沖縄 ルーツ探しの旅①
6月27日
私のルーツを探るべく、琉球新報の松堂記者が西原町へ車を走らせてくれた。
手掛かりを元に情報収集へ
手掛かりは、曽祖父母の名前、西原の我謝に住んでいたこと、「イーミンター」という屋号があることのみ! ルーツを辿るべく西原町図書館を訪れた。
☝️沖縄には、屋号というものがある。同じ名字を持つ人が地域に多くいるからだ。私の家系の屋号は「上前ン田(イーミンター)」ペルーに住む大叔母が教えてくれた。
記録から見えた語り継がれていないファミリーヒストリー
西原町戦没犠牲者記録、我謝地区のページを開くと見つけたのは、屋号イーミンター、城間一家の名前。住んでいた場所は我謝の32番地。
戦死を記す欄には黒丸がついていた。
ペルーに移住した曽祖父とその父親。西原町に曽祖父の母親と、兄弟を残してペルーへ向かった。曽祖父たちがペルーにいる間に起こった沖縄戦。西原町は海からも近く、多くの爆撃があった激戦区だった。
沖縄に残ったイーミンターの城間家は一家全滅。
ルーツのある場所
資料と町民会会長の案内でたどり着いた、我謝32番地付近は、家の跡形もなく草が生い茂り、昔使われていたであろう石垣を巻き込んで大きなガジュマルの木が育っている。
当時の親族と同じ木を、同じ道を、同じ空を見て、風を感じた。
私の先祖がここに居たこと、でももう何も残っていないことを思うと、胸がいっぱいで涙が止まらなかった。とにかく泣きやむことができなかった。
全滅だったこともあり、語り継がれることのなかったイーミンター城間一家の話。資料もほとんど残っていないため、おそらくこの場所まで辿り着けたのは私が初めてだろう。彼らの子孫として戻ってこれたことが、とっても感慨深い。
曽祖母がペルーに移住したのは1938年、数年後に沖縄戦の激戦区になっていたことを考えると、移住していなければ繋がらなかったいくつもの命がある。
「ぬちどぅたから」慰霊の日の県民の声が強く響いた。
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