スティグマの社会学6
The term stigma and its synonyms conceal a double perspective : does the stigmatized individual assume his differentness is known about already or is evident on the spot, or does he assume it is neither known about by those present nor immediately perceivable by them. In the first case one deals with the plight of the discredited, in the second with that of the discreditable.
This is an important difference, even though a particular stigmatized individual is likely to have experience with both situations. I will begin with the situation of the discredited and move on to the discreditable but not always separate the two.
スティグマとその同義語を考える上で、2つの視点が忘れられている。一つ目は、スティグマのある人の特異性が、すでに周囲に知られている、あるいは一目で明らかな場合。もう一つは、その特異性がまだ知られていない、あるいはすぐには分からない場合である。前者は「信頼を失った」状況であり、後者は「信頼を失う可能性のある」状況と言えるだろう。
この2つの違いはとても重要だ。ただ、スティグマの種類によっては両方の場面を経験することもある。これからはまず「信頼を失った」状況について検討し、その後「信頼を失う可能性のある」状況について述べる。だからといって、両者を別々に考えているわけではないことを注意してほしい。
Three grossly different types of stigma may be mentioned. First there are abominations of the body - the various physical deformities. Next there are blemishes of individual character perceived as weak will, domineering or unnatural passions, treacherous and rigid beliefs, and dishonesty, these being inferred from a known record of, for example, mental disorder, imprisonment, addiction, alcoholism, homosexuality, unemployment, suicidal attempts, and radical political behaviour. Finally there are the tribal stigma of race, nation, and religion, these being stigma that can be transmitted through lineages and equally contaminate all members of a family.
In all of these various instances of stigma, however, including those the Greeks had in mind, the same sociological features are found : an individual who might have been received easily in ordinary social intercourse possesses a trait that can obtrude itself upon attention and turn those of us whom he meets away from him, breaking the claim that his other attributes have on us. He possesses a stigma, an undesired differentness from what we had anticipated. We and those who do not depart negatively from the particular expectations at issue I shall call the normals.
スティグマを大きく3つの種類に分類してみよう。一つ目は、身体的な醜さ、例えば奇形などである。二つ目は、個人の性質上の問題である。例えば、意思の弱さ、横暴で不自然な執着、当てにならない頑固な信念、不誠実さなど。よく知られた言葉を使うなら、精神障害、投獄者、薬物中毒、アルコール中毒、同性愛者、浮浪者、自殺未遂、過激な政治運動などである。最後の三つ目は集団的なスティグマである。例えば、人種や民族、宗教など、家系を通してその家族全員が影響を受けるものだ。
様々なスティグマの例を挙げたが、古代ギリシャ人が気づいていたように、これらのスティグマには同一の社会学的特徴が見出せる。その特徴とは、私たちの目を惹くと同時に背けたくもなるものであり、それさえなければ得られるはずだった他の能力への注目や普通の社会的なやりとりの可能性を奪い去るということだ。このような特徴をスティグマと呼ぶ。スティグマは、私たちの期待からは全く望まれていない特異性である。一方で私たち、つまり特定の期待から今のところは外れていない人々のことを「常人」と呼んでおこう。
【解説・補足】
今後も用いられる重要概念を振り返っておこう。「信頼」とは普通の人間として信用され、扱われることである。私たちが無意識のうちに当然と思っている振る舞いや特性から離れたときに、その相手への「信頼」は失われる。
一目で普通や常識から逸脱しているとわかる人は「信頼を失った」者と言える。例えば車椅子に乗っていたり、白杖を持っている人である。一方で、「信頼を失う可能性がある」者も存在している。例えば、同性愛者や犯罪歴のある者など。「常人」とは、今のところはそうしたスティグマを背負っていない人々である。今のところは。
ちなみにスティグマの三種の分類については、ゴフマンにとってそこまで重要な問題ではない。個別の問題を否定しているわけではないが、あくまで同一の社会学的特徴を見出すことに本書の主眼は置かれている。
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