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「余命半年」

どうもです。

今回のテーマは「命」です。

ちょっと重いテーマですが。

ぜひみなさんの1つの考える「タネ」にしていただければ幸いです。


すごく私的な内容ですが。


僕のお義母さんが


「大腸ガンステージⅣ。余命半年。」


と突然告げられました。 




2022年7月末。


命のリミットが何を教えてくれたかを残していきます。


明日生きる確率なんて。天気予報よりも不確実なんじゃないか?

みなさんは余命半年だとしたら何をしますか?


ボクはいつも思うのですが。 

「明日生きる確率なんて。天気予報よりも不確実なんじゃないか?」



と思うわけです。

命なんてそんなもので。 

ボクらはいつのまにか 

「平均寿命80歳以上生きる前提」


で毎日を過ごすけど。 

それは不確かすぎる前提じゃないか?と思うわけです。

天気予報よりも当たらない命のリミット予測なんて。


実際に。

お義母さんの命が宣告されたのは平均寿命よりも20歳以上若く。


「半年から1年」 



とあまりに短かった。


その後、人工肛門を作る手術を試みたが。ガンの進行が早すぎて、手術ができなくなり。 

 

「この状態だと余命1ヶ月が限界です」 

 

と突然命のリミットを切られ。



結果。

「余命1ヶ月も持たず。20日後に亡くなった。」

ボクらの命の予測なんて天気予報よりも当たらない。



死ぬ間際にはお金も肩書きも地位も名誉も1mmも役に立たない


人が死ぬ間際には。

お金も肩書きも。

地位も名誉も。

1mmも役に立ちません。

最後に必要なのは。


「ホントに感謝を伝えたい数人のつながり」


くらいです。 

あとは何もいらない。 

土地もお金も家も洋服も宝石も。

全て重荷になります。


ボクらは生きている間に。

資本主義社会の洗脳で。

不必要な装備をたくさんするんだけど。

実はそんなに必要なかったことに。

死ぬ間際に気づきます。

ボクらの受け皿はとっても小さい。

とってもとっても小さい。

あらゆるものが少なくてよかったと。

死ぬ間際にきづく。 

そんな現実を目の当たりにしました。


誰かのための命である方が幸せ

ボクらの命は自分のものなのか?そう考えるのがベストなのか?

その問いを深く考えました。


お義母さんが亡くなった時に。

周りの人が深く悲しみ。

たくさんの感謝を告げていた現実を見た時に。 

「自分の命は自分のためにあるわけではなく、誰かのためにあるのかもしれない。いや。というよりも。その方が幸せなのかもしれない。」 

と深く感じました。


大腸ガンステージⅣで。

全身に痛みが走り。

炎症反応の数値CRP30の状態で。

孫のためだけに。

たった1回のUNOをするためだけに。

立ち上がることができるのは。




「誰かのために生きる」 


 

という想いがあったからではないでしょうか?

  


その根源は。

誰かの幸せを思うからであり。  

孫の笑顔を見たいからであり。 

それが本人の幸せになっているからなんじゃないか?と。



命のリミットが教えてくれたこと5つのこと

  • 明日生きる確率なんて天気予報よりもあたらない

  • 人はそんなに受け皿は大きくないから、求めすぎる必要はない

  • 死ぬ間際には必要なものはお金でも地位でも名誉でもない

  • ほんの数人、深く悲しみ、感謝してもらえる人だけいればとても幸せだ

  • 命は誰かのためにある方が幸せかもしれない

そんなことを考えた出来事でした。 


みなさんはどう生きますか?

どんな最期でありたいですか?

今日生きていることが普通ですか?

明日生きる前提はどこにありますか?

半径5mの人をたいせつにしていますか?

不要な装備を追い求めていませんか?

誰かのために生きていますか? 

生きることを諦めていませんか?

ほんの少しでも大切な人のために生きてみませんか?



命の考えなんて。

正解も間違いもありません。 

主観以外入り込む余地はありません。

今のボクの命の考えはこうです。


「せっかく与えられた命のボーナス。自分のために生きてもいいけど。それはあんまり幸せじゃなさそうだ。お金も地位も名誉も。どうやらそんなにたくさん必要なものではなさそうだ。誰も覚えてないし、あの世には一つも持っていけない。だったら。たった数人の記憶に深く残る生き方をした方がよっぽど幸せかもしれない。人に優しく、温かく振る舞って死んだら。それで十分ハッピーかもしれない。」



いまは全力でそう思います。 



余命半年の人が伝える2つの言葉 


余命を告げられたお義母さんが発した言葉は2つだけでした。






「ごめんね」と「ありがとう」



命のリミットが決められた時。




残された人へ伝えることは。 



「先に逝くことへの許しを得ること」と「今までの全てに対する感謝を告げること」





ただそれだけでした。 




命のリミットが決められた瞬間に。

人が発する言葉は。 


「誰かのために」


その一点張りでした。 


その姿がとても美しく。

ステキだなぁと心から尊敬しました。






少しでもみなさんの「命」に対して考えるキッカケとなれば幸いです。 

ありがとうございました。

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