね〜」「おばあちゃんはね〜」と、まるでお母さんみたいな目線で人と接したり、世の中を見ている年齢を重ねた女性の横顔の方が、100倍美しい。私は、そう思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?