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左玉が無くなりそうになった話

初めての泌尿器科

人生は予測できないものですね。。

ある日、僕は目覚めたら違和感がありました。

左キャン玉が温州みかんくらい腫れていました。しかもめちゃくちゃ硬いんです。
針で玉を刺されてるような痛みに襲われました。

不安になった僕は
すぐに最寄りの街病院に駆け込みました。

恥ずかしい気持ちも勿論ありました。

でも時間が経つにつれて、
どんどん奴が肥大化&硬くなっており
今にも泣きそうな顔で病院に駆け込んだのを
覚えています。

お医者さんの
「平気だよ。全然なんとも無いよ〜笑」

この言葉を聞きたい!

この言葉だけで救われる!

そう信じて触診を受けました。

しかし現実は非情でありました。。。


「しこりがあるね〜。
 腫瘍の可能性が非常に高いね〜。」

「若い人はそんなに珍しいことじゃないから
 そんな落ち込みなさんな。」と

お医者さんは立て続けに僕を慰める言葉を
発したのでありました。


ビビりまくった僕は優しいお医者さんの言葉を
素直に受け止めず

「つまりどういう事ですか!?!?!!?」

とほぼ半ギレ半泣きの赤ちゃん状態で詰め寄りました。


「うーん。多分癌じゃ無いかなぁ」


この言葉を聞いた瞬間
体が一気に脱力していきました。

「まさか。。。僕が癌。。。」

絶句ーー。この言葉がしっくり当てはまります。

僕はひどく混乱しました。

薬で散らす事はできませんか?
自然治癒することはありませんか?など

込み上げる吐き気をおさえながら
お医者さんに怒涛の質問攻めを行いました。

でもお医者さん

「摘出しか方法は無いね〜(鬼畜スマイル)」

僕の目をじっと見据えて静かにそう言いました。

(あぁ。。人生終わった。。。詰んだわ)

現実問題として非常に厳しい状態であることが
判明したのでありました。


「今後の人生は片玉で過ごす」



どうしてもこの事実は受け入れることが
出来ませんでした。

男で生まれたのなら、
死ぬまで両玉スタイルを貫き通したい。。。

しかし、僕の願いは叶いそうにありませんでした。


絶望している僕を横目にお医者さんは

「片玉を摘出することにより
男性ホルモン低下→女性ホルモン増加し、体の変化が現れる可能性がある」と説明を受けました


放心状態であまり覚えていません。
それどころかお医者さんに当たり散らすという
人として最低な事をしておりました。

その日は大きい国立病院の紹介状を貰い帰宅をしました。


僕は職場の上司に
今にも泣きそうな声で現状を伝えました。

上司は「冗談だろ?笑」と
本気に相手にはしてくれませんでした。

確かにそうですよね?

だって部下が「玉が膨れ上がりました。。」
ってメソメソ泣きながら電話してくるのだから。

僕本人だってふざけてると思いますもん。

でも
僕の不幸話が上司の酒のつまみになれたかなと
思うと、ちょっとだけ気持ちが楽になりました。


次の日、国立病院へ

余談ですが国立病院の先生は
「ホンマでっかTV」の脳科学評論家の
澤口先生に激似でした。

滑舌が悪くほぼ何を話してるか分かりませんでしたが、
頼りになりそうな先生なのは間違いない!
と思いました。


ちなみに1日経過した事で左キャン玉は
温州みかんから小ぶりのりんごの大きさに
成長しておりました。
しかも硬質化しビー玉のような硬さ
なっていました。ぴえん。

僕は現状の不安から、昨日と同じように
半ギレ半泣き状態で澤口に詰め寄りました。


「まだ癌と決まったわけじゃない。
 2週間後に手術予定。手術前日に触診。
 そこで手術をするか最終チェックを行う。」
と早々に診断され
上記のスケジュールが決められました。

また新たに
「手術まで左キャン玉を絶対安静にさせていくこと」
というルールを設けられました。


お風呂や自転車等、左キャン玉が刺激になりそうなのは極力控えなければならないらしいのです。

僕は好きな事を禁止にする澤口を
深く深く憎みました。


手術までの地獄の日々

2週間という期間、
僕はただの生きる屍のように生活してました。

正直その時期はあまり記憶がありません。
全てのことに絶望していたから。

体重もかなり落ちたと思います。
何を食べても美味しいと感じる僕でも
この時期は全く食欲がありませんでした。

会社のお偉いさんから電話がきました。

「お●んち●の病気になったのか?笑」と
デリカシーのかけらも無い会話をされましたが

「ま、がんばれよ。席空けてるぞ」 と
鼓舞する言葉をかけてもらいました。

普通こういう時は感謝や感動するものだと思いますが

不安で精神に異常をきたしていた&
根がガチクズの僕は

(うるせえ!!お前が変われ!!)

と思ってしまっていたのはここだけの話です。

奇行

僕は不安からあまりこの事実を周囲の人間に
打ち明けられずにいました。

何をしても楽しくない。。。悲しい。。。
絶望だ。。。。

その時、能天気にも俺をサウナに
誘ってくれた友人がおりました。

サウナは澤口から控える様に言われており
その友人に対し俺は怒りを覚えましたが

やけくそになっていた僕は誘いに乗ったのでありました。


サウナにてまじまじと左キャン玉を観察しました。

この子はここのところ温州みかんの大きさから
変化をしていない。。

僕は恐る恐る温州みかんを湯船に浸けてみる事にしました。

大丈夫そうだ。。。

そこで僕は安心しましたと同時に
何か音を立てて壊れていきました。
暴走モードに突入です。


僕はその当時、精神がメンヘラであったので、
今日が最期の日だと自分で勝手に決めつけ

サウナと水風呂の往復を乱暴に繰り返しました。

やけくそだったんだと思います。

温州みかんからすると
冷凍→解凍→冷凍→解凍を繰り返し
品質はめちゃくちゃになってそうでしたが

捨て身の僕は、狂った様に温州みかんを
あっためては冷やすという
愚の骨頂の行動を繰り返しました。


自暴自棄だったのです。

でもそこで奇跡は起こりました。

一心不乱にサウナ→水風呂を繰り返し
ふと気がつくと

左キャン玉がバタピーの如く小さくなっていました。

その代わり、しこりの硬さが
ダイヤモンドのようにもっと硬くなっていました。

とても凝縮されたような硬さでありました。

イメージで言うと
左玉にバタピーがぶら下がっているの?って
感じです。

左キャン玉の触り心地は完全に瓢箪(ひょうたん)の形と全く一緒でありました。

簡単に言うと 「玉が3つある」状態です。

この事を想像して頂ければ
僕の気持ちを理解する事ができると思います。

次の日は国立病院にて最終ジャッジを
下される日であったので
僕は強烈な不安感に襲われて
寝床に着くのでありました。

運命の最終ジャッジ

国立病院に足を踏み入れました。

恐らく人生で一番緊張していたと思います。
それはそうだ。
今後片玉なのか3つなのか決まるから。

しかし、事態はすぐに解決にむかいました。

澤口は僕の左キャン玉を触りながら
こう言葉を発したのです。


「癌じゃ無いねぇ。炎症だね。」


やった!!やったぞ!!

僕は狂喜乱舞しました。
見たか。完全勝利!
大どんでん返し!おらぁ!

僕は戦いに勝ったのだ!!

あの悪魔の果実に勝ったのだ!!!

やったぁ!!


原因は全くの不明であったが、
恐らくストレスから炎症を起こしたのであろう
と澤口から診断を受けたのでありました。


自宅にトボトボと帰りながら
都会の新生活にまだ慣れてなかったなだとか
新しい上司やっかいだったもんなと

原因のストレスを解明しようと思いましたが

考えるのをやめました。

なぜなら僕は勝負に勝ったから!

「今後の人生 片玉じゃない」

こんな小さな幸せを感じることができ
本当に良かったと心から思いました。


その夜は久しぶりに泥の様に眠ったのでありました。

さいごに 

あの最悪な出来事から半年ほど経ちました。
今でもあの思い出は鮮明に覚えています。

この半年間で変わった事といえば
少し髪が伸びたということと
左キャン玉のしこりが未だとれないことだけです。

つまり
相変わらず玉3つをぶら下げて生活しております。


3ヶ月に1回の定期検診では


「癌では絶対無いけど、玉の炎症のしこりは
長年取れないケースが多くあるよ。」と
澤口に伝えられました。


だが僕はもう何も怖くはありません。

むしろあの経験のおかげで強い人間になれたと思ってます。

玉が3つあっても良いじゃないか。
片玉よりは。

僕はそう思って今を生きてます。

まだまだ長い人生
これから何があるか分かりません。

ただ僕はこの思いだけは大事にしていきたいと思います。

片玉になったかもしれない人生から
玉3つで生活するようになって
初めて気づきました。

普通に生きていける日常の幸せは
当たり前じゃないんだなぁ。と。


当たり前の幸せと思わず、
感謝して人生を進んでいこうと思います。

そんなことを思い、噛み締めながら

僕は今日も精一杯生きようと思ったのでありました。


おわり

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