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枯草の根

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社会不適合でも頑張って生きてる、と証明するには文章を書くしかあるまい。そんなことを思いながら、書いているのです。
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#小説

ガタリ

 ある休日、本屋にでも行こうと思い立ち、出かけた。お気に入りのキャスケットを目深に被り、伊達眼鏡をかけた。

 道すがら、外国からの観光客に声をかけられた。どうやら、目的地へ向かうためのバスがわからなかったようだった。私は、それほど得意でもない英語で、丁寧にバス停までの行き方と、乗るべき路線を教えた。観光客は素敵な笑顔を見せてくれた。良いことをすると気持ちが良い。さきほど教えた情報は全て嘘だったが

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コボレ

 割れた鏡で頬を裂いたら、ホンネというものが見える気がした。痛くて冷たい感じがした。同時に、嬉し恥ずかし、という感情が湧いた。頬の外側を赤が伝ったので、白ワインを飲んだら自ずと笑いがこみ上げて来た。酔いがまわりはじめた。急にシャワーを浴びたくなったから、カミソリを持って公園に行った。日差しが腕を焼く感覚を味わう。

 公園の細い木の幹に、カミソリで相合傘を描いた。右にはサルトル、左にはボーボワール

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母のカレーライス

 友達以上恋人未満……そのくらいの仲の子が家にいる。二人で一緒に、コンビニで買って来た缶ビールを飲みながら、いつものように話している。彼女は半年前から、別れた元彼との恋愛を引き摺っている。僕は正直、あまりそのことに興味がない。どのような男と付き合おうが、どのような感情で僕に接していようが、知ったことではないからだ。ただ、彼女が僕と一緒に過ごしてくれたらそれでいいと思っている。ただ、ここ半年、彼女と

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遺灰に込める囁き

 彼女の手を握ったら熱かった。手の熱い人は心が冷たいなどという迷信もどこかで聞いたが、そうではない。手が熱いということは、死んでいないということだ。屍体からかけ離れた存在であるということだ。だから恋をしたのだろう。

 この子は、私が死ぬ時に哀しむだろうか。自信がないわけではないが、結局他者の考えは理解し切れないから断言も出来ない。しかし、それは大きな問題ではない。問題は、彼女は、私の死に対して「

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おかえり、未来

 私が愛した過去を、貴女は愛しているだろうか。或いは、憎んでいるだろうか。共に歩みたかった未来は、あの日潰えた。それでも、足跡は二列になっていたはずだった。

 波打ち際をひとり歩いた。湿気と初夏の熱気を肌で感じ取るが不愉快ではなかった。耳には、ふたりでイヤホンを分けあった曲が流れている。しばらくの間は厭われた曲も、今ではまた、美しい、美しい音色に戻っていた。

 ふと足元を見ると、綺麗に輝く貝殻

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おとぎばなし

 ある病院に五人の妊婦たちがいた。全員が同じ時に臨月を迎えた。そしてひとりずつ、破水が起こった。

 ひとりめの妊婦は、松明を産んだ。松明は一通り泣くと、笑顔で眠った。

 ふたりめの妊婦は、鎖を産んだ。鎖は一通り泣き、安心したように眠った。

 さんにんめの妊婦は、盾を産んだ。盾は一通り泣き、松明と鎖を見て微笑み、そして眠った。

 よにんめの妊婦は、剣を産んだ。剣は一通り泣き、母に笑いかけ、眠

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アラズ

 不在通知が郵便受けに入っていた。私はそれを見て、再配達の依頼をした。指定時刻は明日の12時から14時までの間。その依頼の受付をスマートフォンで済ませてから、私は明日のお昼に、友達と食事に行く約束を取り付けた。相手は誰でも良かった。だから最近会っていなくて土日が休みの友達を誘った。

 来て欲しい。でも逃げたかった。だから両方を取った。ただ、それだけのことだった。

 翌日のお昼、インターホンが誰

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貴方が私を嫌うように、私も貴方を嫌っている

 「この人の、この書き込み……私のことなんじゃあ」

そのように感じる書き込みは誰に宛てられたものでもない「うざ」という二文字。文脈も何もない、ただの二文字。「うざったい」の省略形である「うざい」を更に略しただけの。それを見て、私の心は文脈を補い、傷つき、腹を立てる。

 「絶対、私のことだ」

そう確信して、私も同様の書き込みをする。「死んで欲しい」と。

殺したいのは私。鏡は誰だってよかった。

 何か目的があるわけでもなく、夕暮れ時の寺町を歩いていると、学生時代、頻繁にどちらかの家で酒を飲み交わしていた友人にばたりと出くわした。

「久しぶりじゃあないか。どうしたんだ、こんなところで」

そう尋ねると友人は

「久しぶりだなぁ。俺はちょっとした買い物だ。お前こそ何をしていたんだ」

と返した。僕は平生であれば見栄を張ってしまい、「仕事の資料を探していた」などと答えるが、彼に隠し事などする

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本音を聞かせて

 「信じて」と言われた。だから僕は彼女を信じることにした。

 彼女が浮気をしているという事実は、疑いようもないことだと考えていた。デートを当日にキャンセルされる、香水や服装の趣味が変わる、アクセサリー類がやたらと増える、おまけにベッドの中で僕以外の名前を口走る。其れほどの「疑惑」を振りまいているのだから、気づかない方がおかしい。だから僕は尋ねた。しかし、彼女は否定した。そして、「信じて」と言った

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 賑わいが夜を奪った。静かな夜は、探しに行かねばならないものとなってしまった。時代が白夜を求めたからだ。

 時代の異端は、破れた傘を手に土砂降りを歩くことを求められているようで、熱が更に更に奪われていく。

 暖を取るためのホット・コーヒーに自分の顔が映る。だから表情もなく、髪を掻いた。

ラテ・アート

 僕は、カフェ・ラッテが飲めない。嫌いというわけではない。むしろ、好きだから、この行きつけのカッフェでそれを注文する。飲めないのは、ラテ・アートのせいだ。ラテ・アートを崩すのが嫌で飲むことができない。そして、そのまま冷めてしまい、台無しになってしまうのだ。それゆえ、カフェ・ラッテが飲めないという事態に帰結する。

 今日も僕は行きつけのカッフェで、飲みもしないカフェ・ラッテを注文する。バリスタの娘

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シーソー

 公園に、ひとりの、スーツを着た青年がいた。彼はシーソーに如雨露で水をかけていた。表情は真剣そのものであり、気を違えているというふうでもない。私は彼に「何をしているのですか」と尋ねた。すると

「シーソーに、水をやっています」

と、答えた。なるほど、全く以て其の通りだ。何も間違ったことは言われていない。むしろ、シーソーに水をやっていると明白にわかる青年に対し、其の行動を尋ねた私の方がおかしいので

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