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連帯責任が生み出す絆の効果とその有用性

よく運動部の事件などで、部活動休止などの措置を取ることがありますが、こういった連帯責任のニュースが出ると日本の文化が云々といった情報を見ることがあります。
色々と思うこともあったので、今回は連帯責任の起源と存在価値について触れながら、私個人の思いも書いてみようと思います。

連帯責任の起源

1960年代、ラットで集団で責任を負わせる実験をしたら効果が認められたことで広く社会に受け入れられるようになったという説を良く見かけます。個人的な意見ですが、その前から存在していたと考えて間違いないと思います。

連帯責任を負わせる目的は集団の秩序の制御にあるからです。

なぜ連帯で責任を負わせるのか

因みに連帯責任は日本特有の文化ではありません。オーストラリアの小学校では一般的に連帯責任を取るプログラムが取り入れられています。

一定の条件下で問題を起こした場合に連帯で責任を取るルールがあれば、お互いが注意し合うなど絆を深めるというメリットはあるのでしょう。反面、自分と関係のない問題で罰を受けるというデメリットもある。

オーストラリアの小学校ではメリットの方が大きいと判断したと考えて良いのでしょうか。個人的にはこのルールによって罰せられた場合、その起因となった子供はいじめられそうなんでメリットはないに等しいと思いますが。。。

人を管理するのにアメとムチはどっちが良い?

これを証明するために様々な実験が行われており、様々な結果が出ていて何とも結論が出しにくいのが正直なところです。

例えば、間違ったらの罰金、正解したら報酬という条件でテストをしてもらったら、罰金を受けた人の方が自分の間違いを正そうとする確率が3倍も高かったという実験。ラットを使って、道を間違えたら電気刺激、正解したらおやつという実験をして、電気刺激を与えたら、そもそもそのテストを実行できなくなった実験など。

人間の本能を考えるとリスクを回避することを優先すると考えられるので、ムチの方が効果は高そうです。とはいえ、継続して効果を発揮するようにしたいと考えるとムチだけでは難しいかなと思ってしまいます。ラットは刺激によって報酬を放棄しましたし、人間でも同様のことは起こり得るでしょう。

そこに目的はあるのか

個人的な意見ですが、連帯責任が効果を発揮するのは軍隊や集団労働など、集団で同じ行動や思想を持つように管理するときに有効ではあると思います。なので、求めるものによっては有効な人の管理手法なのでしょう。

余談ですが、民法上では、関係者が合意をしている場合のみ、連帯責任は有効になると定義されてますね。なので正式に学校でこのルールを働かせたいのであれば、事前に生徒全員に合意を取る必要があるということになりますね。大人の世界で決まっている平等なルールが子供と大人の関係で適用されないってのは良いとは思えませんので。

ここまでの内容を鑑みると、今までニュースに出ていたような学校は軍隊を作りたかったってことですかね。。。もしくは、きちんと子供の成長について考えていなかったのか。

最後に

連帯責任は一時的に行動を抑圧する効果はあれど、継続的に良い効果はないような気がするので、個人的に好きではないですね。私自身、自分と関係ないことで何かの罰をつけるのは嫌ですし。。。

何にせよ、目的をしっかり意識して、それに向けて何が必要か、何をするのが良いかと検討して、それを表明することが大事なのかなと思います。
学校が考える教育とその目的と方法を明確に表明してくれれば、選ぶ自由がこちらも与えられるので、それがお互いにとって公平かな、と思います。
安易に連帯責任を使っても本質的な問題は解決しづらいですし、真面目な被害者が多い状況は正常ではないな、と思っています。

長々と失礼しました。心に留めておけばよかったのかもですが、書いてみました。

では。

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