7. ストレス関連症群(Disorders specifically associated with stress)

この note では ICD-11 の精神科領域の解説を行っています。
本日は ストレス関連症群(Disorders specifically associated with stress)を扱います。

https://note.com/psycho_lec/n/ncc0e1cf5149e

7. ストレス関連症群(Disorders specifically associated with stress)

①ストレス関連症群は、強いストレス(1 つとは限らない)への暴露により発症する一群である。②この群の疾患では、はっきりそれと分かるストレスが原因の必要条件である。③ストレスに曝された全員がストレス関連症群になりはしないが、この群の疾患はストレスの経験なくしては起こり得なかったものである。④いくつかの疾患では、ストレスは人生の中で正常に遭遇することである。(離婚、社会経済問題、死別)⑤疾患によっては、ストレスは極端に恐ろしい性質のものでなければならない。⑥この群の全ての疾患でいえることだが、疾患の区別で重要なのはストレスへの反応として出現する機能低下を伴う症状の性質、パターン、および期間である。

補足:specifically を訳す必要はないだろう。① stressful or traumatic event などを細かく訳していたらいつまで経ってもピリオドに辿り着かない。「ストレス」と「ストレッサー」などを使い分けることもあるが、ここでは「ストレス」で統一する。② though not sufficient「十分条件ではない」ということである。その意味については③で述べている。④⑤この 2 つの文章から、例えば「職場でのパワハラ」や「失恋」で PTSD と診断されては困る、という事情が分かれば良い。⑥構文は難しいが内容的には大したことを言っていない。

この群には、主に以下のものが含まれる。

・6B40 心的外傷後ストレス症(Post traumatic stress disorder)
・6B41 複雑性心的外傷後ストレス症(Complex post traumatic stress disorder)
・6B42 遷延性悲嘆症(Prolonged grief disorder)
・6B43 適応反応症(Adjustment disorder)
・6B44 反応性アタッチメント症(Reactive attachment disorder)
・6B45 脱抑制性対人交流症(Disinhibited social engagement disorder)

6B40 心的外傷後ストレス症(Post traumatic stress disorder)

① PTSD は極端に恐ろしいストレス(1 つとは限らない)への暴露に続いて発症しうるものである。②以下の全てで特徴付けられる。1. 再体験症状。これにはストレス体験時の記憶のフラッシュバック、その時の情景がありありと侵入的に浮かぶこと、悪夢などがある。③再体験症状は複数の感覚領域に及びうる他、典型的には強い感情(特に恐怖)、強い身体感覚を伴う。2. 回避症状。これは、ストレスに関する思考や記憶を避けようとすることで、ストレスを思い出させるような活動、状況、人々を避けることも含む。3. 持続する過剰な警戒。これには過剰な覚醒や、予想外の音への過度の驚愕反応などが含まれる。④症状は数週間以上持続し、個人、家庭、社会、学業、職業、あるいは他の重要な領域での機能障害を引き起こす。

補足:① threatening or horrific は「恐ろしい」とのみ訳した。③ sensory modalities「感覚モダリティ」でも良いが、このカタカナ語は控えた。overwhelming に「圧倒されるような」と付けても良いが、なくても良い。physical sensation「身体感覚」とした。3. persistent perceptions of heightened current threat であるが「現在の脅威への高められた持続する知覚」では苦しい。思い切り短く訳した。startle reaction は「驚愕反応」とするが、K.Schneider のいう驚愕体験反応の意味はここではないと思われる。


6B41 複雑性心的外傷後ストレス症(Complex post traumatic stress disorder)

① C-PTSD は極端に恐ろしいストレス(1 つとは限らないが、大抵は脱出が困難で持続性かつ反復性のもの。例えば、拷問、隷属、虐殺、持続する家庭内暴力、反復する性的、身体的虐待など。)への暴露に続いて発症しうるものである。② PTSD の診断基準を全て満たす。③それに加えて、C-PTSD は以下の重篤かつ持続する特徴がある。1. 感情を制御することの困難さ。2. 自己価値の低下、あるいは自分への「衰え、打ちのめされた」感覚。これにはストレスに関連した劣等感や罪悪感を伴う。3. 人間関係を維持する、あるいは他者との親密な関係を感じることの困難さ。④症状は個人、家庭、社会、学業、職業、あるいは他の重要な領域での機能障害を引き起こす。

補足:C-PTSD の名称は ICD-11 出版以前にも Herman らによって使用されていたが、ICD-11 の C-PTSD とは必ずしも一致しない。注意されたい。① an event or series of events という表現であるから、ストレスが 1 度ということもありうる。② ICD では「診断基準」という言い回しは終始避けており、ここでも原文は diagnostic requirements となっているが、便宜上「診断基準」とする。③ 1. 3. この 2 項目があるため、C-PTSD と境界性パーソナリティ障害の区別が問題になる。

6B42 遷延性悲嘆症(Prolonged grief disorder)

①遷延性悲嘆症は、配偶者や親、子供などの近しい人物の死に引き続いて起こる、持続する悲嘆である。これは、故人への渇望や故人への持続的な囚われによって特徴付けられる。また、悲しみ、罪悪感、怒り、否定、非難、死を受け入れることへの困難、自分の一部を失ったかのような感覚、陽性の気分を感じられなくなること、感情の麻痺、社会活動などに参加することの困難などの、強い感情的な苦痛を伴う。②悲嘆は少なくとも死別から 6 ヶ月以上持続して存在し、社会的にみて明らかに通常の範囲から逸脱している。③例え悲嘆の期間が 6 ヶ月以上に渡るとしても、社会的にみて正常なものであるならば、この診断には当てはまらない。④症状は個人、家庭、社会、学業、職業、あるいは他の重要な領域での機能障害を引き起こす。

補足:① long for「渇望」としたが、「強く求める」という意味であれば他の表現でも良いと思う。ここでの preoccupation は「囚われ」とした。「没頭」「没入」など。後半について、emotional pain の具体例として「sadness」や「guilt」は理解できるが、「difficulty in engaging with social or other activities(社会活動などに参加することの困難)」は少し変である。しかし原文がこうなっているから仕方ない。② social, cultural or religious は訳し分けても難しくはないが「社会的にみて」で十分だろう。③例えば、今日の日本人的な感覚で言えば「高齢の親」との死別と「子供」との死別に対して示す悲嘆は通常、同様ではない。

6B43 適応反応症(Adjustment disorder)

①適応反応症は、はっきりそれと分かる心理社会的ストレス(1 つとは限らない)に対する非適応的な反応である。このストレスには離婚、病気や障害、社会経済的な問題、家庭や職場での対立などがある。通常、ストレスの発生から 1 月以内には症状が出現する。②この疾患はストレスあるいはその結果への囚われ及びストレスへの適応の失敗で特徴付けられる。この「囚われ」にはストレスに対する過度の憂慮や不愉快な思考、あるいはストレスについて繰り返し検討することなどを含む。またストレスへの適応の失敗により、個人、家庭、社会、学業、職業、あるいは他の重要な領域での機能障害を引き起こす。③症状は他の精神疾患(気分症や、他のストレス関連症など)で上手く説明されない。ストレスが持続していなければ、典型的には症状は 6 ヶ月以内には消退する。

補足:② as well as by failure の箇所だが、この前にある by が characterized by preoccupation であるから、characterized by …, as well as by 〜 と解し「…及び〜で特徴付けられる」と訳すしかない。…の部分が異様に長いため、訳に工夫がいる。worry を「心配」と訳すと変なことになる。「憂慮」「憂い」などが適する。「懸念」も便利な日本語である。rumination about its implication「意味についての反芻」だが、後から繰り返し思い悩む事態が訳出できていれば良い。that causes significant … の that の先行詞としては、直後が cause ではなく causes となっているため、preoccupation と failure の両者ではなく、failure のみと解する。

6B44 反応性アタッチメント症(Reactive attachment disorder)

①反応性アタッチメント症は児童の早期にみられる異常な愛着行動で特徴付けられ、不適切な養育環境で発症する。(ネグレクト、虐待、施設での(愛着の乏しい)養育など。)②適当な養育者が現れても、患児は養育者に対して安楽や支援を求めようとはせず、どの大人に対しても安全を求めるような行動はほとんど示さず、安楽が提供されても反応しない。③反応性アタッチメント症は子供に対してのみ診断され、症状の出現は 5 歳以下でなければならない。④しかしながら、この診断は選択的な愛着が十分に発達していない 1 歳以下(あるいは発達の月齢が 9 ヶ月以下)や、自閉スペクトラム症では診断されない。

補足:①grossly は飛ばしても支障ない。ネグレクトも通常虐待の一種であるが、原文に従い maltreatment と並列した。② comfort は「快適」が辞書的意味合いとしては正しいが、「安楽」とした。子供にとっての「母親のいる家」というニュアンスが伝わる訳が理想。③ childhood に対して「子供」は幼稚な訳かもしれないが、「児童」とすると小学校入学以後のような含みがあり直後に続く「5歳以下」と合わない。「学童」も同様である。「幼児」であれば辻褄は合うが、通常「幼児」に対しては infant を用いる。

6B45 脱抑制性対人交流症(Disinhibited social engagement disorder)

①脱抑制性対人交流症は異常な対人的行動で特徴付けられ、不適切な養育環境で発症する。(ネグレクト、施設での(愛着の乏しい)養育など。)②患児は無差別に大人に近づき、ためらいがなく、よく知らない大人にもついて行こうとし、また知らない人に対して過度に親しげに振る舞う。③反応性アタッチメント症は子供に対してのみ診断され、症状の出現は 5 歳以下でなければならない。④しかしながら、この診断は選択的な愛着が十分に発達していない 1 歳以下(あるいは発達の月齢が 9 ヶ月以下)や、自閉スペクトラム症では診断されない。

補足:② reticence は「遠慮」でも良いが、日本では「遠慮がない」というと何となく「モラルの乏しさ」を非難するような含みがあるので、「ためらい」と訳した。③④は反応性アタッチメント症と同様である。

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