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朝日を浴びて、それからどうする?

理学療法士の私は大腸がんの手術後の患者さんについて悩んでいた。

その患者さんは手術後の炎症が1ヶ月経っても落ち着かず、傷の塞がりも悪い状態が続いていた。
毎日毎日、高熱で今の自分の状態が不安で仕方のない患者さんに対して、理学療法士としてどうすればいいのか。

リハビリするだけが理学療法士の仕事じゃない。
離床と安静の葛藤、チームアプローチの理想と現実、患者さんのやる気。
さまざまな経験を乗り越えた物語。

変わらぬ毎日

S)おはよう。今日も変わらずやな。

最近の私の仕事は、電子カルテで1人の患者さんの今朝の記録を確認することから始まる。
その患者さんの名前は、猫田さん。

S)は、患者さんの主訴を指す表記で、“症状や状態の主たる訴え”のことだ。

『よかった。今日も生きてる』
これが一番正直な感想。

そう。生きてるかどうかの確認をまずしなければならない。
それが猫田さんの客観的な現状。

電子カルテの情報を他にも見ていく。
体温は37.8℃、血圧は96/55、脈拍は77回/分、SpO2と言われる酸素が身体にどれほど回っているかを示す値は96%(MAX 100%で、90%を切るといけない)。

「その人、どうなん?」
振り返ると、リハビリ室の主任が立ちながら電子カルテの画面を覗いている。

「今日も37.8℃ありますね。いよいよ熱があることに『変わらずやな』って言ってます。まだ朝はいいんですけど、昼過ぎるといつも38℃超えるんですよ」

「炎症値も高いままやもんなぁ。年末には帰りたいやろ?」

今は11月半ば。
肌寒さとお鍋のテレビCMが冬の訪れを表していた。
特に用はなくても、日本人は年末年始にいろんな区切りを持っていきたいものだ。

「到底今の状態じゃそこは見えないですよね。熱が続きすぎて昨日看護師さんも本人に0.5℃引いたウソの体温教えてましたよ。先生にはそんなんせんでええって言われてましたけど、僕は気持ちわかります」

「そうなん?辛いよなぁ。俺もまた代診するよ。困ったことあれば声かけて」

「ありがとうございます」
ありがたいけど、正直なところ、理学療法士としてできることは限られている。

その後朝礼があり、各々が担当している患者さんのもとへ向かった。
私もみんなと同じように担当患者さんのところへ向かう。

朝一は猫田さんだ。

猫田さんの病室まであと少しのところで、その病室から1人の看護師出てきた。
中島さんという看護師で、猫田さんの担当をしている。

「あ!猫田さんのとこ?」

「うん。何かするの?」

「いいや。もー、また熱上がってきて。本人が『何℃?』って聞くから教えたら、まためっちゃ落ち込んで。それ見てコッチも悲しい、みたいな感じ」

「38℃ぐらい?」

「38.2℃。朝って今まで結構低いでしょ?朝にコレやったら昼からどうなんねやろって」

「別にしんどくはないん?」

「しんどいとは思いますよ?でも横になってるだけやったら大丈夫なんやと思う」

「でもそういうわけにはいかんで?」

「そうですよねー。あとはお願いします!」

入る前から気が重くなったが、そこはなんとか乗り越えてドアをノックした。

「猫田さーん。おはようございます」

「はーい」
猫田さんが右手を挙げて返事をした。
返事の声はややかすれている。

ベッドに横になっている猫田さんからは首の右側から点滴、股間から尿を出すためのチューブ、お腹の傷から“浸出液”を流すためのチューブが出ている。

「体温は今測ったぞ。中島さんに聞いた?」

「はい……38℃あるんですよね?」

「38.2℃な。いつも朝は37℃台やのに。ワシの身体どないなっとんねんなぁ」

「ホントに……ねぇ」
情けないことにそんな歯切れの悪い返事しかできない。

『炎症値が高い』とか『腸の部分が癒着してるかも』とか、私の立場・知識でそんなこと言おうものなら大問題になる。

良く言うと“傾聴”に徹するしかない。

「もう1ヶ月過ぎたなぁ。手術前の説明書には1-2週間の入院て書いてたのに。別に病院や先生のことをどうこう言いたいわけやないで?ただずっと熱あるとこんなことも言いたくなるだけや」

「いや、それはもう、分かりますよ」

「君らもワシみたいな奴のとこに来るの嫌やろ?」

「そんなそんな!」

「ゴメン、ゴメン。で、何すんの?」

猫田さんが遮ってくれて正直助かった。
「そんなそんな!」のあとに続く言葉は何も思いついていなかった。

「そりゃあ、リハビリしますよ。歩けたら歩きます」

「歩くんかいな?しんどいねんで?」

「もちろん、歩けたら、ですよ。でもやっぱり動かないと筋力も落ちるし腸の動きも悪いままって先生も言われてるんで、リハビリでは動いてくれって」

「頭ではわかってるけど、今日は熱のこともあるしなぁ。まぁボチボチやろ」

「すいませんね」

血圧を測り、問題がなかったため、足の運動がしやすいよう布団をめくった。
露になった太ももやふくらはぎは入院当初の猫田さんからは想像できないほど細くなっていた。

学生の頃はラグビーをやっていた猫田さんは、入院時の体重は70kgを超えていたが、現在は59kgまで落ちている。

「ほっそい足やなぁ。自分の足やないみたいや」
ストレッチのために持ち上げられた自分の足を見て猫田さんがつぶやく。

「1週間寝たきりでも細くなりますからね。今は食べれないから余計ですよね」

この会話も何回目かわからない。

熱が下がらず、身体もしんどい。
そんな人のリハビリは寝たままストレッチをして寝返りや起き上がりを手伝って、できたら歩く練習をする。
これを毎日同じように行うのが、この時の猫田さんのリハビリだ。

だから、猫田さんは次に私が何をするかだいたいわかっている。
こちらは猫田さんが飽きないよう会話のネタを仕入れては話し、時には違う運動をしてみたりと、そんなところに必死だった。

ちなみにこの日は猫田さんの好きな歌手が昨日の音楽番組に出ていたのでその話題で攻めてみた。
その時、

コンコン。

ノックをして入ってきたのは、主治医の木村先生。

「猫田さん、おはようございます。どう?」

「先生アカン。朝から38.2℃やで!」

「岡くんゴメンな。ちょっと話あるから外してくれる?」

「あ、もちろん。わかりました」

猫田さんに布団をかけ、急いで病室を出ると師長さんも病室に入って行った。

「ゴメンね、途中に。少し長くなるかもやからまたリハビリの時間変えてもらっていい?」

「わかりました」

「ありがとう」

師長さんは私に礼を言うと後ろ手で病室のドアを閉めた。

集まってや

猫田さんのリハビリが中断したので私は他の患者さんのところへ向かった。
そして、昼前の患者さんが発熱していたこともあり、その時間に猫田さんのところへ再び向かうことにした。

電子カルテ立ち上げ、猫田さんのページを開くと先ほどの主治医と猫田さんの会話の記録があった。

どうやら猫田さんのご家族はセカンドオピニオンについて考えていたらしい。
しかし、猫田さんは『時代錯誤かもしらんけど、がんを見つけてくれてその恩がある。だからセカンドオピニオンはいらない』と答えたようだ。

記録の最後には、治療方針の変更も検討するのでご家族と話すと書かれていた。

普段以上に重そうな病室の空気を予想し、ノックをして猫田さんの病室へ入る。

「失礼します」

「あ、来てくれたん?」
猫田さんの声は朝より1トーン高く感じた。

「少し元気そうですね?」

「うん。解熱剤効いたんかな?今37.3℃やわ。先生も治療方針変えるって言ってたし、そこに希望を持つしかないな」

「そうなんですね」

「ほな朝の続きやな。今は少し歩けそうや」

ひとが行動を起こす時は意欲が重要だが、この仕事をしているとそのことをとても強く感じる。

猫田さんが起き上がって座ったら、血圧が110/59から98/45に下がったが、幸い気分が悪いともめまいがするとも言わなかったので、動く意欲を見せる猫田さんにそのことは伝えなかった。

毎日リハビリをしてるとは言え起きて動くのは1日のうち合計で1時間ぐらい。ほかの23時間は横になっているので猫田さんは歩行器を持たないと歩けない。

10mほど歩いたところにある廊下の窓際のイスに腰かけ、外の景色を見ながら猫田さんが言った。

「さっきの話、聞いた?」

「先生との話ですか?」

「そう。家族がセカンドオピニオンしようかって言って。悩んだけど、なんか失礼な感じがしてな」

「いやいや、そんなことはないと思いますよ?」

「木村先生も『その時は情報出すから遠慮せんでくれ』って言うてくれてんけど、変わる保証もないしなぁ。ここで頑張りますって言ったんや」

うんうん、と話を聞く私に猫田さんは続ける。

「そしたら治療方針を変えるって言ってくれてん。熱はあるけど、血液検査は少しずつよくなってるんやって。ただ栄養が足らんらしいな。食ってないもんな。やから腹の液体が増えるかもしらんけど、栄養ある薬?を飲むみたいなこと言ってたわ」

「そうなんですか!美味しかったらいいですね」

「味なぁ。期待できんやろ?」
含み笑いでそう言ったが、猫田さんは久しぶりの笑顔を見せてくれた。

この日は10mを4回歩いた。
炎症の続く患者さんにどこまで歩いてもらっていいかわからないけど、木村先生のGoサインと目の前の猫田さんの状態を見ながら進めた結果だ。

猫田さんのリハビリを終え、ナースステーションでカルテを入力しようとすると木村先生が寄ってきた。

「おう!猫田さん、どうよ?」
木村先生は私にフランクに接してくれる40歳ぐらいの外科医だ。

「あ、お疲れ様です。今日元気でしたよ。10m4回歩いちゃいました。良かったですか?」

「全然いいよ。どんどんやって。ちょっと方針変えるから」

「本人からも聞きました。それで猫田さんもテンション上がってましたけど」

「うまく行くといいけどなー。浸出液も減ってきてるしよ。栄養とらんことにはどうにもならんから」

「そうですよね」

「師長がそれならカンファレンスしましょって言うから、明日やるから。集まってや」

「わかりました!」

医師からカンファレンスをすると言われたことも、猫田さんの可能性が広がったことも嬉しくて、久しぶりに仕事に対してワクワク感が高まった。

翌日、予定通り猫田さんの治療方針の説明と今後についてのカンファレンスが行われた。
参加者は、主治医の木村先生、病棟の師長、担当看護師の中島さん、管理栄養士と薬剤師の管理職、理学療法士の私だ。

まず木村先生から治療方針とそれを進める上で起こりうるリスクの説明がなされた。
簡単に言うと、炎症の再燃と経口摂取による嘔吐などの症状が起こり得るそうだ。

その後、木村先生から看護師にはその時のメンタル面を含めた対応、薬剤師には薬と点滴の管理と看護師との連携、管理栄養士に猫田さんの状態に合わせて補助食からお粥へと進めて行くとの指示があった。
そして私には……

「リハビリは、とにかく頑張ってくれ!」

「今までの流れで1番雑に感じるんですが……」

「だってホンマやもん」
木村先生は笑って続けた。

「前話した時に、やっぱ正月には帰りたいなって言っててん。そのためにはリハビリするしかないやろ?」

「そうですよね。では本人の熱とか状態見ながらやれる範囲で動いていいんですか?家のマンション、階段しかないみたいで」

「階段しかねぇの⁉︎ええよ。どんどんやって」

師長さんが横から付け加えるように言った。
「家族さんもね、退院は無理でも外泊ぐらいは、って思ってんの。やから介助でも階段が登れたらいいんやけど」

「わかりました。段差の程度ももう1回聞きながら介入します」

全体のカンファレンスが終わった後、管理栄養士にリハビリの時間について相談した。
栄養が足りてない状態で無理に運動すると、筋肉が分解されて痛みや筋力低下につながってしまう。また、一般的にはトレーニング後の30分以内にタンパク質を摂取すると筋肉がつきやすいと言われている。

しかし、猫田さんの場合は栄養全体が足りてない上に腸の機能が不十分だから、むしろ食後の少し時間を空けてからの方がいいのではないかとアドバイスをもらった。

カンファレンスを終えてリハビリ室に帰ると、主任が声を掛けてくれた。

「どうやった?」

「有意義でしたよ。みんなが患者さんのためにってわかる。長年この仕事やってきたけど、あんまりなかったなぁこんな機会って思いました」

それからカンファレンスで話したこと、決まったことを報告し、私は1つ林さんに質問した。

「外出目的じゃ家屋調査行けませんよね?」

「退院時指導って扱いやからな。しかも1回しか請求できへんし。想いとして見てきてあげたいのはわかるけどな」

「ご家族に写真とかお願いするしかないですよね?」

「そうやなぁ」

とにかく私ができることは家に帰ることを念頭に体調が回復することを信じてやるだけだ。
カンファレンスがあり方向性が定まると、ただモヤモヤしていた昨日までとは全然違う気持ちでいられた。

山超え、山超え

「え⁉︎その味はもうええって!」
病室で驚きながら猫田さんが訴えていた。

カンファレンスから1週間経ち、変更した治療方針の効果か猫田さんは元気になっていた。
トイレに行けるようになり導尿カテーテルは抜け、お腹の傷の浸出液も落ち着いているのでチューブを抜き、ガーゼを当てるだけになので、格段に動きやすくなった。
熱も37℃前半に落ち着いている。
しかし……

「その薬ホンマにまずいねんて。その味はもういいって前栄養士さんに言ったんやで?」

猫田さんはタンパク質の飲み薬を前に子どものようにダダをこねるようになった。
たしかにタンパク質は美味しくないのよねー、と管理栄養士さんも言っていたのだが。ちなみに、この日の味はチョコバナナ味。

「お父さん!そんなん言ってたら帰られへんで!」

見舞いに来ていた娘さんが見かねてしかりつけるが、猫田さんは憮然としている。

「お前飲んでみ、コレ!この量!昨日のはマシやったんや。確かに味を変えて美味しいのを探す言うたのワシやけど、まさか一周したとは……」

「……とりあえず、ちょっとずつでいいから飲んでくださいよ」

看護師さんも困った末にグイっと本人の前にコップに入った薬を差し出す。

「ハァ。いや、もう一気に飲む!栄養士さんに言っといて!ずっと昨日の味でいいって」

そう言うと猫田さんはグイっとその薬を一気に口に流し込んだ。

「毒薬でも飲むみたいやな」

と、娘さんが突っ込んだので、『あ、それ俺も思った』と勝手に共感していた。

「昨日の味って何味なんですか?」

「昨日はイチゴ味。確かに、チョコバナナはないよね」
笑いながら看護師さんは飲み干した猫田さんを落ち着かせるように背中をさすってあげている。

「フルーツ系はまだマシなんやけどな」

「このやりとり20分ぐらいしてたから」

「本当にすいません。わがままな男で……」
娘さんは看護師さんに深々と頭を下げて謝った。

「別にいいですよー。そんだけ主張できるぐらい元気ということで。じゃあリハビリも頑張ってくださーい」

そういうと看護師さんは病室を後にした。

「さて、今日の本題やな」
猫田さんは娘さんのカバンを指し、『出して』と指示した。

娘さんはカバンからプリントを3枚取り出し、私に見せてくれた。

「コレがマンションの入り口と玄関、そしてこの2枚がトイレとリビングと父の寝室です」

年末の外泊に向けて家屋調査には行けないので、自宅の写真をお願いしていたのだ。
具体的な環境がわかれば、リハビリでどのような練習をすればいいのかわかるし、猫田さん自身のモチベーションにもつながる。

「大丈夫ですか?あと2週間ちょっとで階段登るの。一応踊り場はあるんですけど」

「今3段の往復すると息切れますからね。階段て日常生活で最もエネルギー消費するんですよ。やからどうしても1番難しいんですよね」

階段の写真に目をやるとあるはずの物がない。
「あれ?手すりないんですか?」

「そうなんです。だから帰る時は私の旦那にも来てもらおうと思って」

「手すり、なかった⁉︎」
猫田さんも驚いている。
実は私も猫田さんから「階段は手すりある」と聞いていた。写真撮ってきてもらってよかった。

「ないよ!何言ってんの?」

「いやぁ、あったと思ってんけど」

「普段使ってないと記憶が曖昧になりますよね」

「いや、違いますよ!ボケてきてるんです!」

私のフォローも虚しく、娘さんにボケてると言われて「そうなんかなぁ…」と真剣に落ち込む猫田さん。

落ち込むポイントはもう1つ。

「岡さん、ワシ手すりなしで階段登れるか?」

「まだ半月ありますから、筋トレと反復練習ですね。あとは体力自体をつけないと」

1日2回のリハビリで足の筋トレや歩行練習、階段練習をしているが、やはり1ヶ月以上ほとんど寝たきりだった猫田さんは休憩を挟まないと動けない。

年末に帰れるかもという希望が持てたことでリハビリには意欲的だが、それ以外の時間はベッドで過ごしている。

娘さんが帰り際、

「階段登れるようにしっかり甘えずリハビリしてね!まずくても薬は飲むように!」

とハッパをかけてくれたが、この日のリハビリでも昨日までと同じでリハビリ室に行くまでに1回休憩して、3段ある階段も1往復で休憩して2回しかできなかった。
もちろん、この日は手すりを持たずに杖と介助だけで階段は挑戦したのだが、
「手すり使うより疲れるなぁ。怖さもあるよ」
とのこと。

理学療法士としてやりたいことはたくさんある。
・片脚立ちなどのバランス
・固定式自転車を使った有酸素運動
・杖歩行や伝い歩きの距離延長……

でも、体力がない。
状態が良くなったといっても37℃前半の微熱はある。
1つ山を超えたらまた次の山が現れる。

リハビリだけではどうにもならないので、担当看護師の中島さんに相談してみることにした。

「お疲れ様。ちょっといい?猫田さんて病棟の看護師さんと歩いてもらうことできる?」

「それはトイレまでってこと?」

「いいや、単純に病棟何周か歩くだけ……無理?」

「歩くだけはちょっと。時間取れるかわかんないし。それはリハビリじゃなくて?」

「リハの時間だけじゃ足らんなぁと思って。リハ以外寝てるやろ?それをどうにかしたいなって」

「離床(ベッドに寝たままではなく起こしていくこと)せなアカンのはわかるけど、私だけでは判断できひん。師長や主任さんにも聞かんと。まだ自分1人では歩けないですか?」

「首から点滴入ってるやん?1人歩かすの危ないやろ?」

「あ!あれ取れるんですよ!食べれるようになってきたし、あのまずい飲み物も飲んでるから。あとは抗生剤だけ」

「それは良かったけど、そもそもあの人自分で歩くかなぁ?あまり動きたくない感じやろ?」

「そうそう。トイレも『オシッコは尿瓶でできるし』って言うし、便はストーマで看護師が出すでしょ?それも自分で覚えようとしないんですよね」

「依存的よな。そこまで頑張らんでも帰れるやろ、みたいに思ってそう。やから看護師さんなり誰かが一緒やないと歩かへんと思うねん」

「まぁ一応上司に話してみますよ……あ、そこおるから今聞きましょ!」

その後、師長さんに私と中島さんから経緯を説明し、病棟での歩行練習の意義も伝えた。
師長さんからは『患者さんのためになるならOK』と言ってもらえたが、どのタイミングで、誰が、どうやって歩くのか明確にして欲しいと注文があった。

そして、そもそも猫田さん自身の想いも確認しなければならないという話になり、全ての業務後、私は猫田さんの病室へ向かうことにした。

やる気スイッチ

ノックをして病室をうかがう。
「失礼します」

「ん?どうしたん?」
猫田さんは扉に背を向けてベッドに座っていた。
何かを手に取り見ているようだ。

「いや、少しリハビリについてお話があって…何見てたんですか?」

「コレ?娘が今日持って来てくれたベランダの写真」

写真には自宅のベランダにあるプランターや鉢の植物がたくさん映っていた。

「へぇ。すごい量ですね!」

「退職してからアルバイトと歌手の追っかけしかしてへんかったから去年から家庭菜園を始めたらハマってもうてな。ホンマやったら年明けに貸し農園を契約して畑をやる予定やったんや。この写真見るまでそのことすっかり忘れてたわ」

「そうなんですか」

「ワシ運転手してたやろ?やから朝早いねん。入院前も5時から散歩してな。で、朝日が登るぐらいでベランダの植物に水やるねん。それが日課や」

「借りる予定の畑は近いんですか?」

「車で5分ぐらいやったから、歩いたら15分ぐらいちゃう?ちょうどええ距離やなと思って。でも今はそんなんよう歩けへんわ」

ちょうど離床を勧めるのにいい流れになった。

「猫田さんのその想い、知らんかったです。でね、今毎日しんどいのにリハビリやってるじゃないですか?それの効果をもっとあげたいんですけど、リハビリの時以外も動く時間が必要やと思うんですよ!今の話聞いてたら朝散歩して、植物の世話して、他にもバイトしたり車でどっか行ったりしてたでしょ?いきなりそこに行くのは難しいから徐々にそこに近づけんとダメやと思うんです」

猫田さんは、うんうんと頷きながら聞いてくれる。

「だからリハビリ以外の時間、ご自分でもいくらか歩いたり動いてもらいたいなと思って。もちろん、最初は看護師さんが付きますから」

「看護師さんはいらんよ。それなら自分で歩く。ちょっとずつ自分のペースで歩いてええんやろ?看護師さんら忙しいもん。あっちこっちで呼ばれて。ワシのそんなんに付き合わすのかわいそうや」

「1人で歩くの不安ちゃいます?」

「いや、それはそんなに。いつもリハビリで歩いてるやん?点滴も取れるらしいし」

ここばかりは楽観的な性格が良い方向に働いてくれた。

「じゃあ明日、安全に歩けるか見せてもらって、看護師さんもOKしたら自分でも歩いてもらいますね!」

「自分でも歩いてええんやったらそっちの方が早く良くなるやろ?ワシもその方がええわ」

意外と本人が乗り気であることに驚いた。
入院やその後の経過が悪く、“病人”になりきっていた猫田さんだが、ベランダの写真を見て、本来の自分を思い出したようだ。

自分なりの経験だが、離床がはかどるには患者さん本人の“スイッチ”が入る瞬間があるように思う。
猫田さんの場合はそれがベランダの植物たちだった。

翌日、点滴が外れた猫田さんは、自分でベッドから起き上がり、歩行器を持って病棟を歩くことができた。
ドアの開け閉めやベッドやイスへの立ち座りも可能で、
私も看護師の中島さんも『これなら大丈夫』という結論になりこの日から自分で病棟を歩いてもらうことになった。

その日を境に猫田さんを病棟の廊下でよく見かけるようになった。
お気に入りの場所は朝日が差し込む病棟の窓辺で、看護師いわく毎朝そこから外を眺めているらしい。

体力がついてきてリハビリの強度も上げることができ、クリスマスには杖で歩き、階段も杖と介助で2階まで上がることができるようになった。

その様子を娘さん夫婦に見学してもらうと
「これなら私らでも大丈夫です」
と言ってもらえた。

ちなみに、熱もほとんど出ないし、腹の傷はもう少しでふさがりそうなところまで回復していた。

良いお年を

そして、大晦日。
外泊のため迎えに来た娘さんに、階段の登り下りの手順と介助方法を書いたプリントを渡して、準備は完了。

私と師長さんが病院の玄関まで見送る。

「このまま退院やったらええのに。花園にラグビー見に行きたいなぁ」
と、こぼす猫田さんだったが、

「まだ普通の物も食べれないし、特例に近い状態で外泊なんやから何言ってんのよ!」
と、娘さんにピシャリと遮られてしまった。

一泊二日で元旦の晩には病院に帰ってくるのだが、どことなく私は緊張していた。
後で聞いたことだが、木村先生も看護師達も『大丈夫かなぁ』と不安に感じていたようだ。

「では、皆さん、良いお年を!」
と、笑いながら言い残し、猫田さんは車に乗り込んだ。

「今年はお世話になりました。絶対無理はさせませんので」

娘さんは丁寧に師長さんに挨拶をした。
師長さんから緊急時の連絡方法の確認をされ、了承してから娘さんは車に乗り、猫田さんを乗せて発車した。

「岡くんも、年末は猫田さんで忙しかったね」

「いえいえ、ここまで良くなってくれたらやりがいありました」

「まだ帰ってくるけどな」

「ホンマですね。でも退院も遠くないかもですよね?」

「やと思うよ?ストーマの管理ともう少し傷が塞がればね」

「とりあえず、この外泊を無事乗り越えて欲しいですね」

私たちの不安をよそに、猫田さんは何の問題もなく元旦の夜に帰ってきた。

外泊を通して、退院後の生活をリアルに感じた猫田さんはリハビリだけでなく、ストーマの処理も看護師さんに習うようになった。

そしてそこから1ヶ月余り、無事に退院することができた。

猫田さんが無事に退院したことも嬉しいのだが、私にはもう1つ嬉しいことがあった。

後日、木村先生に
「猫田さん、今畑やってるらしいわ。リハビリやっぱ大事やなぁ。これからもバシバシ頼むわ」
と言ってもらえたことだ。

猫田さんのしていた、したかった生活に自分たちが関わることで戻すことができた。

この経験は財産だ。
私は大した理学療法士ではないが、こういう経験ができるから、この仕事は面白い!

終わり。

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