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先生。

スタジオで丁稚として先生二人に付き、その後フリーになってもすぐ食えないので、二人の先生に忙しい時だけというパートタイムのアシスタントも三年ほどやってた。
どの師匠にも、技術的なことなど教えてもらったということが無い。それはチーフやセカンドの役目だし、まあ、見て覚えろ考えろの世界でしたから。そのかわり、いろいろ見せていただいた。もうどの方も、鬼籍に入ったりで、会うことも叶わないが、みな少しばかり変わった、でもすごい人たちだった。
最初についた先生は寡黙な人で、当時あまりしゃべった記憶が無い。それでも、ロケの帰りとか、打ち合わせにの帰りとかに、人気のスイーツのお店や、新しいホテルの喫茶室なんかによく連れて行ってもらった。いろいろ流行や、美味しい物とかに敏感で勉強熱心だった。本物を見ろ、良いものを食って、着て、遊べとはしつこく言われた。
二人目の先生は、おしゃべりでわがままで癇癪もち。だけど撮影では魔法のようなことをやる人でした。この先生にはタングステンのライティングの「妙」と「色」について学ばせてもらった。他にも様々な人が関わって出来ているということも。建て込みの大工さん、小道具などのモノを集めてくるスタイリスト、テグス、ピンでさまざまにレイアウトするテグスワークやピンワークのスペシャリスト。ロケのコーディネーター。広げたシャツのシワを奇麗に取ったり、なめらかなドレープを付ける神の指先を持った人もいた。そういった人たちの上に立ち、差配して、ディレクターともやりあいながら撮影を進めていくのは、なかなか大変なことだと感じたもんです。
三人目の先生は、駆け出しのころ一番最初の先生に紹介されて会った。クライアントには誰もが知ってる大手企業が連なり、厳しいので有名な人だった。この人にいきなりこう言われた。「おまえ、写真で金儲けしたいか?金儲けしたいなら営業写真をやれ、広告やってもビルは建たんぞ。」だった。この先生、厳しいうえに口が悪いのでなかなか助手が居つかなくて、繁忙期になるとよく呼ばれた。その昔、白バックにモデルが多重露光のように二重三重に写っている、という撮影をして、どうやって撮ったのか???と評判になったそうだ。今ならフォトショでちょいちょいだけど、フィルムでこれをやっていた。聞いてみるとな~んだ、だけど、そう簡単に思いつけないでしょう。
*黒バックでの多重露光は簡単。黒いという事はフィルム面の乳剤に光が当たっていない、人の顔とかは乳剤に感光している。これ白バックでってところがミソです。そのまま多重露光すると、最初の人物の部分が白の露光のせいで薄く消えてしまうのです。さて、皆さんどんな方法だったかわかります?
この先生にもいろいろ教わった。カメラマンの矜持。モチーフ。引き出しの数。代理店との付き合い方、他にもいろいろあるが、出来の悪い弟子だったのでどれもこれも中途半端なままでした。
4人目は、ある程度稼いだらその月はもう仕事を受けない、やらないってことを平気でする人だった。新しもの好きで、あれこれと手に入れては見せびらかしてもらった。
ある時「あなたは自分自身でもカメラマンとしてやっているので、こちらの気持ち、やって欲しいこと、やるべきことがわかっていて、仕事がしやすい、とても助かる。」と言われた。最初のスタジオで「助手ってのは、助ける手と書くんだから、言われる前に動け、考えろ、しっかりアシストしろ」と教えられたが、それが出来ているようでちょっと嬉しかった。
この方とは歳が近いせいもあり、兄貴分のような存在で、やったこともない、機材もない撮影を出来ます!と言い切って、慌ててやり方を相談に行ったり、機材を貸してもらったりと、ほんとに世話になった。
やがて、自分の仕事がだんだんと増え、忙しくなり、2年を過ぎる頃には、どこもあまり手伝えなくなるのでした。

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