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PTAは日本の縮図

新執行部のグループラインでは、前任者がマウントを取り始めた。
自分たちも1年間マウントを取られて我慢してきたので、マウントを取りたいという気持ちは理解できる。
しかし、PTAの活動において、こういった態度は問題だと感じた。
上から目線であれこれ言ってきて、「みんながそう言ってる」という言葉で私を孤立させようとする行為は、非常にストレスフルだった。
平気で嘘をつく人もいて、私だけを除いた別のグループラインを作るなど、会長である私を締め出す行動がいくつもあった。
理事会と呼ばれる20人ほど集まる会議があるのだが、内容を当日まで知らされないこともあり、「本当にこれでいいのか?」と疑問に思うことが多かった。
しかし、私の最初の態度が悪かったのかもしれないと思い、いじめてくる主要メンバーに謝罪したが、いじめはエスカレートした。
他のメンバーは見て見ぬふりをしていた。
まさに、知らぬ存ぜぬだった。

これらの経験を通じて、「学校からいじめがなくならないのは、こういった親が子どもを育てているからではないか」という新しい発見をした。
いじめが続く限り前に進むことはできないと思い、弱っているふりをして「精神的に病んできている」と伝えた。
その結果、いじめの主犯はラインで何もコメントしなくなり、他のメンバーもあたかも自分は関係ないと言わんばかりにいじめの件をスルーした。
この件を通じて、私はここにいるメンバーたちを一切信用しなくなった。

会長就任1か月でこのような感じだった。
1年目はこんな感じの実にしょうもない、中学生がするようないじめが繰り返し行われた。
では今回なぜこのいじめのことを書いたのか、ただ愚痴を書きたかったのではなく、しっかりとした理由がある。
この中二病いじめを校長に相談した。
しかし、ある程度のアドバイスはしてくれるが、介入をしてくれなかった。
保護者間のことで面倒だからしてくれないんだろうなぁ、くらいに思っていたが実は違った。
学校側はPTAに対し干渉することが禁じられているのだ。

「国及び地方公共団体は、社会教育関係団体に対し、いかなる方法によつても、不当に統制的支配を及ぼし、又はその事業に干渉を加えてはならない」

社会教育法第12条

と明記されている。
”干渉を加えてはならない”
ということは学校がPTAに干渉してしまったら、法律違反となり罰せられることになる。
とはいえ、質問されたら答えることはできるので、校長には何度も様々なことを相談したり聞いたりした。

この法律を知ったのは大きかった。
学校側がPTAに対して何も干渉できないということは、PTAに関することで学校に指示・指導されることがあってはならないのだ。
そして、PTA改革を進めていく上で、学校が改革を拒否することは絶対にできない。
世間一般では学校が承諾しないとPTA改革はできない、と思われているがそれは適切ではない。
確かに、ある程度学校と話をしながら進める必要はあるだろう。
しかし、PTAのことはPTA会員が決めて良い、というかPTA会員が決めていかなければならないのだ。
これは先生方は何もできない、というわけではなくて、その会員の中には先生方も含まれるので、先生方も会員として意思表示をすれば良いだけなのだ。

周りに誰一人として仲間がいない状況の中で、自分にできることはPTAのことをもっと知ることだと思った。
あまりにもPTAのことを知らな過ぎるので、執行部の人たちに騙されてしまうと思った。
というか、実は執行部の人たちもPTAのことを理解してる人は誰一人としていなかったのが事実だ。
学校で行われてるPTAの行事を繰り返し例年通り執り行うのがPTAであり、執行部であると考えているからだ。
(なので、行事を執り行うことだけはよく知っていた。)
執行部だけでなく、すべての会員は誠実で一生懸命PTAのために動くのだが、今のPTAを変えてはいけない、変わることはない、新しいことをしてはいけないという考えが充満していた。
これは私の学校だけでなく、他の多くの学校でも同じだろう。

ということで、様々な本を読み、インターネットで調べ、人に会い、ひたすら情報を集めた。
そこで一つの事実が浮かび上がってきた。

「PTAは日本の縮図」


これに気付かされた本がある。

一見PTAとは全く関係なさそうだが、この本が私のPTA改革のバイブルであり道筋となった。
この本の帯に書かれてるものを載せる。

この帯に書かれてる言葉が私のPTA改革の全てと言っても過言ではない。
当たり前の話ではあるが、私一人がどれだけ改革を訴えたところで、他の会員が動かなければ何も変わらないのだ。
民主主義とは数が全てだからだ。
(PTAと民主主義の関りについては次の記事で詳しく書く。)
そこで私は会員にアンケートを取って公表しようと考えた。
そのことを執行部の人たちに声掛けをしたが、オールスルーで全く進まない。
意見をください、と言っても何も言わない。
というか、何も言えなかったと書くべきかな。
なぜなら上記したように、PTAのことを何も知らないからだ。
ここで大きな事実を知った。

同じ考えを持っている仲間がいないと何も進めることができないということを!


話せばわかると思って一人でPTAに特攻してみたものの、まさかこんなにも話もできなければ話を理解することができない人たちの集まりだとは考えてもいなかった。
インターネットの世界ではたまに見かけるが、実生活で会話(LINEなどの文章も含む)が出来ない人と接するなんて考えもしなかった。


そんなことを嘆いても仕方ないので、今自分にできることが何なのかを今一度考えながら、改革をどのように進めれば良いのか仕事そっちのけで四六時中考えていた。
そこでPTAとは一体なんなのかを知らないと前に進めないことに気付いた。
次の記事ではPTAの成り立ちから現在に至るまでの話を書いていく。
だいぶ硬い話になるだろうが、この説明無しにはPTA改革の話を進めることができない。
むしろ改革の根幹にまつわることなので、ぜひ続けて読んでいただきたい。
このnoteで多くの方がPTAから救われることを願っている。

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