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人を理解したいという情熱を持ち続けること

 2024年元旦、今年もよろしくお願いします。年末に尻切れトンボになった記事の続きを書こうかな…という超ゆるゆるな感じで、今年もやっていこうかなという所存。気が向いたらお付き合いいただけると幸いです。

 さて、2023年の終わりに参加した日本ロールの定期大会の話の続き。ロールシャッハ法は人間理解に役立つから、私にとって使い勝手がいい検査だ、というところで終わっていたと思う。使い勝手はいいとは言うものの、奥深い検査だから使いこなせているとは到底思えないけど、受検者の心の有り様、特に防衛機制を中心とした心の動きの理解に役立つと実感している。防衛機制とは、簡単にいうと、心を健全な状態に保つための脅威や危機に対する正常な反応で、一般的にはさまざまなやり方で状況に応じて使い分けれることが健常な状態と考えられている。ロールシャッハ法では、この脅威や危機を意図的に生み出し、反応のし方で診断や受検者の自己理解に役立つ情報を得ようとする。それなりの負荷がかかるので禁忌はあるけど、言語でやり取りできれば概ねどんな人でも受検可能。
 私は研修生時代から当たり前のようにロールシャッハ法を学び、それをセラピーに活かすようなトレーニングを受けてきたので、こうしたことが特別なことだとは思っていなかった。それに、こういう人間理解の仕方が私の性に合っているみたいで、手間をかけて小難しいことをあれこれ考えるのは、あまり苦にならない。ロールシャッハ法の難しいところは、実施と解釈に手間がかかること、職人技のように習熟に時間がかかること。コスパ、タイパが重視されるこのご時世では生き残りが難しいのだけど、そうした風潮に合わない人々が不調をきたすと考えれば、ロールシャッハ法と他の検査でバッテリーを組み、時間をかけて人を理解しようとすること事態が、治療的な営みにもなりうる。ここ最近はそんなことも感じている。

 私がそこまで人を理解したいと思うのは、なぜだろうか。まずひとつには、「人に関心がある」ことがあるだろう。ちなみに、関心はあるけどコミュニケーション力があるわけではなく、人と関わりたいかと聞かれれば、それほど関わりたいとも思わない。どっちかというと人見知り、自分から声をかけることは極力したくないし、できれば声をかけてもらいたいと思っている。だからこそ、仕事として人と関わることを選んだのかもしれない。仕事としてするのは、それほど苦にならない(ちょっとだけ苦に)ある程度決められた枠、例えば「カウンセリング」といった設定があれば、ある程度理解もしやすいし関わり方も分かる。人間理解に精神分析理論やロールシャッハ法が役立つと思うのは、それが私にとっての「枠」になりうるからだ。
 それともうひとつ、これは逆説的な考えなのだけど、自分のことを理解したいという気持ちが強いのかもしれない。人を理解しようとするとき、自分の資質を利用してそれを実現する。だから心理職に必要とされる重要な要素のひとつに、専門職としての自己理解がある。特に、転移•逆転移を扱うことがセラピーの重要な要素となる精神分析的心理療法を志向するセラピストにとって、感じ取っていることが自分のことなのかクライアントのことなのか仕訳ができないと、クライアントの理解が難しくなる。自己理解と他者理解が表裏一体であること、それが私が精神分析やロールシャッハ法に惹き付けられる理由なのかもしれない。

 「人を理解したい」、しかも心理職という専門家として人を理解したいという情熱を持ち続けること。これが継続的な学び、ひいては私が生きていくこと自体の原動力なのだろう。

 …と、ここまで書いて一旦筆を置いたら、北陸の震災が発生した。時間を追うごとに被害が明らかとなり、何とも言えない気持ちになっている。心理職にできることは、何だろうか。また、根元的な問いと向き合うことになった。まずは、自分が専門職として機能できること。1月2日は箱根駅伝をテレビ観戦しつつ、ツイッター(いつまでもエックスに慣れない)で情報を追うという、何ともアンバランスなことをしている。睡眠と食事に、しばらくはより気を付けたいところ。

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