ドラマ『教場』の中に見られる精神分析

最近、『教場』というドラマを見ている。

いつ放送されていたものかは知らないが、比較的新しいものなんじゃないかと思う。

主人公は木村拓哉さん演じる風間公親という非常に優秀な刑事で、そこに将来有望な若手の刑事たちが指導を受けにきて、風間の指導のもと事件の解決を通して刑事としてだけでなく人として成長していくというドラマなんだ。

最初見始めたきっかけは木村拓哉さんがかっこいいってだけだったんだけど、実際にストーリーも面白かったんだよ。

一種のサスペンスとしても面白いんだけど、僕がこのドラマで重要だと思う部分はそこじゃないんだよね。

実際、風間は事件の解決や犯人の逮捕以上に自身が指導している若手刑事の成長を重要視しているような気がするんだ。

その根拠に、若手刑事が犯人を仕留め損いそうになると、『それはそれで仕方がない』と言うんだ。

目の前の犯人を捉えるよりも将来の才能を育てる方が重要な場合もあると言うシーンが何度かあるんだ。

その上で最終的には風間の一押しによって犯人逮捕に至るからスッキリするんだよね。

まぁ、なんしか風間がただただ優秀すぎてカッコ良すぎるんだよ。

と、余談はこれくらいにして今回の本題なんだけど、風間のところにやってくる若手刑事は本当に優秀で将来を見込まれた刑事ばかりなんだ。

けど皆が皆、何かしら心の中に問題を抱えていて、それが操作の邪魔をすることがあるんだ。

そして、ドラマなんだろうけど、見事なまでにその若手刑事たちの心の問題を刺激するような事件ばかりが起きて、その心の問題が事件の解決を難航させるんだ。

例えば、虐待や誘拐、いじめや恋愛など、刑事自身が抱えている幼少期のトラウマなどが刺激されて、それが本人たちの欠点になっている。

人間だから仕方ないっちゃ仕方ないんだけど、刑事として事件を解決していくためには克服しなくちゃいけないんだろうね。

当然風間はそのことには気づいていて、事件を通してそういった自身の問題にも向き合わせようとするんだ。

決して簡単なことじゃないよ、刑事じゃなくても自分自身の過去のトラウマだったり、辛い出来事に向き合うことは簡単なことじゃない。

なるべく目を背けている方が楽だろ?

けど、それではダメなんだ。どこかで自分の人生に支障が出てくるんだよね。刑事なんかはそれが顕著なんだと思うんだ。

特に犯罪というのはそう言った人間の陰の部分と非常に強く結びついていると思うんだよね。

過去の虐待やいじめが犯罪者を作り上げる一番最初のきっかけになることがどれほど多いか、想像に難くないだろ。

そんな人たちと対峙しなければならないんだから、自分自身のトラウマは乗り越えていなくちゃいけないだろうな。

大変な職業だ。

だから、ドラマの中でも風間は容疑者を目の前にして指導を行うし、容疑者を前に刑事たちの過去と向き合わさせようとする。

そして、刑事たちが自分自身の問題と向き合い、乗り越えた時に事件が解決され、彼らは刑事としても人としても強くなる。

それがわかると風間は『指導はここまでだ』と告げる。

そこがまぁかっこいいんだけど、本当の指導ってこんな感じなんだろうね。

決して捜査能力を磨くものではなくて、その捜査能力を鈍らせてしまっている過去の傷と向き合い、それに乗り越えることを指導としているようなドラマだと思ったんだ。

そして、このドラマの中で起きているような、過去の傷と向き合うことで乗り越えられるというのはまさにフロイトが提唱していた精神分析と同じ考え方なんだよね。

トラウマや幼少期に抑圧した感情が大人になっても本人を蝕み続ける。

一見全く関係のなさそうなところで影響を及ぼしている。

他人に対して感じる劣等感や、何か特定のものに対する恐怖心、それらは全て過去に抑圧された感情なんだろうね。

それを乗り越えるためにはやはり向き合うしかないんだよ。

別に話すだけでもいい。鮮明に思い出そうとするだけでもいい。

それだけでやってる時は辛いんだけど、乗り越えられれば人として一つ強くなれるんだと思うよ。

『教場』でもそんなシーンはたくさん出てくる。刑事たちが容疑者ではなく、自身の過去や過去の傷と向き合って葛藤しているシーンはすごく印象的だ。

フロイトの精神分析理論は科学的には否定され続けてきたんだけど、それでもかなり日常的な現象みたいだね。

ドラマだから非日常かもしれないけど、ドラマじゃなくてもそう言った経験は誰でもし得ると思うんだ。

そう考えると19世紀にそんなことを考えていたフロイトって本当にすごいよね。

ドラマ『教場』の中に見られる精神分析。


最後まで読んでいただきありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?