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荒地の魔女

 私の記憶に残っている父方の祖母は、「ハウルの動く城」に出てくる荒地の魔女みたいな人だった。でっぷりとすごく太っていた。朝から晩までお菓子や果物やご飯を食べ続けていた。多分120キロ以上とかあったんじゃないだろうか。お腹もお正月の巨大鏡餅のように大きな塊が2段3段あり、これまた鏡餅にそっくりの大きなおっぱいがその巨大なお腹にのっかっていた。よくテレビの仰天人間みたいな特集で太りすぎて身動きが取れなくなった人のことをとりあげているが、まさにあんな感じだった。

 祖母は、足が悪くて歩く時は、杖をついていた。脳の発作を起越したためなのか、頭も前よりはっきりしなくなったみたいでいつも全てがかったるそうに、ぼーっとしていた。食べ物が大好きでお客さんが持ってきたお土産のお菓子をそのまま目の前で開けて自分の膝の上に置いて、「美味か、美味か」と言いながらばくばく食べちゃうような強烈キャラだった。宮崎駿監督の「ハウルの動く城」でサリマン先生に体力と知力を吸い取られた荒地の魔女が、元々の欲張りなマダムの要素だけが残って、あとは無邪気な子供のように振る舞うのと似ていたと思う。

 祖父の通夜の夜。葬儀屋さんが家の中で祭壇を設置した後、みんなそれぞれの仕事をすべくその場から離れた。足が悪い祖母は、そのまま祖父の亡骸が横たわる祭壇のそばの椅子に座っていた。一仕事終えた継母が、祭壇の置いてある部屋に戻ると、葬儀屋さんが設置した立派なピラミッド状のお団子の真ん中のほうが一個なくなっている。まさかと振り返ると祖母の口にあんこが付いている。「おばあちゃん!お団子食べたんですか?!」「へぇ?あたしは知らんばい」ととぼけたふりをして言う祖母。「嘘ばっかり言うてからっ!口にあんこがついとります!!おじいちゃんが死んだとに悲しゅうなかとですか!?」ワーワーワー・・・(継母の声)。というまるで落語の話のようなことをリアルライフで素でやっちゃうおばあちゃんであった。映画の中で荒地の魔女が欲張りで思いやりもない悪者なんけど、なんだか憎めない感じなところも似ていた。 
私はこの父方のおばあちゃんはあまり好きではなかった。嫌いでもなかったけど。なんというか共鳴するところが全然なかったのだ。食べ物の好み、洋服の好みも合わなかった。いつもお菓子や果物を食べながらふんぞり返って1日中ただテレビを見ている(すごく太っていたから普通に座っているだけでふんぞり返って見える)。
父も貧しい農村出身にもかかわらずストイックな仕事ぶりで財を成したの祖父に対してはヒーロ扱いしていたが、祖母に対しては贅沢が過ぎるとかぶくぶく太ってだらしないとか言って見下げている感じがした。祖母は、父が下働きだった頃に後継者の座にいた長女と仲が良かった。二人はよく一緒に呉服屋を家に呼んで高価な着物をたくさん注文したり、食べ歩きの旅行に出かけたりしていたらしいから、真面目で質素な父はそんな二人の派手な暮らしぶりを側で見ながら心良く思っていなかったのだろう。

 そんな祖母も昔は、細くて美人で愛想が良い娘だったらしい。昭和中期の祖父が全盛期の頃はその社交性を活かして商売を盛り上げるのに一役も二役も買っていたと叔父が言っているのを聞いたことがある。祖母は、お寺の娘に生まれてお嬢様だった。まだ若かった祖父が経営する銭湯の客で、番台に座っていた祖父に祖母が話しかけたのが馴れ初めらしい。

祖母が、荒地の魔女みたいになったのは、どうやら脳梗塞が原因のようだ。いつ倒れたのか詳しくは知らないが、おそらく私が生まれて数年のうちだと思う。私が生まれて1ヶ月後の初参りの写真の時にはまだ荒地の魔女にはなっておらず、神社で長女と二人で私を抱えている写真が残っているから。長女は、商業高校に通っていて成績も優秀だったため会社の帳簿を任されていた。祖父の時代とは時代が変わり、だんだんと会社は経営悪化していった、でも生活レベルは落とせない、会社のお金をどんどん使ってしまう、そうこうしている間に家業はもう倒産寸前にまで追い込まれていた。そのことを知っているのは帳簿をつけている長女だけでだった。ある日突然、長女は、最後のヤケを起こして会社のあり金と会社の代表である祖父の保険金を勝手に解約したお金を持ってヤクザの男と逃げたらしい。祖母が倒れて荒地の魔女になったのは、きっとその頃だったのではないだろうか。そう思うとなんだかやっぱり憎めない人である。

 祖母は、私が大学に行った後、老人ホームで老衰で亡くなった。一度は、継母が自宅介護を試みたが痴呆が進んでしまい専門の介護の体制が整っている施設に移したという。老人ホームというとなんだか寂しい最後のように聞こえるかもしれないが、祖母は老人ホームのヘルパーさんたちにも他の老人たちにもとても好かれていた。長年、家族に性格の悪い太った婆さん扱いされていた祖母は、老人ホームでは「本当にかわいいおばあちゃん」「面白いおばあちゃん」と言われていた。

 臨終の時、両親に呼ばれて東京から駆けつけた私が見た祖母の最後は、とても平和で穏やかなものだった。祖母は、ほけーっと口を開けて大きくお腹で数回息をしてあの世へ旅立った。医師が脈をとり臨終を告げると継母は、「私が家で看取ってあげたかった」と父の肩にしがみつき瞳を抑えた。明後日の方向を見ながら「しよんなかさ 君はようやったよ」と言う父。目の前に繰り広げられる二人の愛の劇場を蚊帳の外で眺める私。その横でヘルパーさん達が、本当に溢れる涙を堪えて泣いていた。そして死亡後、シャワーを浴びせて拭いてお化粧までしてくれたらしい。祖母は、老人ホームの人たちに愛されて「荒地の魔女」じゃなくて「かわいいおばあちゃん」になってあの世に行った。 

 



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