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旅の終わりに(3)~反田恭平さんインタビュー

「ショパンコンクール」から1か月以上の月日が流れ、ピアニストたちは何を感じ、そしてどこへ向かおうとしているのか。第3回は、内田光子氏以来51年ぶり、日本人最高位タイの第2位に入賞された反田恭平さんです。

受賞後に、ポーランドなどでの入賞者演奏会をこなした後、帰国後もメディアに出ずっぱりの反田さんに、貴重なお時間をいただき、今、クラシック音楽の演奏家として何を感じているか、たっぷりと伺いました。インタビューのダイジェスト映像とともに、本文はテキストでお届けします。

■今日はお忙しい中ありがとうございます。コンクールの後、少しヨーロッパをまわって、お帰りになったばかりですね?

反田:はい。イスラエルから帰国してきました。

■今日(※インタビュー日)は11月18日ですから、ちょうど、ファイナルでコンチェルトを弾いてから1か月にあたりますね。

反田:いや~、そうなんです。ちょうど1か月、感慨深いな~って。

■この1か月、怒涛の日々だったと思いますが、いかがでしたか?

反田:2か月くらい前にポーランドに行き、そこからファイナルまでの1か月とファイナルからの1か月は、全く違う色でしたね。前半の1か月はとても長く感じて、人生で最も濃い時間、感情の起伏が激しく、言葉でなかなか言い表せない時間でした。一方、受賞後の1か月は幸せに満ちた時間で、きらびやかな華やかな1か月でした。2か月前には想像ができなかったほど景色が変わりましたし、何よりも自信が付いたのは、演奏家・アーティストとしてとても良いことだと思っています。

よく「コンクールは結果が全てではなく、その過程が大事だ」とは聞いていましたが、今回、本当にそのとおりだなと初めて実感しました。自分は6年ほどコンクールから離れていましたので、「練習のプロセスが大事」という意味かななどと薄く捉えていたのですが、そうではなく、この規模の世界的なコンクールになってくると、今まで支えてくださった方々の恩、人間関係の深まりなど、色々な意味で人間的に成長できた経験でしたので、改めて「過程」ということの意味を深く理解できたかなと思っています。

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■コンクールの各ラウンドでの演奏については、既に多くの場所で語っておられますので、ひとつだけ。3次予選で、反田さんにとってとても大切で思い入れのある「ラルゴ」という小品をプログラムに入れておられましたね。今回のコンクールのプログラムは、非常に緻密に何年もかけて練ってきたものだと伺いましたが、その中で、大切な3次予選の選曲に、ある意味でとても私的なこの作品を入れることについて、そこにどういうプロセスがあり、何を伝えたかったのか、伺いたいと思いました。

反田:「ラルゴ」は僕にとって本当に大切な曲です。出会ったのは4年前で、ポーランドに留学しなければ出会えなかった作品でした。演奏した後、ポーランドの方々にも「この曲を取り上げてくれてありがとう」と言っていただきましたが、ピアニストの使命・醍醐味ってそういうところだと思うんです。ただ有名な曲を弾くだけではなく、知られていない隠れた秘曲を探していく。今回は結局それによって入賞することもできましたから、選んだ甲斐があったなと思います。実は、この作品を知った時点で、ショパンコンクールで弾いてもいいなと思っていました。それで、3次のプログラムを考えていくうちに、たまたまソナタ第2番の最後の音、和音のトップがシのフラットで終わり、ラルゴが同じ音で始まってシのフラットで終わり、続く英雄ポロネーズが同じ音で始まって。ドス黒いb-moll(変ロ短調)が中和され、ラルゴのEs-dur(変ホ長調)、この調性ではベートーヴェンもシンフォニーを作っていますが、この調性で浄化されて、英雄ポロネーズにつながっていく、そういうストーリーがあっても面白いかなと思ったんです。

■なるほど。

反田:ですから、1つめは、個人的な感情。ただただこの曲が好きであったということ。2つめに、プログラムとしても面白いかなと思った。耳をぱっと洗浄させる。クリーンにさせる。この曲を知らない方も多かったと思いますが、この曲によって、次の英雄ポロネーズが生きて聞こえてくるんじゃないかなと思って考えたことでした。

■留学生活の中での強い思い入れがあったところに、パズルのピースがはまるように決まっていったんですね!

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■コンクール後、多くのメディアにも登場して大活躍ですが、拝見していると、反田さんは、音楽家の中でも、演奏だけでなく言葉でも、ご自身の言葉でかなり丁寧に、リアルなところまで正直に答えてくださる方だという印象を受けます。「演奏を聴いてくれれば分かる」という考えもあるなかで、反田さんのその丁寧で誠実なスタンスはどこから来ているのでしょう?

反田:やっぱり若い頃、反抗期というんでしょうか、僕にもそういう時はありました。「俺の音楽を聞け」というような考えは、ソリストにはありがちです。敬語も満足に使えなかったし、先輩後輩もわきまえられなかった僕ですけど、人より早く、20歳そこそこで演奏の業界に入り、必然的に年上の方と接する機会が多くいただくなかで、些細なことにも目を配れる人間になりたいし、相手の気持ちになって俯瞰して見られるようになりたいと思うようになりました。
ひとつには、中学のときの校長先生が全校朝会で話してくれたことが、なぜかすごく印象に残っています。「1学年上の先輩を敬いなさい」というお話で、「1つ年上ということは、365日年上だということで、1日3食とすれば1000食以上あなたより多く食べている人たちだ。1000食も食べれば知恵も体も大きい。そのことを敬いなさい」というようなお話でしたが、それが妙に記憶に残っています。
「先輩を敬い、伝統を受け継いでいく」というのは、クラシック音楽の醍醐味でもあります。僕のロシアでの先生、ミハイル・ヴォスクレセンスキー先生は今86歳ですが、「なるべく、習うのは年上の方がいいと思うよ。それだけ作曲家に近いんだからね」という言葉をいただいたのも印象的でした。ポーランドのパレチニ先生も70歳を超えていらっしゃって、単純に僕の倍は生きているわけですから、もう尊敬しかないです。
そのあと、オーケストラを指揮したり運営したりするようになって、伝え方や人間関係の大事さをさらに感じています。自分の信念を押し通すことも必要ですし、自分の思いをおさえることも必要です。音楽を作るのと一緒かなと思いますね。1人の人間として「ありのままの自分」でいながらも、相手が嫌なことはやらないとか、そういう当たり前のことができる人間でありたいです。それが、伝え方にも表れるのかもしれません。

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■伝統をつないでいくのがクラシック音楽のひとつの醍醐味であるというお話が出ましたが、そのような価値観・使命感はいつごろから持っていらっしゃったのですか?

反田:ロシアに留学してからでしょうか。ヴォスクレセンスキー先生に直接おっしゃっていただきました。私が君に教えることは、日本に帰ってもどこにいっても教えるべきだと。君は、音楽の伝道師として、日本では伝えることを君が担当してくれよ、という感じでしたね。僕の先生であるヴォスクレセンスキーの先生は、第1回ショパンコンクール優勝者のレフ・オボーリン。その上の上にラフマニノフのいとこのアレクサンドル・ジロティ、そこからさらにリスト、チェルニー、ベートーヴェンにまでつながるわけです。こういう伝統というのは必ず受け継いでいかなければならないとは思いますね。長いようにも感じますが、たった数百年とも言えますし、ショパンコンクールもたったの100年、それでも「最古」と言われるわけですから、ある意味で、クラシック音楽の世界というのはまだまだ発展途上であるとも言えます。

■クラシック音楽が「発展途上」なのだとしたら、クラシックという素材のポテンシャルにはどのようなものがあると思われますか?

反田:これからはもちろん、角野(隼斗)さんみたいなアーティストも出てきているわけですし、電子的なものとのコラボなんかもどんどん出てくるでしょうね。数年前に、テレビ番組のインタビューで「これからのクラシック音楽界、どうなっていきますか」と聞かれて「世界中でコンピュータどうしがつながって曲を作ったりしていくんじゃないですか」と答えたらキョトンとされてしまったことがありましたが、今はもう当たり前にそういうことができる時代ですよね。もっと先だろうと思われていた4Kなんかも、普通に使われています。今、生きている作曲家も、そういったものをどんどん取り入れて、紙から電子へ、人間が使える範囲が広がるとともに、音楽も広がっていくのだろうなとは思いますし、それはとても興味深いことです。
一方で、僕は意外と根は真面目で(笑)、「王道」の人間だと思っていますので、基本的には、オペラなどをやらない限りは電子音楽的なものはやらないだろうなと思います。特に、ピアノに関して、ピアニストとしては、「生(き)」のものでありたいですね。

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■「生(き)」のもの、「王道」のものの魅力って何でしょうか。特に今回、ショパンコンクールを経て、その部分をどんなふうに感じてらっしゃいますか?

反田:それはたまに自分でも疑問に思います。持っている携帯、パソコン、身の回りにあるものはぜーんぶ新しいものである一方で、反比例するように、何百年前のものを掘り起こしていく自分もいます。摩訶不思議なんですが、この急展開していく世の中だからこそ、古いものに惹かれるのかなとは思います。

例えば、骨董品とか美術もそうだと思います。美術の世界でいうならば、3Dプリンタみたいなもので、データを入れれば、モナ・リザもぱっと同じものが作れるけれども、生のダ・ヴィンチを見るとやっぱり惹かれるものがあって、スキャンで作ったものは3秒で飽きるけれど、本物は10日見ていても飽きないんですよね。同じような「本質」というものが、クラシック音楽には備わっていたり、ピアノの鍵盤の中にドラマがあったりして、そこにどうしても惹かれてしまうんですよね。

■その惹かれる気持ちというのは、今回のショパンコンクールを経て、さらに強くなりましたか?

反田:そうですね。一時は、表舞台を知る人間が裏舞台にまわるようになるのもいいのかもしれないと真剣に考えていた時もありました。そのことに自分の中で向き合う境界線としてショパンコンクールを考えていたところもありましたので、今回の結果を受けて、まあ、ピアノは永遠に人前で弾かざるを得なくなったんだろうなとは思います(笑)。その半面で、小さい頃から好きだったオーケストラやオペラの作品にも、どんどんトライしていきたいです。指揮も昔からのあこがれでしたので。
言ったことがすべて実現してきている人生なので、いつか絶対にオペラとかオーケストラを指揮しているんだろうな~って。インタビューでこう言って、自分を鼓舞している感じですかね。有言実行にしてやるぞ、みたいな。

それでも、パパパっと即席で音楽を作るのではなく、時間をかけてゆっくりと、良い音楽を作っていきたいと思っていますので、焦らず、ゆっくり音楽もピアノも勉強していきたいと思います。表舞台に出ようが裏方に立とうが、結局はどの分野においても、作品への姿勢だったり愛だったりというのが、一番のキーワードじゃないかなと思います。

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■最後に、27歳の、そしてショパンコンクール入賞から1か月経った今、音楽家として目指すところ、遠い未来でもいいですし、今すぐにやってみたいと思っていることでもいいですし、どんなことを思っていますか?

反田:驚いたことに、今回、多くの方にショパンコンクールを知っていただけて、マンションの管理人さんにまで声をかけていただき、反応のすごさを実感しています。確か、ニュース速報が流れたんですよね?

■はい、日本ではテレビのニュース速報が流れました。

反田:速報で流れるというのはよっぽどなんだな~と思いました。一番報道されていた時は、まだ現地にいましたし、その意味ではあまり実感がなかったんですけれども、色々なSNSやニュースを見ていても反響が大きいですし、昨日も「たまたまテレビをつけたらクラシックをやっていて、面白そうだった!」みたいなコメントを見かけまして、出て良かったと思いますね。

数年前に自分で調べたんですが、日本には1億2000万人ほどの人口がありますが、クラシック音楽の演奏会に来ている人は何百万人という単位までなのだそうです。極端に言うと、日本人、クラシックほとんど聞いてないじゃん、残りの1億1000万人はどこに行ったんだよと(笑)。それを見たときに、まずは今来てくださっている数百万人の方々を大事にしながら、その一桁上、まずは1千万人目指そうぜ、というのが僕の中での目標としてあります。国民の10人に1人がクラシックのコンサートに行きました、という世界を作っていきたいと思います。

■なるほど。

反田:あとは、教育に関しては、よりフォーカスしていかなければならないなと思います。聴衆拡大と教育、この2つのことは、僕だけの手で何か直接に影響を与えることは最終的にはできない大きなことです。一方で、自分にできることでいえば、やはりこれからも一生懸命演奏していくことですね。今回を機に多くのお話、お声がけをいただいているので、一つ一つを大事にしながら自分のキャリアを築いていけたらと思います。それから、指揮もしっかり勉強したいというのもあります。この4つくらいでしょうか。

■たくさんの興味深いお話をありがとうございました。お話を伺えて楽しかったです。これからの反田さんの活躍というか、反田さんに見せていただく景色がとても楽しみです。

反田:いえいえ、こちらこそありがとうございました。

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コンクール写真:©Wojciech Grzedzinski/ Darek Golik (NIFC)
インタビュー:加藤哲礼(ピティナ育英・広報室長)

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