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共通の目的

人は誰かを喜ばせることで生きてる。

そんな風に直観が差し込んだ朝だった。

玄関のドアを開けた時、はす向かいのお家の若いご夫婦が、小雨の中自宅の駐車場スペースでテントを広げていた。多分畳んでいたのだと思う。今朝私は仕事でちょっと早い出発だった。まだ静かな住宅地で、私はお隣さんのポストに回覧板を入れながら、若い夫婦に挨拶をした「おはようございます」

返ってきた返事は確かに「おはようございます」だったが、朝特有の眠そうなまだ起きてないようなテンション低いそれだった。朝から大きなものを広げる作業、しかも雨が降っている。そりゃテンションは上がらんだろう。もしかしたら二人はどちらかが「え、今からやるの、あとでいいじゃん」なんてやり取りがあったかもしれないよな、ぱっと見そんなに楽しげでもない「作業」がそこにあった。とても「キャンプですか」と次の言葉を投げる空気ではなかった。

まぁ私も仕事だし、とそのまま車を出したわけだが、やはりまだ眠い私の中に二人のことが少し残ってしばらく考えていた。

まだ二人の子供らは起きていないか、身支度をしているか、朝の時間を過ごしている。その家の外で親二人は家族で使うテントを畳んでいる。問題なく使えるかチェックもしながら、端と端を揃えたりして粛々と。その作業の先にあるのは紛れもなく、今家の中にいる彼らの子供らの喜ぶ顔だろう。

ここのところあまり楽しい場所に連れていけていないだろうし、どんな職種であれ決して安心できない状況を大人は背負いながら暮らしている。せっかくの夏休みが大人と子供と重なった今、子供らに何をしてあげようか、その答えの一つがテントを使うイベントだったのだと思う。「あの子たち、こうしてあげたら絶対喜ぶよね」の目論見を若い夫婦は知恵を出し合って、この数日を過ごすんだろう。そうしたら思ったのだ。「あぁ人は誰かを喜ばせることで生きてるんだな」と。

私が仕事に行く日々の先だって、やはり誰かの喜びがつながっている。ありがとうが対価として頂けているのだけれども、人にとって成功は「誰かを喜ばせた」という手応えのことを指すのだろう。なんかね、妙に納得をしたのです。

そうしたらあのぶっきらぼうな「おはようございます」もにこりともしなかった二人のことも、ただただ「応援したい対象」になってきて、私は車を進めながら「楽しみですね、きっと喜びますよ」って心の中で旗を振っていた。私自身も誰かの喜びの瞬間に出会えることを祈りながら。

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